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生きているだけでみんな尊い。

今朝当日に投稿できず、昨日!、母が通っていた小学校の横を通った。

割とよく使う道で、この日もオットを駅まで送った帰りなので、懐かしくて寄ってみた、ということでもなく、いつものこと、いつもの道だ。



学校前の赤信号で止まり、待っている間に「お母さん、あそこ母の実家からここまで歩いて通ったんだなー。」とふと思った。



母は小さい頃から股関節が悪く、約13年前に右脚も人工関節にして両脚ともが人工関節になったけれど、今も左右の足の長さは違う。

母の主治医はレントゲン画像を診ながら、おそらく先天性股関節脱臼か、もしくは赤ちゃんの時に股関節脱臼を起こしたのではないだろうか、と言っていた。

昔は先天性股関節脱臼もよくみられ、母のように気付かれずに育てしまった人も多くいるそうだ。

(今はそれを防ぐために、乳児健康診断などでの早期発見に力を入れているそうです)


母は戦時中に生まれ、祖父母の父は戦地、祖母母の母は日中は働きに出ており、同じ敷地内に曾祖母祖父の母や親せきは住んでいたものの、曾祖母祖父の母も商売をしていて忙しく、母の股関節のことは、周りの人も祖母《母の母》も、誰も気付ぬままだったんじゃないだろうか。



ぼーっと校門を見ながら、
大腿骨頭がその受け皿である寛骨臼臼蓋から外れ、骨盤の横にズレて固まってしまっているあの痛々しい母のレントゲン画像を見た時のことを、思い出した。

こんな状態で今までずっときてたんだ…と、画像を前に、母の痛みが形になって見えたような気がしたっけ。



母が小学生の時から痛みがあったかはわからない。
でも、小学生の母がランドセルを背負い、股関節が脱臼した足で毎日片道約20分の道のりを歩いていたのかと想像したら、母の今までの人生がどっと脳内に流れ込み、母の人生がとても尊く、とても愛おしく感じた。



そしてどんな人もみんな母のように、自分の人生を生きてきているんだな、とも思った。



私の苦手だったあの子も、すっごく嫌な事を言ってきたあの人も、みんなみんな、それぞれが自分の人生を歩み、自分の歴史を持ってるんだよね。

「生きてるだけで丸儲け by 明石家さんま」じゃないけれど、人は生きてるだけで尊いんだな…。




かといって、すぐにその人たちと仲良くできるのか? と言われたら無理だけど(笑)、リスペクトはできる、のかも。





今まで、避けたい人が現れるとよく現れるんだな、これが、またか…、と自分を責めがちだったけど自分がおかしいんじゃないか?って、「みんな尊い」って思えていたら、「苦手は苦手。でも、尊いは尊い。」って、肩の力もふっと抜けて、少し楽になるような気がしてきたけれど、どうなるの かな?笑






生きてるだけでみんなすごいね。



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