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漫才の作り方の前に「漫才じゃない」論争について今さら考えた

あけましておめでとうございます。
構成作家・放送作家・漫才作家の里村です。

今回からネタの作り方ということで、まずは漫才の作り方から書いていこうと思います…が、その前にM-1でも話題になった「漫才じゃない」論争について考えていきます。

「漫才じゃない」の前に「漫才」って何?

マヂカルラブリーの吊り革ネタを「漫才じゃない」と言ってる人の言い分はだいたいこうです。「喋りもせずに暴れていただけだった。それに面白くなかった」と。じゃあ、この人達に聞きたいのですが

「逆に『漫才』って何なの?」

たぶん「ボケとツッコミが会話をして笑いを取るもの」的な答えが返ってくると思うんですが、それってじゃあどこで線を引くのか?コントに入るのはいいのか?霜降り明星みたいにボケが1人でボケているのを外野からツッコんでいるがあれは漫才に入るのか?「漫才じゃない」派の人に聞いたら、たぶん全員が違う線引きをするでしょう。だからすごく論理的じゃないんですよね。個人的感情がだいぶ入っています。

あと「面白くない」と言ってる人は、うるせえとしか言いようがないです。M-1が唯一の条件として「とにかく面白い漫才」と言っており、予選を生で見たお客さんが笑い、予選の審査員(局員や作家)が通過させ、決勝の審査員が票を入れたんだから、ABCが定めた「面白い」はクリアしてるんです。だから外野の個人的な感情の「面白くない」はうるせえです。どうしても批判したいなら「好かーん!」(byデルマパンゲ)にしていただきたい。

つまり、論争と言ってる割に「漫才じゃない」肯定派は感情論すぎて話にならんという結論です。「ほな、お前の『漫才』てなんやねん」となったら、僕はこう答えます。「マイクの前に立って人を楽しませようとすること」これだけです。ここで重要なのは「楽しませようとすること」です。結果が伴ってなくても、その意思があったら「漫才」だと思います。でも、これでは世の「漫才じゃない」否定派の意見とそない変わらんので、これまでの記事を引用してマヂカルラブリーのネタが漫才であることを示します。

マヂカルラブリーのネタが漫才である根拠

これまでの記事で「ネタの分類」「フリ」「ボケ」「ツッコミ」について書いてきました。これらは僕の主観では無く、これまで「漫才」とされてきた人たちが行ってきたものをまとめただけのものです。なので、マヂカルラブリーのネタもこれらから構成されていることを示せば「漫才」であると言えるはずです。

まず、ネタの分類から。
これは、コント漫才の中の「ボケとツッコミが別次元」に分類されますね。霜降り明星の「豪華客船ネタ」やスーパーマラドーナさんの「コンパネタ」と同じ形です。

次にフリです。
これは⑤のパターンですね。「電車が揺れる」というフリに対して、「めちゃくちゃに揺れる」というボケに持っていってます。

つづいてボケです。
これは④と⑨に特化していると言えます。「めちゃくちゃに揺れる」という大げさなボケと、「揺れることによるおかしな動き」という見た目のボケを繰り返しています。

最後にツッコミ
細かくは色々なテクニックを入れてますが、主には⑤と⑦を使っています。野田の動きを解説するツッコミと、「箱根登山鉄道でもそんなに揺れない」などのたとえツッコミが大半です。

ということで、これまでの「漫才」の手法と照らし合わせたら、まごうことなき「漫才」でした。はい、解散~!

マヂカルラブリーから知る漫才の作り方

さて、なんで漫才の作り方の前にこの話をしたかと言うと、「漫才じゃない」と言われるくらい斬新だとされているマヂカルラブリーの吊り革ネタでも分解すれば既にある手法の組み合わせであるということです。

じゃあ、大したことないのかと言うと凄いことをやってます。「あるものの組み合わせの何が凄いねん!」と思うかも知れませんが、ほなあなたカレーとリンゴと蜂蜜を組み合わせようとしますか?って話なんです。バーモントカレーは偉大です。
その前例があるのに、ちょっと前からココイチにかける用の蜂蜜が置かれた時に「誰が使うねん!カレーて辛いもんやろ!そんなんカレーちゃうやん!そもそもまずいやろ!」と僕思ってたんですが、これって「漫才じゃない」と同じ事を思ってるなと最近気づき、恥ずかしくなりました。つまり「蜂蜜をかけたカレー」と「マヂカルラブリーの漫才」はどちらも一緒と言えます(なんかたとえが余計にややこしくなりました)。

話を戻しますが「ネタの分類」「フリ」「ボケ」「ツッコミ」からそれぞれチョイスすれば漫才を作れるということです。しかも斬新なのにウケやすいものが作れる可能性も秘めています。しかし、好きなものをチョイスすればいいという訳ではありません。それぞれに合う「キャラ」があるからです。

次回は「キャラ」から考える、「自分達に向いた漫才」について書いていきます。

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