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「推し」と私の”運命”

一度見ただけで、人々の心を鷲掴みにするオーラ。目の前の人を全力で笑顔にする、天性の明るさ。飾らずいつも明るい性格。数少ない胸きゅんセリフで不意に感じる、普段の明るさとのギャップ。「推し」を見ていると、私はそんなことを感じる。

今日は、私の「推し」にとって大切な記念日。本人たちだけでなく、私のようなファンにとっても大切な日。自分や友人の誕生日同様、盛大にお祝いするほどだ。


「推し」という言葉が世の中に浸透してきた今日この頃。ただ私は子供の頃から、「推し」がいた。今も昔も、私の「推し」は100%アイドルだ。

子供の頃の「推し」を選ぶ基準は、とにかく顔。その次に、個性的な性格。いつも惹かれるのは性格よりも顔が先だった。世間一般に言う”イケメン”が大好きな私。現実世界の殿方には目もくれず、ひたすら「推し」を応援する日々だった。


数多のアイドルを経由して、今の「推し」と出会ったのは高校生の頃。いつもは顔がタイプのアイドルを応援するのに、この時は外出先でたまたま聴いた音楽に惚れた。自分でもびっくりした。顔も名前も知らない人の楽曲に惹かれるなんて、私は想像すらしていなかった。

聴くだけで元気が出る、明るいメロディー。私の地元ではあまり聞かないけれど、家族や親戚の関係で馴染みがあった関西弁。お祭り騒ぎのような楽曲だったが故に、私の脳内にしっかりとしがみついて離れない中毒性。これらが私の心を強く掴み、離すことがなかった。

当時好きだった「推し」に飽きていた頃に出会った、今の「推し」。”運命”と聞くと、一対の男女を繋ぐ赤い糸だと思ってしまうけれど。私とひとつの楽曲の出会いは、一種の”運命”だったのかもしれない。たまたま聴いた楽曲に一瞬でハマった私は、文明の利器を駆使して歌い手を探した。辿り着いた先は、とあるアイドルだった。

彼らは、男性アイドル。当時はデビューして1年ほどという新人だった。それゆえ、「今から応援しても遅くないかも・・・?」という気持ちが、新たな「推し」を応援することに背中を押してもらった気がする。あの時、たまたま聴いた楽曲をスルーしていたら、私はまた違った人生を歩んでいたかもしれない。


彼らがデビューして10年近くの年月が経った。出会った頃は思春期真っ只中だったのに、今はすっかり大人。時の流れの速さに気づき、身悶える。

これから彼らは、どんな世界を見ていくのだろうか。ファンに対してどんな姿を見せてくれるのだろうか。

子供だったあの頃も大人になった今も、変わらず応援しているのだから。私はきっと、飽きるまで彼らを応援するんだろうなぁ。

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