小説「モモコ」第5章〜2日目:誘拐後〜 【18話】
「モモコちゃん、君は特別なんだよ」
導師と呼ばれる小太りの男は、諭すように語った。
たぶんここは、そう、北九州方面ね。でも、小倉までは行かない。この距離なら飯塚は超えているはず。中間市...?
いえ、直方市の東寄りといったところかしら。
モモコは、エレベーター前で拉致され、車に押し込められてからずっと、その道中で得た情報をもとに現在位置を割り出そうとしていた。車中では目隠しをさせられていたが、体感的な走行速度と走行時間、右左折の回数と頻度、車外の音声さえあれば、おおまかな地理を特定することは、モモコにとってさほど難しいことではなかった。
車から降ろされたモモコは、室内に通された。すぐに目隠しを外されると、二十畳ほどの畳部屋に立っていることに気がついた。部屋の中心には木製の座敷机が置かれている。それを挟むようにして、モモコは導師と対面して座らされた。
そしてその少女は今、導師と名乗る男から、君は特別だ、と口説かれているという構図になる。
見知らぬおじさんに拉致されたという前提を抜きにしても、ずいぶんとひどいありさまね。モモコは心の中で自分の不甲斐なさに苦笑した。
「ええ、知っているわ」
モモコは淡々と返した。思考はいつも以上に冴え渡っていて、不思議と恐怖は感じない。いまは負の感情に支配されている場合ではないと、身体中の細胞が自覚しているようだった。
部屋の襖は全て閉じられていた。隣にも部屋があるのか、あるいは庭になっているのか、部屋の外のことは一切分からない設計だ。そのせいか、日中であるはずにも関わらず、室内は薄暗く、空気が重たく感じられた。
導師は、セミナー会場で雄弁に語っていたときのきらびやかなスーツから打って変わって、落ち着いた藍色の和服と袴に着替えていた。部屋の隅には、屈強な体格の男が一人、スーツに身を包んだまま立っている。ボディガードか何かだろう。
うん、やっぱり、この人たち、なかなかいい仕事をするわね。
モモコは、碧玉会の手際に感心していた。エレベーターから降りた瞬間、口と頭を押さえられ、声を封じられた。もう一人がそのままエレベーターを操作して地下の駐車場に連れられた。見事な手際だ。ルンバからすれば、急に忽然と姿を消したように思えているだろう。
車中は目隠しをされ、室内に通されても襖は全て閉じたまま、外の情報を一切与えないことを徹底している。私にはあまり意味を成さない工夫だけど、拉致の手法としては、十分に評価に値するわ。
おそらく、拉致されたのは私が初めてではない、とモモコは思った。そうなると、拉致のたびに発生する失踪案件を、何度も揉み消してきたことになる。
揉み消せるだけの太いパイプがあると見て、大きく外れてはいないでしょうね。そう例えば、
「警察とか」モモコはぼそりを声に出した。
「ん? 何か言ったかな?」
導師がにこやかに語りかけてくる。
「ごめんなさい、第一印象のせいね。失礼だけど、あなたの着物姿にどうにも違和感を感じてしまうのよ」
モモコは媚びるような目線で牽制した。
「ははは。先ほどまで着ていた服が派手だったからね」
導師は少しも苛立ちを見せることはなく、おおらかに笑った。いや、笑ってみせたというべきだろう。
「なかなか慣れないのも無理はないかな。わたしはね、日本のものが本当に好きなんだよ」
終始笑顔を崩さない導師は、孫を見るような柔らかい表情をしている。
この人たちは、私がUFDで生まれたことを知っているのかしら? まず一番に私が知らなきゃいけないのはそれね。それ次第で、私の身の振り方が変わってくるわ。
「私も和服は好きなのよ。このお部屋もとっても素敵」
「ありがとう。そう言ってもらえると思っていたよ」
「ねえ、そういえば、結局あのときお名前を聞けなかったわ」
「ああ、そうだったね」
導師が一瞬だけ表情を強張らせたのをモモコは見逃さなかった。いまの一瞬で、本名を言うか言わまいか、判断したのだろう。
「坂田だ。坂田欣一郎という」
坂田の名乗る男は、更に顔面を崩して、にっこりと笑った。
「ふーん、嘘じゃなさそうね」
「ああ、やっぱり疑われてるのかな? でもどうして嘘じゃないとわかるんだい?」
「あなたみたいな神経質なタイプの人は、無用な嘘はつかないからよ。偽名を使うくらいなら、そもそも名乗りすらしないでしょう」
そうでしょ? と、モモコは部屋の隅に立つボディガードらしき男に目をやって付け加えた。
「いやはや、さすがの洞察力だ。感心したよ」
導師はわざとらしく手を叩いてみせると、座敷机に置かれた茶飲みに手を伸ばし、少しすすった。中国の漢方から作った特製茶だと促されたが、モモコは何も言わず、ただ首を横に振った。
「それに、立場をわきまえることもわかっている。とても10歳の少女の立ち振る舞いではないね」
モモコは黙って話を聞いていた。
「君は、浦島モモコちゃんだね。いや、それとも」
数秒の沈黙が流れた。
「犬養モモコ、と呼んだほうがいいかな?」
「あら、やっぱり」
モモコはまっすぐと坂田を睨みつけた。
「坂田さん、あなた、どこまで知っているの?」
坂田は動じることなく、両手を振って大げさなジェスチャーをして見せた。
「それは難しい質問だね」
導師はあからさまに不敵な笑みを浮かべている。
以前パパが言っていた瞬間が、ついにやってきたんだわ。モモコは五年前の会話を思い返していた。
〜つづく〜
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