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なぜ「災い」は起きるのか?を問う佐藤究『サージウスの死神』について。

 呪いってかかったことあります?
 後輩に言われて、少し考えた。
「その呪いは川端康成が掌編で書いていた『別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます』みたいなやつ?」
「ですです、そういうやつです」
 と言われて、うーんと唸ってしまった。

 後輩が続ける。
「俺、あるんですよ。元カノがバーテンダーだったんですけど、俺の誕生日にカクテルのレシピを一つ教えてくれて。それを飲むたびに、元カノのことを思い出すんですよね」
 あー、なるほど。
 ちなみに、『呪い』を調べると以下のように出てくる。

 神仏その他神秘的なものの威力を借りて、災いを取り除いたり起こしたりしようとする術。

 今回、後輩の話で言うとカクテルが「他神秘的なもの」に当たるのだろう。思い出すことが「災い」かと言えば、少し違うような気もするけれど、心に残るという意味であれば、それは成功している。

「なんとなくだけど、呪いってちょっとマイナスな印象が強いな。君の話を聞くと、思い出は場所やモノに宿るって話で、カクテルがそのトリガーになっているって感じがするかなぁ」
「それはそうかも知れませんね。思い出に浸るっていうか、懐かしいってのが正解かもしれないです」
 で、さとくらさんは、そういうのあります?

 まず、浮かんだのは二十代前半に失恋をして、よしもとばななの『デッドエンドの思い出』を繰り返し読んでいた時のことだった。
デッドエンドの思い出』は「婚約者に手ひどく裏切られた私」が飲食店をやっているおじさんの家に置いてもらって失恋の傷を癒していく、そんな私のもとにやとわれ店長の西山君が気にかけてくれるようになり……。
 という内容で僕は自分の失恋と、『デッドエンドの思い出』の「」の婚約者の手ひどい裏切りを重ねていたのだと思う。

 けれど、「」を癒してくれる西山君のような存在は僕の現実に現れるわけもなく、物語と現実の隔たりを僕は『デッドエンドの思い出』を繰り返し読むことで自覚させられ続けた。
 僕は現実の誰にも救われない。
 物語の「」は読むたびに救われるのに。
 ただ、人が救われていく姿に救われるということもある。

 同時に、人がまったく救われない姿に救われるということもある。
 今回、僕が話題にしたいのは佐藤究の『サージウスの死神』だ。
 呪いが「災いを取り除いたり起こしたり」するもので、『デッドエンドの思い出』が人生の中で起こる痛みを癒す「災いを取り除」く物語だったとするなら、『サージウスの死神』は一人の男の人生が転落していく「災い」が起きていく物語だ言える。

 あらすじは「ビルの屋上に立つ影と目が合った。その日から俺は地下カジノの常連になる。ルーレットに溺れ、賭けに負けて破滅しかけた夜、突然謎めいた蒼白い焔がゆらめき、破滅して……。」というもの。
 冒頭、「ビルの屋上に立つ影」とはこれから飛び降り自殺する男と目が合った。
サージウスの死神』の「」は死体となった男に以下のように問いかける。

 なあ、俺は足もとの男に言った。生きているとたくさんの痛みがある。死にたくなるのもわかるよ。だけど俺は、あんたがこの世で最後に目にした人間なんだ。だから、せめてあんたの物語を教えてくれないか。あんたがどんな人間なのかわからないままだと―—俺も突然あんたみたいに飛び降りてしまうかもしれない。そういうものだろう?

サージウスの死神』の出発点はこの「俺も突然あんたみたいに飛び降りてしまうかもしれない」という行き場のないバトンを受け取ってしまったこと。
 ここから「」はルーレットに溺れ、目が合った男のように「ビルの屋上に立つ影」になる死の予感する方へと進んでいく。
 言い換えれば、それは受け取ってしまったバトンを託す相手を探すような日々なのだけれど、肝心の部分で「」はそのゲームを放棄してしまう。

 物語というのは、狂気を効率よく調査するための、ひとつの装置です。

 中盤から明らかに『サージウスの死神』は冒頭の「ビルの屋上に立つ影」に対する言説を弱め、狂気とは何か? 貨幣とは何か? という根源的な問いへと沈んでいく。
 この時点でもう『サージウスの死神』の「」が死のうと生きようと関係がないとでも言わんとする作者の態度が透けて見えます。

 今回のエッセイの文脈で言うなら「災い」はなぜ起きるのか?
サージウスの死神』の物語には、その答えを探そうとしています。
 そして、純文学においては答えを提示することが必ずしも価値あることではなく、明確に出せない答えの近くまでにじり寄ることに価値ある場合があります。

 そういう点において、『サージウスの死神』はとても優れた純文学作品だった。
 僕自身が、純文学作品を読むのが久しぶりだったのもあり、懐かしい気持ちになって『サージウスの死神』を読んだ。

 答えのでない問いににじり寄っていくような物語が僕は好きだったんだなと改めて実感できる読書体験だった。

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