見出し画像

失恋から始めるわたしのはじめかた㉓~第三章~

ここまでの話

🌸第一章(①~⑬)社会人から大学院生になるまで
26歳恋愛依存の私は失恋して、心理学に出会う。もっと勉強したいと大学院へ進学すべく奮闘し、ついに6年間務めた検査技師の仕事を退職して、東京の大学院へ入学した。

🌸第二章(⑭~㉒)大学院時代
学校の相談室で二週間に一度カウンセリングに通い自分と向き合った。好きなものに好きと言える自分になろうと、再び大好きなお芝居を始める決意を固め年間100本の舞台を観劇。卒業時、厳しい両親に女優への思いを伝える。時代はコロナ真っただ中。芸能事務所に入ったものの…

大学院を卒業したので、第3章に突入です!^^🌸🌸🌸

さて、
大学院を卒業し、女優として羽ばたこう!
と思ったが、世はコロナ真っただ中。
芸能事務所に入ったが案件がない状態だった。

私はエンジンをふかしたまま
待ったをされているオートバイ状態🏍で、
このエネルギーをどこかにぶつけなくては!
と色々なことに手を付けてみていた。

オンラインでいろいろなことをやるのが流行り出し、
私もそれに乗っかりオンラインインプロを習ってみたり、
名古屋時代の友達と台本を交互に書く企画を作ってみたり。
そして、自分でも社会とつながろうと
「ゆる募」という企画を開催していた。

私がSNSでゆるーく募集をかけて(だれでも参加OK)
4人ほど集め、トークテーマを決めて一人3分話す、
という企画だった。
進行は私が行い、集団療法の構成を使い、
ウォーミングアップ、トークテーマ、シェアリング
という流れで進んでいく。
決まり事は人の話に対する批判や意見は言わない事。
全部で40分以内には終わるというものだった。

ゆる募は全8回行った。
色んな人に出会えてとても楽しかった^^🌸

それから、オンラインの可能性に気が付き、
エンプティーチェアという心理療法を
大学院の同期を集めてやってみた後、

劇場がさみしくなっていると本多さんに聞き、
私も何かやろうと思い立ち、
なんとサイコドラマin劇場を開催した!

東京のサイコドラマのプロの監督でも
きっと劇場でサイコドラマをした人はなかなかいないだろう。
でも、創始者のモレノは劇団として実際舞台でやっていたのだ。
できるはずだ。

場所は下北沢の小劇場「楽園」。

新たな試みとして、サイコドラマを
オンラインとオフライン両方で開催する形をとった。
劇場にいる人たちは、実際に演者としても参加してもらい、
劇場にいない人は観客として参加してもらう。
かなり新しい試みだったと思う。

色々な人が新しい可能性を感じてくれて、
楽しんでもらえたようでありがたかった🌸
しかし、大学院を卒業したての私がサイコドラマの監督を
いきなり舞台でやるのは参加者の心理的負担を
見過ごす危険性がある。と思い
一回限りのサイコドラマとなった。

その後、サイコドラマよりもより演劇性が強い
プレイバックシアターを劇場に呼んだりした。

逆境に強いのは私のいいところかもしれない。
制限が多いと工夫しがいがあるので結構楽しくやっていた。

そんなタイミングで私はやってみたい作品に出会った。

長野県上田市で行われる「ワレワレのモロモロ」だ。

ワレワレのモロモロとは、
ハイバイという劇団主催の岩井秀人さんが、
演出と台本の構成監修を務める、参加者が
“自分の身に起こった話を書き、演劇化する”企画だ。

私はハイバイの作品が大好きであった。
何故なら、岩井さんが自分自身の引きこもりの話や
家族の話を演劇にして上演する自分演劇作品が多く、

その作風は、サイコドラマに良く似ているからだ。

岩井さんとの出会いはいろいろ面白いのだがそれはさておき、
私は大学院時代、初めてハイバイの作品に出会ったとき
かなり興奮してした。
これは、まるで、サイコドラマじゃないか…!と。

しかし、
サイコドラマは心理療法であるのでセラピーが目的だが、
ハイバイの作品は言わずもがな、
芸術として人に見てもらうことが目的である。
だから、対象や、得られるものや、過程などはもちろんかなり異なる。

大学院時代から、
自分もあんなことやってみたい・・・
自分の話を舞台でやってみたい。
人に見せたらどんな反応が返ってくるのだろうか。
と思っていた。

サイコドラマとどんな違いがあって
どんな経験を得られるんだろう。

そう思っていたら、「ワレワレのモロモロ」が、
私の大学の地でもある長野県でやることになった!!

即応募した。📄
オーディションは無事合格できた😢✨
私は自分の話を人に見せる形で書くことになった。

とはいえ、
長野で「ワレワレのモロモロ」をやるのなら、
絶対にこれだという話がもうすでにあった。
大学時代の彼氏のことだ。
これは大学院時代のカウンセリングの積み重ねで気が付いたのだが、
私は初めての彼氏に、きっとずっと、母を重ねていた。
彼に愛してもらうことで、母にもらいたかった無条件の愛を
受け取っている気がしていたのだ。
だから付き合っているときはすごく幸せを感じていた。
なのに、大学でモテだし、ミス松本になって、
自分は意外と人から愛されやすいのかと調子に乗った挙句、
私が裏切ることになってしまったのだ・・・。

だから、恋愛の話ではあるが、裏テーマとしては母娘間葛藤
を書いているのだ。誰も気が付かないと思うけど。

その時作った作品はコロナ禍であったため、
舞台上映ではなく、映像作品として
Youtubeにアップされている。
良かったら見てほしい。

この作品の裏テーマを私の母娘葛藤としてみてみてほしい。
なぜ、この最後がああなるのか。
それは、彼に愛されることが母に愛されることと
同意義になっていたからだと思う。
自分がどれほどひどいことをしても、
無条件の愛が欲しかったんだと思う・・・。

ちなみに、こういう作品を作る、ということは
元カレにも、ここに出てくるもう一人の男性にも
事前にちゃんと伝えて了承を得た。

応援してくれたが、元カレさんがこれを見て
どんな気持ちになったかと思うと、
ちょっと申し訳ない・・・

でも私の転換点となる作品になった。
過去の恋愛にはかなり感謝している。
いろんな出会いもあったしね^^🌸


さて、ここからの話は既にnoteに当時の日記があるので載せておく。

台本を完成させるまでの話↓

懐かしの長野へ降り立ち、9日間で作品を作ることとなった過程はこちらに↓

終わった後、心理療法的にワレワレのモロモロが
どう作用していたかを考えて書いているのはこちら↓


さてさて
そんなこんなで、私が大学院を卒業してから
約半年間のことをざーーーーっと書いていった。

実は、ワレワレのモロモロin愛知が今年開催される。
一度参加しているので二度目の参加が許されるかわからないが
もう一度オーディションを受けてみたいと思っている。
実家である愛知県で、今度はちゃんと母娘間葛藤と向き合ってみたい。

自分は感情露出狂なのか、感情のパンツをはかないスタイルなのか。。

でも私は母を責めたいわけではない。

母娘間葛藤の一つの決着のつけ方を
私は演劇と真理のはざまで自分の形で提示したいのだ。

㉔へ続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?