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ちょっと気になる言葉

「時代」「時世」

差別やハラスメントに対する「多様性の時代だからダメ」「もう令和なんだからダメ」「ご時世的にダメ」という戒めの仕方には、ツッコミを入れたくなる。「相手を傷つけるから」ダメなんだろ、と。

もちろん「昔の常識は通用しない」という感覚が浸透するのは大事だ。でも、差別やハラスメントが許されない理由を、今の「時代/時世」に求めてしまったら、問題の本質から目を背けてしまうことになる。そもそも、もっと前から傷ついてきた人はいるはずで、そういう人たちの苦しみを無視してしまうことにもなると思う。

「社会に出る」「社会人」「社会進出」

大学4年ということもあって「卒業したら社会に出る」とか「もうすぐ社会人になる」という言葉に触れる機会が多いけれど、その度に引っかかる。いま自分がいる場所は「社会」じゃないのか?

「女性の社会進出」という言い回しも気になる。(一部の)女性は、まだ「社会」に進出していないのか?

辞書を見る限り、この場合の「社会」は「(自立して生活していく場としての)世の中。世間。」という意味らしい。それを知ってもやっぱり、しっくりこない。人間は、この世界に生まれ落ちたその瞬間から、もう社会に出ていると言えるんじゃないか。個人的には、そういう解釈の方が腑に落ちる。

「妊娠していない」

女性芸能人の結婚を伝える記事に「なお、○○は妊娠していない」という言葉がくっついていることが多い。この一言は、何のためにあるのだろう。できちゃった婚かどうか、なんてことはどうでもいい。もしかしたら「これからも仕事を続けていく」ということを伝えるためなのかもしれない。そう考えれば、少しだけ納得がいく。

でも、やっぱりもやもやする。たぶん、僕が違和感を抱くのは 「結婚したら子どもをつくる/つくれるのが当たり前」という価値観を押し付けられている感じがするからなんだと思う。

「標準語」

「標準語」が「方言」と対になるものだとすれば、「方言」は「標準」ではない言葉ということになる。だから、東京で暮らす地方出身者としては「標準語で話して」と言われると、方言を見下されているような気分になってしまう。「共通語(日本全国で通じる言葉)」という概念が、もう少し広まってほしいと思う。

「障がい」

「障害」の「害」という字には負のイメージがあるという理由で、「障がい」という表記が一般的になりつつある。でも「じゃま」とか「さしさわり」という意味をもつ「障」という字にだって、負のイメージはある。だから、「害」だけをひらがなにしておけばいいんでしょ、みたいな思考停止に陥ってはいけないと思う。もちろん、当事者がどう感じるか、という視点がいちばん大事だけれど。

「東日本大震災を思い出してください」

大きな地震が起こった元日。テレビのアナウンサーは「東日本大震災を思い出してください」と呼びかけながら、避難を促していた。そのこと自体に違和感はなかったけれど、10年後、20年後に同じような呼びかけをしても、若い世代にはピンとこないかもしれないと思った。

これから、東日本大震災をリアルタイムで経験していない人が増えていく。そういう人たちに対して、災害が起こった時にどんな呼びかけをすればいいのか。過去の教訓をどのように伝えていけばいいのか。これから教員になる自分にとっても、大きくのしかかる課題だと思う。

「終わりが見えません」

被災地の復旧状況を伝えるリポートで「終わりが見えません」という言葉が使われることがある。この言葉は、何だか他人事のようにも聞こえかねない。もし自分が被災者の立場だったら、その一言に心をくじかれるかもしれない。

もちろん、復旧があまり進んでいないのであれば、その事実は正確に伝えなければいけない。ただ、被災者の方は必死で今を耐え忍んでいるのだから、その不安に寄り添うためには、少しでも希望を与えられるような情報を発信する必要があると思う。

「復興の道筋みえず」という見出しに対しても
同じことを言いたい

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考えすぎだとか、揚げ足をとっているだけだとか、斜に構えているだけだ、とか思う人もいるかもしれない。でも、こういう見方をする人が、世の中に少しはいてもいいんじゃないかと思う。「当たり前」だとされていることに対して、ちょっと立ち止まって、違う角度から光を当ててみる。その営みの大切さを、僕はこの4年間、文学部という場所で学んできた。4年前の自分だったら、こんな記事は書けていないはずだ。

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