見出し画像

余裕は空っぽの片手から

先日、僕の豆腐づくりへの愛について熱く書きました(笑)

生産者と言われる人たち(広く言えば、ものづくりをする人だけでなく、芸術家もサービスを提供する人も、色んな人が生産者だと思う)は、なぜそれをするのかと言えば、「好きだから」に集約されるのではないかと思う。
作ることは楽しいのです。

けれど、その好きなことを商売にしてやっていくうちに、不幸なことにとても苦しくなっていくことがある。
もちろん好きなことをやっていても苦しいことは必ずあるけれど、それが好きではなくなってしまうほど苦しくならない方がいいと思う。


なぜ好きなことが苦しくなってしまうのだろうか。
それは余裕のなさが原因だと僕は思っている。
余裕というのは、時間の余裕、気持ちの余裕、お金の余裕など、さまざまだ。
いずれにしても余裕のない暮らしの中で、生産者は苦しくなっていく。

では、生産者から余裕を奪っている原因はなんだろうか。
僕はそれが生産と消費の分断にあると思っている。
これが別々のものになると、消費者は生産者にたくさんのことを求めてしまう。

かわいいパッケージにしてほしい。
値段は安くしてほしい。
原材料は厳選してほしい。
サービスはよくしてほしい。
SNSでこまめに情報発信してほしい。
ネットで簡単に買えるようにしてほしい。
問い合わせには迅速に答えてほしい。
家まで届けてほしい。
たくさんの機能をつけてほしい。
アイテムのバリエーションはたくさんほしい。
コラボ商品や季節商品もほしい。
などなど・・・

生産者も、消費者の期待に答えることが誠実な態度だと思い込み、それができなければ選ばれないという恐怖におびえ、無理をして実現しようとする。
しかし、真面目に作っている生産者ほど、作ること自体にすでに大きなエネルギーをかけているのだから、それ以外のことなど本当はできるはずがない。
袋詰めやパッケージをしたり、荷造りをするだけでもどんなに大変なことか。
僕など、一時は領収書1枚書くことすら負担だった。

作る人は、普通に作るだけで生きていかれる優しい社会の方がいい、と僕は思う。


一方で、消費者にとってはどんどん便利な社会になる。
スーパーやショッピングセンターに行けば、一箇所であらゆるものが手に入る。
それどころか、家にいてスマホ一つですぐに欲しいものが手に入る。
消費者の方も忙しく余裕がないから、便利さに拍車がかかる。

生産と消費が分断されることによって、このようなアンフェアな状況が生まれてしまう。
相手のことを想像できないから、レビューや口コミで好き勝手に生産者の仕事を評価する。


これは、消費者が悪くて生産者が偉いとか、そんな話ではない。
どんな生産者も、別の場面では消費者だ。
この立場の違いと分断を乗り越えていく必要があるのだと思う。 

きっと誰もが生産者になれるのだと思っている。
自分が消費者だと思う人は、まずはご飯を作ることとか、簡単なことから始めたらいいと思う。
お金に頼らないことを考えたら、きっと色んなことが思いつくはず。多分そのすべてが生産=自給なのだと思う。
けれど、何でもすべて自給するのは不可能だ。
その時に仲間(カンパニー)が必要になる。
仲間と一緒に作ったり、分かち合ったりすればいい。


そして、もう一つ有効なことは、生産者を支え、共に作ること。
お金のある人は、金銭的に生産者の暮らしを支える。
お金のない人は、体を動かしたり、頭を動かしたりすることで支える。
作業でも、事務仕事でもいいと思う。
あるいは、宣伝が得意な人はそれでもいいし、農繁期で忙しい農家さんの家事を手伝ってあげることだっていいと思う。
自分にできる方法で、生産者の暮らしが続くようにしっかりと支えてあげつつ、一緒に作る。それも自給の一つだと思う。

パッケージされた有機野菜をスマホで注文して届けてもらうのではなくて、畑に出向いて裸のまま野菜を受け取れば生産者の仕事が減る。
ついでに一緒に汗を流して草取りをしたらもっと助けになるし、何よりその方が楽しい。
作ることは楽しいことだから。


生産者は、忙しく追われて仕事をすることから離れましょう。
それよりも支えてくれる仲間(カンパニー)を探しましょう。
特に零細な生産者は、大手の真似事をして行き届いたサービスをしようと思わなくていいと思う。
今はサービスがあまりにも過剰だ。
余計なことを考えずに、好きな仕事に集中できる環境を作っていく方がいいと思う。
大きなことを考える必要はなくて、ただ好きな仕事をして、自分や家族、そして大切な仲間の幸せだけを考えればいい。


そのうちに、お金というものが意味を成さない時代がやってくると思う。もしかしたらそう遠くないのかもしれない。
その時には、例えば食糧が足りないからといって、お金を積んでみても何の役にも立たない。
役に立つのは人間関係だけだ。

僕らには、まだ数は少ないけれど継続的に支えてくださる会員さんや、物々交換でお互いに支えあっている人たち、毎週通ってくれる常連さんたちがいる。
もしも食糧不安が訪れたとしても、この人たちの分だけは何とかして確保したいと思う。
最後に頼れるのは、そういう人間関係だけだと思う。


そして、生産者はお客さんや取引先に媚びへつらうをやめましょう。
作るという行為、本質的な価値をこの世に生み出している行為がどんなに尊いか。
自信を持って胸を張って生きましょう。
好きな仕事をさせてもらい生かされていることへの感謝を胸に、片手には自信を携えて、もう片手は大切な人たちために何かを差し出せるように空けておきましょう。
好きな仕事を好きでい続けられる余裕は、その空っぽの片手から生まれるのだと思う。
僕はそんな生産者でありたいと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?