「パリ、テキサス」

人生で観てきた映画の中で、自分的に「オールタイムベスト」なものを少しずつ紹介していきたいと思います。


男は女を好きになりすぎた。
想像を絶するくらい愛していると思った。

結婚するだけでは、まだ物足りない。
ずっと一緒にいたい気持ちがつのり、男はついに仕事を辞めて家にいるようになる。

誰かを好きになるということは辛いことだ。
そう、恋は辛い。
いくつになっても何度しても、恋は辛い。
何故だろう。

好きになりすぎて「距離感」をなくしてしまい、より一体になろうとする。
片時も離れたくない。一緒にいたい。
始終一緒にいて、カラダを合わせて、時間を共有したい。

でも。

いくら好きになっても、いくら近くにいても、それは決して手に入らない。
相手は「他人」だから。


他人だから。
他人だと気がつくから、もっと近づこうとする。
しっかりこの手で抱きしめようとする。
なくならないように。
逃がさないように。

そして。
距離感を間違えるあまり、大事で大事で仕方ないその人を、傷つけてしまう。
かけがえのないものを、強く抱きしめすぎて、壊してしまう。


愛するあまり、強く愛しすぎるあまり、愛は壊れる。
どうしようもないことなのだろうか。
また、
それは本当に「愛」なのだろうか・・・。


男は自分が作りだした「嫉妬」に狂いだす。
女にも嫉妬させようとする。
嫉妬だけが愛の証だと信じる。

男は女の奴隷のようになり、女の言うことはどんなことでも聞くようになる。
女は妊娠し、自由を奪われたと男を責める。
ことあるごとに逃げ出そうとする。
男は女を、奴隷のように縛り付ける。
女は男と息子を捨て、家に火をつけ行方をくらます。

男は炎に埋まったシーツから飛び出て、後ろも見ずに逃げ出す。
道が続く限り、走って逃げる。
愛したことは間違いだったのか?
自分は何をやったのか・・・。

そして4年間、テキサスの砂漠を彷徨うのだ。
荷物も持たず、言葉も持たず、他人とも会わず。


男と女の間には、深くて暗い河がある・・・。
そんな唄があったけど、そんな関係性を象徴的にとらえた、見事な映像がこの映画にはある。

「のぞき部屋」だ。

4年の放浪の果て、男は息子と一緒に女を捜しはじめる。
そしてヒューストンの下町の「のぞき部屋」で彼女が働いているのを見つける。
男は、女と、そこで客として再会するのだ。
愛を復活させないように心を閉ざして、ストイックに再会するのだ。


「のぞき部屋」では客側から女を見ることが出来ても、向こうからは客の姿が見えない。
つまりマジックミラー。
暗い方から明るい方を見ることはできるが、逆に明るい方から見るとガラスは鏡になっていて暗い方を見ることはできない。
写るのは自分の姿だけ。
向こうからは決して男の姿は見えない。常に一方通行。
声がマイクを通じて伝わるだけだ。

男は、ある友人の話として男と女の話を語る。
女は途中で話しているのが誰だか気がつく。
男は女の部屋の明かりを消させ、自分の顔に明かりを当てる。
女はマジックミラーの向こうに男の姿を見る。
そして逆に、男は女の姿を、見失う・・・。

名人ヴィム・ヴェンダーズはこのシーンだけで「男と女の愛とは何か」を描ききった。

いままで何千という映画が苦労して描いてきた、男女の愛のすれ違い、男と女の距離感、そして「愛のように見えたものの姿」を見事に象徴してみせたのだ。たった一場面で。

マジックミラーには自分の顔が写っている。
ぼんやり見える女の顔に重なって、自分の顔だけがはっきり見える。
なんてすごい場面だろう。
男の、女への「愛」を象徴するかのようだ。

相手への愛のように見えたもの。
それは「自分への愛」なのだ。

女を愛していたように見えて、男は「自分を愛していた」のだ。
自分が可愛かったのだ。
自己愛であり自己憐憫でありエゴなのだ。
愛している自分、愛しすぎている自分を愛しているのだ。
自分が嫉妬する分だけ、相手にも嫉妬して欲しいのだ。
自分が好きな分だけ、相手にも好きを求めるのだ。
自分が苦しんでいる分だけ、相手にも苦しみを与えたいのだ。
相手が傷つくことより、自分が傷つかないことの方に本当は関心があるのだ。

そう、それは自己愛にすぎない。


ボクたちは、わりと気軽に「愛」を口にする。
でも、それは決して相手のためではない。
自分のためなのだ。
そもそもそのレベルの愛とは、すべて自分のためだけのものなのだ。

そして・・・だからこそ・・・男は、去る。

息子は、女の胸へ帰っていく。
女はそれを受け入れる。

でも。

男は女の元に戻れない。
また壊してしまうだろう。また傷つけてしまうだろう。
それが、男は、わかったのだ。
自分が可愛いための「愛」ではなく、本当の「愛」を男は彷徨いの果て、理解したのである。

女を、そして息子を愛するために必要なこと。
それは「自分が去ること」だったのだ。

男はそうして、本当の愛を理解した。



どこまでも砂漠が続くように思える乾いた「テキサス」。
そのどこかに「パリ」はある。そう、実際にパリという地名がある。

男にとって、幸せの象徴であり潤いの象徴でありそして救いの象徴でもある「パリ」。
女と息子と三人で、いつか住もうと思っていたパリ、テキサス。

本当の愛を知った男はいつかそこにたどり着けることだろう。

砂漠のどこかに、「パリ」は、きっとある。
ヴィム・ヴェンダーズは救いをそこに残す。
そして、「ベルリン天使の詩」という救いそのものの映画を3年後に撮るのである。


この映画には「愛」のすべてが入っている。

観直すたびに、そう思う。
そして、そのたびに涙にくれるのである。
観終わってこんなに消耗する映画は、そうはない。



ヴィム・ヴェンダーズはこの映画を「アメリカ映画へのオマージュ」として撮ったらしい。
彼は「アメリカ人が撮れなくなった真のアメリカ映画を撮りたかった」と語っている。
テキサスの荒涼とした風景の中の男と女。
ちょっと「シェーン」のようなラストシーン。
そう、これは彼の中での西部劇でもあるのだ、と思う。
そして「本当の愛」を描かなくなったアメリカ映画への訣別でもあったのだと思う。

※※
特筆すべきはライ・クーダーの音楽。
心の乾きをスライド・ギター1本で表現しきっている。シンプルにディープに。

※※※
「ストレンジャー・ザン・パラダイス」のジョン・ルーリーが一瞬出てくる。その存在感は圧倒的。
やっぱり彼はただものではない、と実感する瞬間。


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オールタイムベスト映画

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