【Vol.602】本を批判的に読む!

【本のタイトル】
知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ

【著者】
苅谷剛彦

【インプット(引用文章)】
私が日本の大学院で勉強を始めた頃、当時の私の少ない小遣いの大半は本代で消えていました。それも、丸善や紀伊国屋書店などの洋書の新刊案内を見て、自分の研究に関係ありそうなタイトルを見つけると、現物を見ずにともかく注文してしまうという買い方でした。奨学金とアルバイト、それに学生結婚をしていたので妻の収入に助けられて生活していた時代でしたが、それでも最先端の情報を得るためには、本を買い漁ることが大事だと思っていたのです。
ちょうど当時は、イギリスで教育の社会学的研究に新しい潮流が現れ始めた時期でした。外国産の新しい知識を学び取ることが研究の上でも大事なと思っていたその頃の私は、この潮流に乗っていそうな本ならば、手当たり次第買っていたのです。その結果、読む速度よりも買うスピードの方が当然速かった。つまり、「積ん読」状態となってしまいました。それでも、外国産の知識の権威を信じていた当時の私は、少ない収入の中から、ともかく本を買い続けました。流行りの思想をなるべく早く身につけることが評価の得られる研究をすることだと勘違いしていた。まさに、知識輸入型研究者の卵だったわけです。
このような態度で本を買っていたときには、著者というのは、すでに新しい潮流に乗って立派な研究をしている「偉い人」だという感じがどこかにありました。後に、研究者として一人前になり、輸入学問ではない自分なりの発信型の研究ができるようになってから、この頃に読んだ著者たちに直接会って話をしてみると、若い頃思っていたほど大したことはないなと思うことが少なくありませんでした。しかし、流行の知識を追いかけていた時代には、本の著者は自分よりも数段上の研究者のように思われたのです。
このエピソードを紹介したのは、知識を受け入れようとするだけの読書では、何か勉強したつもりにはなっても、なかなか自分で考えるようにならないことを示したかったからです。かつて「ニューアカデミズム」などと言って難しい「現代思想」の知識を持っていることがファッションになった時期がありました。「フランスの〇〇は〇〇という著者の中で、〇〇について〇〇といっている」と訳知り顔で知識をひけらかすことが「カッコいい」と思われた時代があったのです。
確かに有名な思想家や学者や評論家の本を読むと、何かわかったような気になります。特に、ちょっと難しい本を何とか読み終えた時など、立派な知識を獲得できた気持ちになって、それだけ自分も賢くなったと思ってしまうこともあります。ですが、知識の需要ということを越えて、本当に自分で考えるようになるかというと、知識を追っかけてばかりいる読書では、なかなかそこまでは至らないのです。
古典や名著といわれる本や、評判になっている著書に接することは大切です。そうした本には思考力を鍛える「何か」が必ず含まれているはずだからです。要はどう読むか、につきます。何かを知ろうと思って読むのか、それとも自分なりに考えるために読むのか。知識需要型から知識創造型に変わるためには、どうしても考えるための批判的な本の読み方が重要になってくるのです。
「批判的」というと、何か攻撃的な、手に取った本を初めから非難するような気持ちで接することだと思う人もいるかもしれません。しかし、ここで言いたいのは、非難するかどうか、攻撃的かどうかということではなくて、著者の思考の過程をきちんと吟味しながら読もうとすることです。著者が書いていることを専門家や有名な評論家、あるいは大学教授が書いているのだからと思って、そのまま鵜呑みにするのではない、そういう態度を持って本に接する。そして、できる限り、書き手の論理の進め方を、他の可能性も含めて検討していく。つまり、対等な立場に立って、本の著者の考える筋道を追体験することで、自分の思考力を強化しようというのが、批判的読書の方法です。

【アウトプット(具体的アクションプラン)】
思考力を強化するために、本を批判的に読む!

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