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2022年の夏!ドラえもん映画の夏!豆腐の夏!岡山に行きたい夏!

 最近、ツイッターを開きそうになったら文庫本を開くようにしている。今は、津原泰水の「蘆屋家の崩壊」という短編集を読んでいる。
 僕が持っている文庫本の刊行日は2002年3月25日となっているので、もう20年も前の本になる。読んでいると程よくホラーとミステリーが混ざり合っていて、文庫本の後ろに書かれた「幻想怪奇短編集」に偽りなし、と頷ける作品になっていた。
 個人的には、こういう一篇読む度に軽く溜息をついてちょっと考え込んでしまうような作品が好きだ。もっと、こういう空気の作品は増えて欲しい。
 けれど、同時に思うのは著者に知識と技術がなければ、この手の話は途端に雰囲気が陳腐になって醒めてしまうので、バランスは難しい。

 改めて津原泰水は小説が上手い。
 そんな上手い小説を読みながら、仕事終わりに同人誌に載る小説を書いている。影響を受けるなんて、おこがましいけれど詰まると「蘆屋家の崩壊」を手に取って文字を追っている。

 個人的には表題作の「蘆屋家の崩壊」がやっぱり一番良いけれど、怖っ!ってなったのは「猫背の女」で、「ケルベロス」に関してはラストで主人公が慟哭するシーンで一緒に絶望的な気持ちにさせられた。
 そして、なにより豆腐を食べたくなる!
 主人公と探偵役っぽい位置付けのドラキュラ伯爵が生粋の豆腐好きで、二人で豆腐を食べる為の旅行を計画までしたりする(そして、事件に巻き込まれる)。
 豆腐の説明と美味しそうに食べる描写が最高すぎて、僕は今週の月曜日から豆腐を買っては毎晩食べている。
 美味しい。

 さて、そんな僕だけれど、ツイッターの話題に関しては全然ついて行っている気がする。情報収集にはツイッターは結局、優秀で何人か呟くと通知が届くように設定して、それで世間の流れを知っている節がある。
 りゅうちぇる(正確にはryuchell)に関しては、ちょっと興味を持ったので少し世間の反応を調べた。
 そこで浮かんだのは、中島哲也監督の「来る」という映画の妻夫木聡が演じた外面完璧キラキラ夫だった。ryuchellが抱えたものと「来る」の妻夫木聡は別のものだけれど、周囲からの(あるいは、自分が勝手に作り出した)夫、父親像が重荷になっていく部分は繋がっているような気もする。
 違うかも知れないけれど、その辺はこの先も少し考えていきたい。

 日記を書かなくなってしまったせいで、最近考えていることをダイレクトに吐き出すことはしなくなったのだけれど、考えなくなった訳ではないので、色んなネタは脳内に溜まっている。
 正直、時間さえあれば、と思っている反面、今は考えたことをすぐに書くのではなくて熟成させて形の整え方を学ぶべき時期なんだよ、ともう一人の僕が言っている。

 ちなみに、この夏に考えていたことはドラえもん映画だった。

 僕が好きな評論家の一人、さやわかライムスター宇多丸のラジオ「アフター6ジャンクション」にて、ドラえもん映画について語っていた。
 その中で、さやわかはドラえもん映画は四つの期に分けた。
 藤子・F・不二雄の原作があったのが第一期(1980年~1997年)、藤子・F・不二雄が亡くなってから声優交代までが第二期(1998年~2004年)、声優交代してからの再起動が第三期(2006年~2012年)、旧作を継承しながら新しいことを試し始めたのが第四期(2013年~)とのことだった。

 さやわかは何かを分類させるのが抜群に巧い。
 そして、分類されると途端に興味が出てくる。とくに第三期と四期の違い。
 なぜ、さやわかは2013年の『のび太のひみつ道具博物館』から「旧作を継承しながら新しいことを試し始めた」としたのか。
 そんな訳で、『のび太のひみつ道具博物館』を見て、そこから『のび太の宇宙小戦争リトルスターウォーズ 2021』までの9本も視聴した。

 僕の2022年の夏はドラえもん映画の夏となった訳だけれど、楽しかった。せっかくだし第三期も見たいけれど、これは来年に回そうかな、と考え中。
 せっかく9本のドラえもん映画を見たのだから、近いうちにオススメ映画ドラえもん作品のnoteは書きたい。
 そこで詳しく書くけれど、『のび太のひみつ道具博物館』は別格で、ドラえもん映画をいっぱい見てきた人間からすると、これは確かに新しいことをしている、となった。
 あと、『のび太のひみつ道具博物館』はラストのオチが真っ直ぐで「こんなん泣くやん!」っていう超王道だった。

 超王道って勇気がいる、というか。フリが効いていないと、はいはいお泣かせねってなっちゃう訳だけれど、『のび太のひみつ道具博物館』はというか、第四期のドラえもん映画はあえて超王道に挑戦している感じがあって素晴しかった。
 同じ理由で2020年の『のび太の新恐竜』も、これ絶対に泣かせに来てる! 分かってる! 分かってるんだけど、こんなん泣くわって構造にしていて普通に卑怯やんってなった。

 王道が素晴しいって当たり前のことなのだけれど、色んな作品に触れまくっていると、そういう当たり前を見失ってしまう瞬間がある。
 ドラえもん映画を見ることで超王道の素晴しさを改めて実感したように、あ、王道って良いなって思った小説があった。

 原田マハが岡山を舞台にした小説『晴ればれ、岡山ものがたり』が現在WEBで公開されていて無料で読める。
 しかも、小説で登場した具体的な地名に関しては、小説を読んだ後に写真付きで紹介されていて、サイトの下には具体的な岡山への旅行プランまで提案されている。
 いわゆるPR小説なんだろうけど、エピソードは全て素晴しい。4つの掌編で、登場人物の年代はちゃんと振り分けられているし、彼らが歩いた場所を同じように歩いてみたくもなる。

 おそらくコロナもそろそろ落ち着くだろうし、改めて旅行って良いよねってことを伝える内容にしたのだろう。外へ出て人と一緒に歩いて、カフェにでお茶して、温泉に入って、美術館でゆっくり絵を見て、電車の時刻ギリギリにそれって走り出したりする。
 ここ二年はそういう日常から離れてしまったけれど、人生の中で考えたら必要だし、大事だよね? って優しく問いかけられている感じがあった。

 原田マハの『晴ればれ、岡山ものがたり』を読んだ時、昔友人が一番の贅沢は「遠くに住む友人に何の気兼ねなく会いに行くことだよ」と言っていたのを思い出した。
 贅沢って人に会うこと。
 うん、本当にそうだと思う。

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