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【今日の本】

動きが心をつくる(身体心理学への招待)
春木 豊 著 講談社現代新書 2011年


現代は、知が優先している。人間の評価基準も知的活動が優れているかどうかによっている場合が多い。
心理学でも、知の活動を研究する認知心理学が最も盛んである(医学の分野で脳の研究が盛んになってきたことと関係する)が、脳という中枢の存在は、末梢である四肢の活動の集積であって、末梢である体なしに存在しない。


本書は、
「はじめに抹消の身体ありき」
「心は体の動きから生まれた」
「心のはじありは感覚にある」
”心は知のみではない”とする考え方を強調している。


人間は、脳(中枢)のみで存在するとは考えず、末梢もなければならないという当たり前の考えに立ち返る。脳一元主義が中心となっている現代において、身体の動き、感覚といったものが、私たちの気分や感情に大きな影響を与えていることを再発見できる。


❶[3セレクト]


①心が生まれる前


心の起源は動物から始めなければならない。(ここでの動物は「動く物」)
体と心を考える際、最も関係が深いのは感覚器官。感覚期間の発生は意外に古く、5億年前から存在しているムカシホヤにみることができるという。感覚器官が集中しているのは顔面だけれど、顔面は解剖学的には、内臓頭蓋というそう。顔は腸の先端と諸器官から進化したもののようなので、内蔵であるということが理解できる。

顔面が内臓の一種であるということは、内臓系筋肉からなっているということ。つまり、不随意筋である。その後、体壁系筋肉も加わっているので、顔面の動きは不随意筋と随意系が混在している。感情は顔面に現れるので、それに不随意筋が含まれていることは注目に値する。


②動きは脳を前提としない


動きは、脳を前提とせず、生命体と環境とのダイナミックスによって生ずる。はじめに動きがあり、その後に中枢である脳が生じてきた。別の言い方をすると、心が脳にあるとするならば、心があって行動が生じたのではなく、行動があって、心が生じてきたのだということ。動きは、脳を持たない下等な動物(単細胞生物も含む)から始めっているので、動きが動物の根幹であるということもできる。大きな脳を持つ人間の動きも、下等動物の動きを基にして、それから進化したものであると考えることができる。


③心が先か動きが先か


動きと心の因果関係は、常識的には、「始めに思い、次にそれを行動に移す」と考えられている。


一方、思う前に動いているという事実は、例えば、剣の達人などについて指摘されてはいるけれど、熟達者の特殊な場合であると考えられている。この常識に問題を提起するのが身体心理学の考え方だ。


進化論的に言うと、心の発生以前にさまざまな動きが存在していた。すなわち、下等動物においては、心を働かせて、その結果行動する(動く)というパラダイムが通用しない。動物の動き根底においても働いているのでは?
ダーウィンは「人及び動物の表情について」という著書を残している。
ダーウィンは著書の中で、動物が環境の様々な状況に対応したり適応したりするための反応が表情であるといっている。


下等動物になると表情ちった微細な反応は観察できないけれど、大まかな反応(動作)に環境に対する適応反応をみることができる。例えば、ダンゴムシは危険な状態に対して、体を丸めて対応する。表情は、生まれてからの経験や学習によるものではなく、生得的なもの。他人、自分の笑顔を生まれてから一度もみたことがない少年でも、笑顔をもたらす刺激に対して笑顔をみせる。


❷[エピソード]

 
(視線が感情に与える効果)
視線を下に向けると、他の視線に比べてうつ的気分が大きくなった。他の気分(幸福感、楽しい気分など)には、違いがみられなかった。これは、目線を下に捨ことは、特にうつの気分に関係することを示す。姿勢においても、うつむきの姿勢はうつと関係している。


(発声が心理に及ぼす効果)
念仏は、それ自体はあまり意味のあることがではないが、むしろ「なむあみだぶつ」と発生することが、心理に及ぼす効果の方が意味があるかもしれない。


❸[今日からのアクション]


姿勢・呼吸・視線を意識して変えてみる。


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