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親になってわかること

最近の妻との会話がとても興味ものであったのでここに記しておこうと思う。

妻は幼児期にウクライナの田舎で暮らしていた。どのくらい田舎というと日常的に家畜と一緒に暮らしており、ガスなんかがちゃんと通っていないレベルである(水は井戸、トイレは外、電気は通っていたとのこと。)。僕は北海道の中央部をさらに寒くしてインフラがない感じを勝手に想像している。当時妻の父は貿易関係の仕事をしており基本的に家に居なかった。このため、義母が幼子3人(妻の兄、妻、妻の弟。年齢は7、5、1歳とか)を育てていた。義母はこんな幼児3人を家畜の世話をしながら育てていたのだから本当に大変だったと思う。

ウクライナの田舎のイメージ図

子どもたちは基本的に野山で遊んでいたようなのだけれど、子供達が楽しみしているのがお祭りだ。その中でもКолядування (キャロリングと言うクリスマスに関連したお祭り。)と言う1月に行うお祭りが子どもたちの楽しみだった。子供達が家を回って劇をやったり、歌を歌ったりするとお菓子がもらえるのだ。特に妻と兄はこのお祭りを楽しみにしていた。妻はまだ5歳だったので、お祭りに行くには幼過ぎたが兄が面倒を見るということで参加できることになった。

BBCより。こんな感じのお祭りらしい。

さて、祭りの当日。妻と兄とその友達はたくさんの家を周り、お菓子をたくさんもらいとても楽しかったらしい。が、お約束のように妻は一行から逸れてしまう。兄もまだ7歳。面倒を見るには幼過ぎたのである。

この時妻は本当に怖かったらしい。そもそもウクライナの1月は余裕でマイナスの極寒の世界。しかも田舎なので近所でもかなり距離がある。お祭りなのではしゃいでいた一行は完全に普段の生活圏から外れたところに来ていたのだ。

bingによるイメージ画像

せっかくもらったお菓子も地面に全部落として、泣きじゃくっていた妻のところに本当に偶然義母の友人が通りかかった。彼女はこんな場所に妻がいることに驚いたらしい(それほど妻の家から外れた場所に彼女はいたのだ)。義母の友人は妻を家まで自転車で送ってくれた。この時のことを妻は忘れないという。

妻が家に帰ると兄は義母に怒られて泣いていた。そして、妻も義母に怒られた。とても怖い思いをしていた妻はてっきり義母から優しくしてもらえると思っていたので悲しく、怒られた理由がわからなかった。その後この時の記憶がずっとしこりになっていたらしい。

それから30年近くの時間が経った。この話は僕と妻の定番ネタ(妻の幼児期死にかけたシリーズ。大体妻の兄が原因笑)の笑い話になっていた。僕と妻の間には子どもが産まれた。そんな時に、この定番のお祭りの話になった。そしてその時初めて僕と妻はあの時、義母が妻を怒った理由がわかった。

きっと義母はただ怖かったのだ。義母は女手一つで子ども3人を育てていた。それ自体が不安の連続であったと思う。しかも当時の義母は僕たちよりも若い。そんな状況で、自分の判断で上の子に下の子の世話を任せてお祭りに参加させた。結果として、その判断は間違っていた。義母は誰よりも自分自身を責めていたはずだ。それに頼れる人が誰もいない。不安で押し潰されるような気持ちだったと思う。

親になるといことは、自分自身が未熟であると気付かされることだ。僕も妻も未熟なまま親になり、手探りで子育てをしている。
そして、そうなって初めて自分の親も同じだったのだと気づく。

義母は30年近く前に亡くなっている。だから、僕らのこの答えが正しいか義母に聞くことはできない。けれど、この答えが正しいと寝ている息子の顔が僕に告げている。きっと義母は誰よりも娘を愛していたのだ。


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