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書きたいことを心から:ジャッジを手放す創作の喜び

瞑想家ヨギSatokoです。

noteを続けていると、どんな記事を書けばいいのか?何を書けば読んでもらえるのか?悩むところではありますが、それは自分では分からないもの。分からないことを分かろうとしても答えなど出るはずもなく、気が重くなるばかりです。

最近強く感じるのは、まずは自分で良し悪しのジャッジをせず、とにかく書きたいことを掘り下げて書いてみることが大切だということです。それはきっと誰かに届くから。

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先週投稿した「被災で目覚めた生きる勇気」をこちらのマガジンに追加していただきました。

もう少し前に書いた、「猫との暮らしはにゃんとも愉快」もこちらのマガジンに追加していただきました。

スキやコメントももちろん嬉しいものですが、ひと手間かけてマガジンに追加していただけることは、現金をのし袋に入れるような、丁寧に扱われている感があります。

二つとも思うがままに書いた記事ですが、私はいつも心の動きを言葉にするのは時間がかかります。丁寧に発掘した言葉はちゃんと誰かに届くことを実感して、嬉しさもありがたさもひとしおです。

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言葉に込めた想いが誰かに届く瞬間は、noteを書くことの理由を再確認させてくれます。

でもその手前でしばしば直面する最大の敵は、自分への過度の批判、つまり"ジャッジ"です。

「ジャッジしないこと」はヨガの世界でもよく言われることです。

「私には無理」「私はできない」のネガティブジャッジは成長をあきらめることですが、「私はできる」の過度のポジティブジャッジも、実はくせものです。

やる前からできると思いこんでしまうと、できていないことに気が付くのに時間がかかります。ネガティブジャッジと同様に成長をさまたげる壁になります。

良し悪しのジャッジをやめて、自分のやるべきことを全うすることを、ヨガではイーシュワラプラニダーナと言います。

言葉の意味は「神に祈り、ゆだねること」ですが、現実的に分かりやすく言いかえると、自分のやるべきことを全うしたら、結果は「フラットな気持ちで流れに身を任せること」です。

大切なのは、結果に執着せず、今やるべきことに心を尽くすこと。心で書いた記事は誰かにちゃんと届きます。こうしてあなたが最後まで読んでくれることが何よりの証拠です。

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最後までお読みいただき、ありがとうございます。また、次の更新で。

瞑想家ヨギ Satoko




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