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遠 い 記 憶 。 2

遠  い  記  憶  。
さぁ、続きを書こう。


夏といえば、かき氷。家庭用のかき氷機で、専用の円筒形の氷を入れて、兄妹で交代ごうたいでかき氷を作ったな。ふんわり柔らかなかき氷。かき氷にかけるシロップは、色々お母さんもが用意をしてくれた。いちごに、メロンに、しぐれ(白みつ)もあった。練乳が時々あって、高価だから、かけすぎると怒られた。わたしはやっぱり定番のいちごのシロップが好き。かき氷は夏の楽しい催しみたいなものだった。


冬と言えば、年末に年始の準備で、餅つき機で餅をついた。餅が出来るまで餅つき機の中を眺めているのがとても楽しかった。さっきまで米粒だったのがツルッとした餅になり、整えられていく。お母さんと餅をまぁるくして楕円にして、鏡餅を作るの楽しかったな。切り餅も作ってたな。あの時のお餅、美味しかったな。


子供の頃は、1ヶ月に1度くらい、お決まりのファミリーレストランに行って外食していた。楽しかったな。お母さんはよくハンバーグ食べてたかな。わたしはよくドリア食べてた。5人揃って楽しかったね。


お母さんの料理、
好きなのは、ダントツ、いなり寿司。甘辛が得意なお母さんにはピッタリ!あの味を覚えているから、なかなか市販のでは満足出来なくっているよ。


お母さんが作ってくれた記憶に残る料理は、茶碗蒸し。
お母さん好きだったね。あと、手巻き寿司。手巻き寿司用の大きなお皿まで買って、嬉しそうに作ってたんだね。マグロやサーモン、いか、カイワレ大根、きゅうりなど、好きに乗せて食べて楽しかったね。


中学の入学式、お母さんが入院していたから、伯母に代わりに出てもらったね。そんな最中、慣れない中学校の帰り道に転んで、真っ新しの制服が破れてしまい、優しい伯母が、布を貼ってかけつぎしてくれた。ありがとう、伯母さま。お母さんも心苦しかったよね。


運動会のお弁当のこと、お母さんのお弁当のわたしのお気に入りは、焼きタラコのおにぎり。普段はシャケが主だけど、奮発してかな?焼きタラコのおにぎり、めっちゃ美味しかった。


お母さんは、編み物の達人だったね。得意はかぎ針編み。なんでも編んでた。花瓶の下に引くマット、ピアノにかけるカバー、もちろん、わたしのカーディガンや、ボレロ、ニットジャンバースカート、コタツ布団にかける編み物、ぶどうや花の柄の婦人服など等沢山編んでいた。
機械編みでお父さんのセーター編んでたね!そんなお母さん、今思うと素敵だよ。今のわたし、編み物とてもじゃないけど出来ないんだ。お母さんが羨ましいよ。


お母さんは、最後(最期)は、夏風邪を引いていたね。夏風邪は長引くって言って何ヶ月も治らなかったね。そして、ご飯が食べれなくなって、エンシュア飲んでたね。それでもツラくなって、点滴してたね。入院してるお母さん、そんなツラい最中でも、日記に、メロンが食べたいとか、喉が治ったら、5人でテンダローインステーキを食べに行きたい、と書いてあったね。
あぁ、目に涙が滲んで……、やはりお母さんの最後の日記を思い出すと、必ず涙が出てきてしまう。
美味しい、メロン、一緒に食べたかったね。美味しい、
テンダローインステーキ、皆んなで食べたら美味しかったんだろうな……。
ねぇ、お母さん、治療と症状とツラかったでしょう。
病院でひとり寂しかったでしょう。
お空からお迎えが来た時は、本当にびっくりしたよ。
皆んな親戚が総出で集まってくれた……。
ずいぶん経ってから、お父さんが言ってた。
お母さんは、天国に行ったことは、ツラい痛みから解放されされたから、良かったのかなって。

ちょっと涙が滲みるので、
今日はこの辺で終わりにしよう。



最後まで読んでくださってありがとうございます。・:+°



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