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最悪、を考えるといつも泣けてくる

何年か前に、友達からいきなり電話がかかってきて「今なにしてるんすか?」って聞かれていつもの飲みの誘いではなかったから不安になって、いく宛も決めずに「とりあえず迎えに行くわ」と言ってドライブに行ったことがある。

その友達の家の近くのコンビニで拾って、特に変わった様子でもない友達ととりあえず天文台の方にいってみようと言って
車を走らせてみたものの、天文台には入れずに
その代わりにその近くに放牧されていた牛の話で車内は大盛り上がり。

「今は暗くて見えないんだけどね、牛がここら辺めっちゃいるんよ〜」っていう普通のなんにも面白くない話だけど、その友達が返してくれる言葉にはボケ混じりでどこか面白くて楽しかった。

結局、天文台にも入れなかったので
南に車を走らせて海の方へ向かった。海には入ったことはないけれどいきつけの海水浴場があって、とりあえず海をみようと思った。

「今なにしてるんすか?」の電話の理由は私の方からは聞かなかったけれど、友達は気になってるんだろうなと察してくれて、海へ行く間に話してくれた。

今は普通にこうやって楽しく話してるんだけど、もう自分でも本当に信じられないくらい気分の上がり下がりが激しくてさ。もう死にたくなるくらいなんだよね。

そういう感じの理由なんだろうなっていうことは、なんとなくわかっていたけれど、用意する言葉も優しさも見つからず、ただ「そうだったのか〜」と友達の顔は見ずに、フロントガラスの方向だけをみて言った。

悲しさ、不安、しんどさ、苦しさ、寂しさ、後ろめたさ、嘆き、怒り、戸惑い、どれに当てはまるかも、どのくらいの大きさなのかも測りきれない他人の感情は私ごと海に寄り添ってもらった。

友達を送り届けた後、車の中で泣いた。いまのいままで、一緒にいた友達が1人で消えたくなっている姿を想像したら涙が出てきた。牛の話で爆笑していたことを思い出したら、余計に涙が出てきた。

こういう種類の涙が私の中にあって、人がもう死にたいと思っていたり、自分自身のことをどうしようもないやつだと思っていたり、自分には価値がないと言っていたりする、もしくはその姿を想像すると喉奥がきゅーとなって、つーっと涙が出てくる。

どんなにその人のいいところを知っていたとしても、あなたの存在に私はこうやって救われてるよ、あなたがいたから私はこうだったよ、と伝えても
その言葉はその人の中で響くことはあまりなく、できることは車の助手席に乗せて海へ連れて行くことだけなのかもしれない。

消えたい、死にたい、辛い、苦しい、というその人のメッセージを見たときに、それが直接的であれ、間接的であれ、万が一その人にそんな気持ちはそんなになくてただただ心配して欲しいのだけだったとしても
最悪、の場合を考えてしまう。考えてしまうというか、最悪の場合をあることを考えてその人の言葉を受け取らないとという不安がある。

お願いだから、苦しいときくらいは優しくされて惨めな気持ちにはならないでくれよ、祈り。

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