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癒し系

めでたいことに最近サティは
《癒し系》とやたらめったら言われる。
いったい私のどこがどうして
癒し系だというのだろう。
男も女もみんなこぞって
『サティちゃんと居ると癒される』
と言ってくれる。

とてもいい褒め言葉

本当にありがたい。


《受け入れる》
《何があっても敵対視しない》
《会話のリズムを合わす》
《本音で話す(嘘は言わない)》
《あまり良く思われようと思っていない》
分析するに
この辺りだと察する。


癒されるというのは
リラックス
余計な力が抜けて
副交感神経が働いている状態のこと。
それに《敵対視しない》は
きっと重要なことだろう。
《自分を良く見せようとしない》は
きっとありのままの自分でいいということで
《受け入れる》は、そこに自分の
居場所を見出だせるということだ。
《会話のリズムを合わす》は
その居場所の心地よさで
《本音で話す》は
本来の自分に集中することだ。


サティはどんな人とでも
とりあえずその人に興味を持つ。
そしてたくさん話す人なら
たくさんの情報を得て
無口な人なら
とりあえず自分がちょっとバカになって
油断してもらう。
カッコつけない
飾らない
分からないことは分からないまま
そのまんまでいく(笑)
そして相手が言葉を発したら
とりあえず肯定し受け入れ上乗せする。
『あなたに敵意はありません』
『あなたを嫌ってはいません』
それを一番に分かってもらいたい。
心の中では
『私とはあまり合わないな』とか
『つまらない話をする人だな』とか
それはそれなりに感じている。
『どうしてそんな考え方をするのかな』
『この人の周りの人もきっと
今のサティと同じ気持ちで
この人を見てるだろうな』とか
『きっと人間関係で
苦労してるだろうな』とか
誰とでもそれなりに仲良く出来るサティも
実は自分の好きな人を求めてる。
そんな人と出会った時
サティも『癒される』と感じるんだ。


癒されるとはやっぱり
《受け入れてもらうこと》だ。
自分が自分らしく
あるがままで居られること。


癒してくれる人というのは多分
《開かれてる人》のことだ。
サティは開かれた人でありたいと
いつも思っている。


《開かれた人》というのは
偏見を持たず真っ直ぐに向き合う人。
先入観を持たず新しい今と向き合う人。
目に映るまま真っ直ぐに見
聴こえるままただ聴く。
そしてその時々に反応して
浮かぶ言葉を紡ぐ。
あなたはあなたのままで
それでいい前提で
正しさの押し売りは
みんな嫌いなはず。
何が正しいかなんて
本当は誰も分かってないんだ。


一期一会のその瞬間を共に過ごす。
縁を持てたんだから
どうせなら良縁にしたい。
みんな間違いを持ってるし
みんな不完全だが
みんな否定されたくない。
正しさが幾つもあることは
生き難く感じるかもしれないが
自分の信じる道は
一つしかない。
みんな自分の人生を
選んで生きている。
毎日毎日どう過ごすか
たくさんの取捨選択をしてるんだ。


自分の正しさは自分にある。
それぞれがそれぞれの正しさを持ち
それぞれの世界を映し見ている。

その人にはそう見えて当然であり
その人にはそう感じる由縁がある。

だから敵対視せず否定せず
受け入れ想像してみる。
その人から見える世界を
味わってみるんだ。

『私には合わないな』
『つまらないものの見方だな』
そう思いながらも、その人の創造力を
在るものとして存在させるんだ。

私には私の道があるから
あなたの道とは違うのかもしれない
だけどこうして今時を共に過ごして
語り合っているのだから。。


なるほどサティが癒し系と言われる
理由が少し分かってきたぞ。

自分がされて嬉しいことを
少しずつ実践できるようになってきたんだ。


生きてみるもんだな

本当に
ありがたい。。







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最後まで読んでくれてありがとう(*^^*)♪

またサティに会いに来てねー(^з^)~.:*:・'°☆


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