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『帳簿の世界史』 世界で一番美しいのは……という答えに堪えること

 白雪姫のお妃は、鏡を壊さなかっただけ良心的だった。

『帳簿の世界史』,ジェイコブ・ソール著,文藝春秋発行,2018年刊行

「帳簿」、つまり会計という概念を中心に、古代ローマ時代からリーマン・ショックまでの世界史を俯瞰した本……なのだが、田中靖浩さんが執筆した似たような切り口の『会計の世界史』があくまでわかりやすいエンタメに徹して楽しい読み物を展開してくれたのに対して、こちらは割とシビアで人間の業を突きつけてくる、重々しい本になっている。

 この本が繰り返し繰り返し提示するのは、
「会計とは、ある主体(個人であれ組織であれ国家であれ)がどういう状態であるかを正確に如実に伝えてくれる大いなる力である」
ということである。そう、絶対に真実しか述べないという白雪姫の鏡のように。
 それは金銭的にプラスなのかマイナスなのかというシンプルな概念に留まらず、もっと広い現状の把握を可能にし、どうすればより良い状態に持っていけるのかという対策をも示してくれる。
 だが著者はまた、こうも語る。

社会と政治が大規模な危機に直面せず繁栄を謳歌できたのは、会計の責任がきちんと果たされていたごく短い期間だけだったようにみえる。千年近く前から人々は会計のやり方を知ってはいたが、大方の政体や金融機関は、それを実行しないことに決めてしまったらしい。

序章 ルイ十六世はなぜ断頭台へ送られたのか

 ブルボン王朝も、フィレンツェも、オランダも、大英帝国も、ウォール街も、会計の力によって束の間の繁栄をほしいままにしたが、やがて会計に倦み疲れる。それは手間がかかるからでも複雑すぎるからでもない(そういう側面が皆無ではないけれど)。
 会計が己の状態を正確に示す、まさにそのことが嫌になるのである。
 この本に出てくる権力者たちは皆一様に、最初は会計がもたらす財と権力に大喜びして推奨するが、そのうち会計が自らの責任や放漫経営をも突きつけてくること、甘美で抽象的で高邁な理想主義が泥臭い現実に耐えられなくなることに気付いてゆくと、会計を「汚い数字」として貶め、「ないもの」として扱うようになる。
 そう考えると、鏡の言うことを真に受けて、自分の理想に向けて行動する白雪姫のお妃の方が、まだある種の真面目さがあるのかも知れない(笑)。まあその結果が人殺しでは困るのだけど。

 とはいえ、会計を否定する権力者たちも結局は会計にまつわる人々を抹殺していくので、もっとたちが悪い。
 そうやって会計から目を背けてやりたいようにやっていくのだが、現実の方は容赦してくれない。やがて現実の方が追いついて、ブルボン王朝は滅びメディチ家は没落しオランダは衰退し大英帝国は力を失いウォール街は破綻する。その繰り返し。嫌になるほどの繰り返し。

★★★

 読後感を一言で表すなら、「現状を把握するのって、人間にとってしんどいことだよなぁ」というものになる。

 私も、自分の使えるお金を管理する家計簿アプリを使っているけれど、浪費をするので、ちょいちょい赤字が表示される。それを見ると、本当に気が滅入ってくる。滅入るも何も、お金を遣ったのはまぎれもない自分なのだから、自業自得にもほどがある話だが。
 そして同時に、この「気が滅入る」という感情があるからこそ、私はまだ破綻しないで生きていられるとも言える。遣いすぎたなぁと後悔し、次の浪費にストップをかける。あれが欲しいこれも買いたいという浮かれた気持ちに冷や水を浴びせてくれるのは、この滅入った心、そして気を滅入らせてくれる家計簿アプリの赤い数字である。
 もし私が、この滅入る気持ちをなくそうと家計簿アプリなんかいらない!とiPhoneから削除してしまえば、確かにしばらくの間はずいぶん明るく楽しい気分で過ごせるだろう。
 たぶん歴史上の数多の権力者たちも、現状を直視するというストレスに絶えられなかったのだ。権力を持つと、ただでさえ堪え性が失われる。そして現実が追いつく前に、逃げ切ってあの世に行ってしまえる可能性だって全くのゼロではない、そうできるような錯覚を抱くものだ。
 まぁ単なる錯覚で、追いつかれるのだけど。

 この本を読んでから、私は家計簿アプリの数字というものを、白雪姫の鏡として見られるようになった。
 赤い数字は、私の現実だ。否定しても見ない振りをしても、そこから逃げ切ることは結局できない。妃は、鏡にカバーをかけて隠したり、鏡を割ったりはしなかった。彼女は人殺しだったけど、真実から逃げ切れないことだけは知っていたのかもしれない。

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