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人生は線で、生きることは点、なのかな。

 久しくnoteを書かなかったのですが、過去の点を残しておくことはいつかの未来の自分を支える何かになるのではないかと信じたい気持ちに最近なって、今書いています。noteの編集画面もいろいろ変わってるんですね。

この文章を通じて、私のこと「久しぶり〜!」と感じてくれる人もいるかもしれないので、ざっと最近の私についてお話ししますと
大学5年目を過ごしておりまして、先日やっと卒業論文を書かせてもらえる書類を大学に提出しました。ストレートにいけば4年目に書く論文ですが、6年目で書きます。大学の勉強はすこぶる楽しくて、哲学や人類学、基礎英語、世界史、などを勉強しています。卒業論文のテーマは「聴く」ことの行為について哲学的なアプローチでやっていくつもりです。
どんな研究なの?という感じですが、実は私もそんな感じで、今は担当教員の先生と話しながら、私の興味分野と哲学分野を紐付けるための準備として、とにかく文章を読むことをしています。
「興味関心がどうやって具体化されて、研究という形に変化していくのか全く想像がつきません。」と先生に相談したとき、先生から
「哲学の手法は本当にいろいろな方向があるし、今、興味関心が言語化されているだけでまぁいいんじゃないですか?」と。なんとなく、ほっとしました。

今回のnoteの冒頭にも書いている過去の点が繋がりそうで嬉しかったんだと思います。

大学で受講している哲学なのですが、今学期は行為の哲学を勉強しています。私たち人間の行為に意思はどれくらい影響しているのか、とか、行為は自由な意思とは関係なく既に何らかによって決定されてるんじゃないか、とか普段私たちが行為を選択している時に何を頼りにしているのか、とかそういう勉強です。ものを食べる、話す、見る、起きる、足を動かすといった意識もしないような行為から、進路を選択する、ボーナスで車を買う、結婚して子供を産むといったようなちょっと考えて選択される行為までいろいろあると思うんですけど、
そういった行為を取捨選択するときに私たちはしばしば「合理的」に考えようとしますよね。メリットとかデメリットとか、現実性とか、その時の気分とか。今、私もダイエットしてるので食べるものを決めるときは、タンパク質どれくらいかな〜とか、この時間帯に食べたら太るかな〜とかそういうことを吟味して、痩せたいという目的に沿った行為を選択しているような気がします。

そういった行為の合理性についての授業の中で、人間は私たちが思っているほどあんまり合理的な判断で行為を選ぶことはできない、という考えを主張している人がいることを知りました。最初聞いた時は、期日までにやらないといけないものがあるけど、どうしてもギリギリにしか手をつけられない、とかそういうことー?っていう感じだったんですけど、さすが哲学もっとちゃんとした理論の元の考えでした(笑)

どういう話かというと、
例えば、ある人が「お母さんになる」という行為を選択するとき、それがある人にとって初めての出産だった場合に、その人はお母さんになることの経験なしにお母さんになることを選択したといえます。これはさて合理的なのか?という内容です。いやいや、お母さんになることって子どもも増えてるし、なんとなく幸せそうだし、それによって親族も安心するし、!みたいな感じに思えるんですけど、この合理性に問いを投げかける前に、合理的な行為ってこういうことですよねという考え方を紹介します。

サイモンが発表した合理的選択理論という考え方なんですけど、
①「すべての」選択肢を列挙
②各選択肢の結果を確実に予測
③事前に決めた評価基準に最も適合する選択肢を選ぶ
こうやって選ばれた行為が合理的だと言えるのではないかという考え方です。

この理論を前提に考えると、お母さんになるという行為は②の時点で選択肢の結果を確実に予想することが難しいため、選択肢を正確に評価したことにならず、その結果選ばれている行為としては合理的ではない、といえるのではないかということです。合理的に判断してると思っていることが、意外とそうではないことっていうのが多いかもしれないな、と思いつつ。

それで、この哲学の話から感じたことがあって。いきなり点の話に戻るんですけど、確かに私たちはこれまで経験したことのある実感をもとにさまざまな取捨選択をしているな、と思ったんですね。これから食べるものも、将来の夢も、理想の恋人も、これまで積み重なった私をもとに想像されていて。時間は前に進んでいるし、私たちはこれからという前を見て毎日生きているんですけど、そんな私は新しくなっていくというよりも、ずっとずっと過去が上書きされていく存在で。過去のおかげで、とは言わないですけど、過去があるから今の自分がいるな、と思うことがたくさんあります。

そう思うと、何だか今この瞬間という意味の「点」。聞いている話、一緒にいる人、車に乗りながら歌った曲、恨んでいる人、痩せたいという気持ち、憧れの職業たちは、すぐに過去の点になって、いつ過去になったのかも気づかないくらい私たちは前に進んでいるからこそ、残そうと思ったわけです。私の場合はいつもお世話になっている言葉で。

「問題のあるレストラン」という大好きなドラマがあるんですけど、その中で一度は惹かれあった恋人たちが別れてしまったあと、そのことを直線を用いて表現するシーンがあるんですけど、
私たちは直線で、直線は一回交わったら、その後は交わらないんだよ、私たちってそういうことだよ、みたいな言葉があるんですね。(ちょっとうろ覚え)
点が2つあって、それを結ぶと線になりますが、いつか結ばれる線が直線なのか曲線なのか、誰と交じり合うのか合わないのかは分からないのですが
その線のもとになる点を作りだすことが、つまり今生きていること全てなのかな、なんて壮大なことを思います。だから、真っ当に行きたいとか、誠実に行きたいとか、そういうことまでは思わないんですけどね、ただ今私が行っている行為は全て点として、パレットなのか、紙なのか、空間なのか、グラフなのかどこに保存されているのかは分からないけど、
その中でも特に残したいと思う点を心の声を聞いてこうやってnoteに記していこうと思います。


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