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一人の女の子の謎を追う阿部和重の「ピストルズ」と米澤穂信の〈小市民〉シリーズ。

今年の読書を振り返ってみると、舞城王太郎と阿部和重の二人が殆どだったと気づいて少し愕然としました。

 言い訳が許されるなら、その分映画とかアニメ、海外ドラマを見た年だったんです。
 とはいえ、言い訳をしている時点で、僕は良くないと思っているので、来年の2021年にはもっと多くの本を読みたいと思います。

 ちなみに今は米澤穂信の「さよなら妖精」を読んでいます。とある評論家の方がポストセカイ系の作品として「さよなら妖精」を挙げていて興味があって、読み出しました。
 まだ冒頭なので、なんとも言えませんが、米澤穂信作品群ほシリーズ化されることが多く「さよなら妖精」の登場人物が大人になった作品として、「王とサーカス」と「真実の10メートル手前」があり、〈ベルーフ〉シリーズと呼ばれているようです。

 この〈ベルーフ〉シリーズの「真実の10メートル手前」は直木賞の候補に選ばれていて、選評の中でシリーズものである為に、本作だけでは分からない部分があると指摘されていた、と記憶しています。

 他にも、〈古典部〉シリーズと〈小市民〉シリーズがあります。〈古典部〉シリーズは「氷菓」というタイトルでアニメ化しています。
〈小市民〉シリーズは日常ミステリの最高峰と言って良い傑作で、一巻目が「春期限定いちごタルト事件」、二巻目が「夏期限定トロピカルパフェ事件」、三巻目が「秋期限定栗きんとん事件」ときていて、次の冬がタイトリングされた作品で終わると予定されています。

 僕は〈小市民〉シリーズは日常ミステリであることは疑っていないんですが、三作目の「秋期限定栗きんとん事件」は連続放火事件で少々物騒な展開が行なわれます。
 事件そのものより、〈小市民〉シリーズの謎はヒロインの小佐内ゆきの心情が肝になります。
 小佐内ゆきがどのような心情を抱き、如何に事件を引っ掻き回したか?

 それを推理するのが、主人公の小鳩常悟朗の仕事となります。
 とはいえ、高校生の女の子の気持ちが同い年の男の子に分かる訳もなく、最後には「わたし、自分が嘘つきの悪い子だってわかってる」と言う小佐内ゆき自身に自らの心情を語ってもらう必要があるんです。

 そして、その心情が、というか行動理由が納得だし、けど、そこなんだ!っていう絶妙なラインで、僕は大好きなんです。
〈小市民〉シリーズも、そして、広義の意味では〈古典部〉シリーズも本当に謎なのは、隣にいる女の子(男の子?)だったりするんですよね。
 そういう意味ではセカイの謎は常に横にいるんです。

 なんて言うロジックで、米澤穂信をポストセカイ系の作家だと、とある評論家は言っているんだと思うんですが、その辺は「さよなら妖精」や他の作品を読んで理解を深めて、納得していきたいと思います。

 さてさて、今回は別に米澤穂信について書くつもりはなく、今年に読んだ舞城王太郎と阿部和重について書きたいんでした。
 なので、ここからは二人の作家についてなのですが、順番的には阿部和重が1994年に「アメリカの夜」にてデビューし、舞城王太郎はその7年後の2001年に「煙か土か食い物」でデビューをしています。

 何の鼎談だったか記憶はさだかではありませんが、東浩紀が舞城王太郎は阿部和重の影響を受けた作家だと言っており、阿部和重本人に「舞城王太郎、読んだことないの?」と尋ねていました。そして、阿部和重は舞城王太郎を読んだことがないと答えていました(そして、その後の佐々木敦のインタビューで舞城王太郎の名前を出していたので、現在は読んでいるようです)。

 僕としては、まず舞城王太郎を好きになって読んでいて、阿部和重も知っていたし、「ニッポニアニッポン」とかは読んでいたけれど、二十歳そこそこの僕は、それほど好きではないなぁ、という印象を持っていました。
 けれど、舞城王太郎が影響を受けているかも知れない阿部和重という事実は頭に残っていました。

 そんな時に阿部和重と伊坂幸太郎が合作した「キャプテンサンダーボルト」という長編小説が発表されました。
 伊坂幸太郎を愛読していた僕は「これを機会に阿部和重を好きになれるかも知れない!」と思って、文庫本になった機会に「キャプテンサンダーボルト」を手に取りました。

 もうめちゃくちゃ刺さる傑作で、「キャプテンサンダーボルト」に関する阿部和重と伊坂幸太郎のインタビューを読み漁り、互いが互いに影響を受け合っているのも分かって、二人の作家が合作後にどのような作風の変化があったか、ということを知りたくなっていました。

 そんな訳で、もう一度改めて阿部和重に取り組みたい、と思い「シンセミア」という原稿用紙1600枚の大長編にして、代表作を手に取って読み始めました。

 冒頭の「田宮家の歴史」にて、一九五三年アメリカにおける小麦の大豊作によって「パンの田宮」が神町において特異な位置づけとなったか、という歴史が語られます。
 それが非常に面白くて、もうこの冒頭部分だけでも読んで欲しいレベルなんですが、「田宮家の歴史」の後から始まる第一章は「自殺・事故死・行方不明」で、2000年の夏、神町では自殺と事故死と行方不明が起きます。タイトル通りですね。

 当初、この三つの人の生死にかかわる事件が中心になるのか、と思って読み進めて行くんですが、そう生半可なものではなく、UFO絡みの騒動や洪水災害に、町の後ろ暗い歴史の露呈と個人では到底対処不可能な出来事の連続で、登場人物の誰も一筋縄ではいかないどころか、背中を一押しでもされれば狂うのでないかと心配になるくらい追い詰められていきます。

 この感覚について筒井康隆が以下のように書いています。

 たくさんの登場人物にいちいち感情移入して悪が日常化された世界を読み続けているうち、だんだん気が変になってくる。そこではっと気づくのだ。最高級のマリファナを意味するタイトルの「シンセミア」とはこの小説のテーマではなく、この小説そのものがシンセミアなのだと。

 つまり、この小説そのものが薬物のなんだと。
 なるほど、と頷くと同時に薬の効能は、それを飲み込んだ人にしか分からないものです。なので、シンセミアが最高級のマリファナのようだと感じる為には、「シンセミア」を読んでいただく必要がでてくることになります。

 同時に引用した筒井康隆の文章は「シンセミア」の続編として描かれた「ピストルズ」の解説でした。
 さきほど「シンセミア」で起こる事件について並べて分かる通り、幾つもの出来事が重なり、また多数の登場人物が思い思いに行動する物語となっているのですが、「ピストルズ」は菖蒲(あやめ)家の後継者、菖蒲みずきという女の子の物語となっています。

 それはまるで、米澤穂信の〈小市民〉シリーズの謎がヒロインの小佐内ゆきの心情にあるように、「ピストルズ」の中心には菖蒲みずきがおり、また最後まで謎の全てが明かされることなく、物語は終わってしまいます。

 ただ、菖蒲みずきはセカイそのものとも言えるので、前半部分で書いたポストセカイ系とは異なるのですが、一人の女の子の謎を追う、という形で言えば「ピストルズ」と〈小市民〉シリーズは繋がるのではないか、と書いて今回は終わりにしたいと思います。

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