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断片的なものの社会学 岸政彦/読書案内

「どうすればいいのだ」の断片


かなり昔に、沖縄の伊平屋島に行った時、島内観光にと郵便局の方が配達用の自転車を貸してくれたことがあった。赤と黒の混ざったようなくすんだ色をしていた。配達用の自転車を借りてもよいのかと驚いたが嬉しかった。重い自転車で、運転が難しかったことを覚えている。その自転車で食堂に昼食を食べに行った。普通の食堂でうどんを食べたように記憶している。夜は島内に一軒しかないスナックに変身するらしい。「遊びに来てくださいね」と島の言葉で言われたが私は全くお酒が飲めない。人生の半分を損している気がする。
まったくお酒の飲めない私が、数度無理やり飲んで嘔吐したことがある。よく急性アルコール中毒にならなかったと思う。その一度が奄美大島で、もう一回が沖縄だったように思う。沖縄には美しい海と泡盛と嘔吐の思い出がある。対人が少し苦手な私は、お酒が飲めたら人付き合いが広がるのにと勝手に思い込んでいる。

山形県の飛島に行ったのは40年ほど前のことだ。小さな船で、乗客の方のほとんどが地元の方で、さっさと船室に降りて横になっている。私はデッキにでて海を見て喜んでいた。出港してすぐに船が大きく揺れ始めた。冬の日本海は荒れる。地元の方が船室で寝ているのも合点がいった。案の定私は、船酔いして吐けるものはすべて吐いてしまった。最後にはもう胃液も出なかった。しかしフラフラで飛島に着いた私に宿の人は温かかった。民宿の奥さんが、子供さんを背負いながらポツポツと自分の話をしてくれた。若いころはアフリカ(国の名前は忘れてしまった)で医療関係のお手伝いをしながら数年過ごしたこと、いろいろな国を回ったことなどを聞かせてくれた。色々なところに様々な経験をした人がいるなと感心した記憶がある。

社会学者の岸政彦さんの『断片的ものの社会学』はその人間の生活について書いたものだ。
冒頭に「社会学者として、語りを分析することは、とても大切な仕事だ。しかし、本書では、私がどうしても分析も解釈もできないことをできるだけ集めて、それを言葉にしていきたいと思う。」と書かれている。この本には、「納得できること」や「人間とは」などとわかったようなことが一切書かれていない。人の語りが淡々と書かれている。しかし読み進めば、胸が熱くなり、時にはうーんと頭を抱え、自分の心を探ってみたくなり、生きていることに思いを巡らすことが出来る内容だ。

本書は、読み始めると一気に読み進んでしまう。もう少し先のページ行けば何かを掴めるのではないか、内容の中心に触れるのではないかという期待感でついついページを繰ってしまう。
読み終わった後には、掴めきれなかった内容の断面が頭に溢れて、ぐるぐると廻り、その先に微かに人間というものが顕れてくる。
まさに人というのは理解不可能で、断片的なものだと思う。私たちはともすれば性急に答えを求めるが、人は定義不可能で、不確かだということに改めて気づかされる。
    
ささいな思い込みや社会規範がどれだけ人を傷付けているかにも言及されている。
「てのひらのスイッチ」という章の最後に「だから私は、ほんとうにどうしていいかわからない。」と書かれている。
本書には、たくさんの語りが掲載されている。その言葉一つずつが魅力的で人間的だ。その語りを読むだけでも十分興味深い。そして読み終わった後に、何かを掴もうとしている私の中で、「だから私は、ほんとうにどうしていいかわからない。」という言葉が聞こえてくる。どうしていいかわからないけれど、人とかわかっていく。ほんとに人間はどうしていいのかわからない。でも生きて行く。そのことがとても暖かいこととして感じることができる。
私は岸さんの書く文章が好きだ。頼りなくて、優しくて、傷つきやすて、迷っていて、どこか自信ありげだ。共感できることが本当に多い。生きがたさを感じている人、どうしていいか分からない人に読んでもらいた。
本書以外の小説も心に響く。本書を気に入った方は、『リリアン」や『ビニール傘』も合わせて読んで欲しい。


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