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「放てば手に満てり」

道元の言葉で正法眼蔵に出てくる言葉だ。まずはこの言葉の意味をGPTに聞いてみたので載せるよー。


「放てば手に満てり」という言葉は、禅宗の開祖である道元禅師によって語られたもので、『正法眼蔵』に記述されています。この言葉は、禅の教えの核心を象徴するものであり、非常に深遠な意味を含んでいます。

この言葉を直訳すると、「放すと、手に満ちる」となります。ここでの「放つ」とは、執着や欲望、先入観などを手放す、すなわち放下することを意味します。一方、「手に満てり」とは、手放した結果として、本来の自己や万物の本質と一体になり、真の満足や平穏を得る状態を指します。

この言葉の意味するところは、私たちが物事や考え、感情に執着することをやめ、すべてを自然の流れに任せる時、心が穏やかになり、真の充足感や満足感を得ることができる、という教えです。執着から解放されることで、内面の平和や真の豊かさを実感することができるとされています。

この教えは、単に物質的な欲望を手放すだけでなく、自我や固定観念、限定された視点から解放されることにより、より広い視野と深い理解を得ることを示唆しています。道元のこの言葉は、禅宗の実践において非常に重要な指針となっており、心を開放し、本来の自己に帰ることの大切さを教えています。


この解説にある言葉の意味にかなっているかは分からないが、私自身の体験をひとつ書いておくよー。

マインドフルネス系の瞑想を本格的に始めてから3ヶ月目のことでした。私はそれまで約15年くらいの間、仏教の教えである「十二縁起」の理論的な理解が得られず、それに執着してモヤモヤしていました。本を読んでも難解で理解出来ず、ネットで検索しても分かりやすい説明は得られませんでした。

しかし、「十二縁起、理解できなくてもいっかあ」と十二縁起に対する理論的な理解への執着を手放しました。「十二縁起、理解できない人生でもいっかあ」と。

その直後、Amazonで十二縁起で検索すると「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」という本が出てきました。そこに書かれていたレビューに、なんと十二縁起のことが分かりやすく書かれているではありませんか!

私はすぐにその本を購入し、読んだのでした。すると十二縁起に対する理論的な理解が得られたのでした!

放てば手に満てり。



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