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怒り、アンガーマネジメントについて

最近、怒っている人と話をしているので、怒りという感情について考えました。

怒りという感情はとても厄介で、なかなか自分でコントロールするのが難しいという方も多いのではないかと想像します。
僕もかつてはそのことで悩みました。怒りをコントロールできない自分が嫌で仕方なく、怖いとさえ思っていました。

怒りとうまく付き合えなかった頃は、怒りが沸いてきたときに、それを抑えつけようとしていました。
しかし、それは消えたわけではないので、また別のところで歪みを生んだり、膨れ上がって暴発したりします。

抑えつけるのではなく、怒りにはお礼を言って引き取ってもらい、自分が大事にしたいものを大事にするという健全な形に昇華してあげるのがいい方法だと思うようになりました。
(とは言え、僕も決していつも上手にできるなんてことはなく、まだまだ道半ばです。)



僕は、怒りという感情は病に似ていると思っています。
誰も好き好んで病気になりたいわけではないけれど、病気になることで、例えば食生活とか生活習慣とか、心のあり方とか、自分の生き方を見直せることがあります。
それこそが、病の意味というか、それを体が病という形で知らせてくれていると思っています。

怒りもやはり同じではないか、というのが僕の捉え方です。
昨年、感情を司っているのは体だということを学びました。だからこそ、体が変われば心が変わったりします。
また、体は意味のないことをしない、ということも学びました。必要なことしかしない。

だとすれば、感情というものも、意味があって体が出してくれているのだと思うようになりました。
だから、怒りも体が僕らに何かを知らせてくれるサインだと考えた方がいいと思うのです。



では、何を知らせてくれているのでしょうか?
それは、自分が本当に大事にしたいものは何か、ということだと思います。
自分自身の中にある、その望みや求めているものを見つめさせてくれるものが怒りだと考えた時、怒りは抑えつけてなくすべきものでなく、ありがたいものに変わります。

怒りが沸いた時には、その根源は何なのかを感じ取ろうとします。
自分は一体なにを大事にしたいんだろう?
そのことに思い当たった時、その根源的な願いを持っていた自分を、自分で癒してあげることができます。
そうだったのか、気づいてあげられなくてごめんね。
そして、それを教えてくれた怒りさん、ありがとう、と引き取ってもらうことができるのです。
また必要な時は助けに来てね、と送り返してあげればいい。



この工程を踏まずに、怒りに飲み込まれてしまうと、人間関係に不幸を生んでしまいます。
その時に邪魔をするのが価値観です。特に、正しい/間違っている、善/悪という価値観がとても厄介です。
これは、一人一人が生まれた後に身につけたものであって、本能的であったり、本質的なものとは違います。

社会通念が変われば価値観も変わったりしますし、人は学び成長するものなので、それと共に価値観も変化します。
一人一人が持っている価値観も異なります。

ですから、異なるもの同士を戦わせている限りは、相手との溝は決して埋められなくなってしまいます。
相手が間違っていて、自分が正しいと思い込んでいるうちに、思い通りにならない相手に翻弄され、ますます怒りの感情に飲み込まれていき、自分の心を置き去りにしてしまいます。



私たちは長い間、善悪の区別をつけましょう、道徳的に良い行いをしましょうと教えられてきました。
しかし、そのことにあまりに固執していると、本当に自分が大事にしているものを見失ってしまうことも分かってきました。
そろそろ、正義感や道徳心にもお礼を言って引き取っていただく時代になってきたのではないでしょうか。

怒りという感情のマネジメントは、正しさを超えて人と人が分かり合う時代に、ますます求められていくことかもしれません。

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