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猫や赤ちゃんのように

我が家には、1匹の猫と、1人の赤ちゃんがいます。
両者に共通しているのは、予定がないこと。(当たり前だけど 笑)
二人とも、特別なことは何もせず、寝たり、ご飯をもらったり(赤ちゃんはおっぱいだけど)、おしっこをしたり、うんちをしたり、たまに怒ったり、喜んだりして、一日を過ごしています。
けれど、誰にも文句を言われないばかりか、かわいがられて、それでいて人にたくさんの幸せを与えてくれています。
僕は、生まれ変わるなら飼い猫になりたいものだと、ひそかに願っています(笑)
 
猫はそのまま同じように一生を過ごすわけだけれど、人間の赤ちゃんはそうはいきません。
年を重ねていくにつれ、そんなことでは許されなくなっていきます。
小学校の歳になれば、学校に行かずに赤ちゃんのように過ごしていたら、「不登校」のレッテルを貼られて、修正をせまられてしまう。
どうして赤ちゃんはよくて、小学生はダメなのでしょう・・・?
 
僕ら大人はもっと厳しい世界で生きています。
何もせずにただ生きていることなど到底許されない。
そんな暮らし方をしたものなら、怠け者、無責任と世間から罵られることになります。
それは、生活保護に対する偏見や軽蔑のまなざしに見て取ることができます。
言い換えれば、勤勉に働き、自力で収入を得ることを、強く求められる社会と言えると思います。



日本の公的扶助の仕組みもそのように設計されていると思います。
僕も去年から自分の収入だけでは暮らしていくことができなくなってしまったので、公的扶助のお世話になってどうにか暮らしています。
何とかそこから脱却しようと一時は必死になって無理な働き方をしたものだけれど、それでは続かなくなってしまった。
しかし、これにお世話になっている限りは、定職について勤勉に働くように強く圧力をかけられます。(僕のような自営業者でさえも、ハローワークで求職活動をしなければならない。)

児童扶養手当など、他の公的扶助の窓口でも同じですが、彼らのすることは、一に不正受給の疑いをかけること(僕など手当て目的の偽装離婚を真剣に疑われた)、二にちょっとした不備につけこんで支給を打ち切ろうとすること。
少なくとも生活の心配をする窓口ではないというのが、僕の実感です。(毎月の報告用紙の困りごとを書く欄に一度書いてみたが、全く黙殺されたのでもうやめた。)
 
僕にすらこのうように冷たい態度ですが、生活保護の受給者はもっと冷酷な態度を取られているところを、僕は同じ窓口に通っているので、たびたび見かけます。



先日は、国保料と住民税が払えないので市役所に相談に行ったけれど、国保料はコロナの関係で一時的な救済措置があるものの、住民税はどんなに苦しかろうが納めるしかないようです。しかも、延滞すれば年率8.7%の延滞税が加算されるそうで、我が町の市役所には税務課にデカデカと「延滞金8.7%!!」と脅し文句が掲げられているので驚きます。
しかも、市税を延滞していると、市民サービスが受けられなくなることがあります。例えば、先日新生児の聴力検査がありましたが、これも市税の滞納があると費用を補助してもらえません。
セーフティネットというのは、何かと引き換えでないと受けられないということでは機能しているとは言えないと思います。
 
水道代や電気代や払えずに止められた経験をどれほどの方がお持ちなのか分からないけれど、本当に止められます。
現代の暮らしで、電気・水道・ガスが止められたら、それは息の根を止められるに等しいのではないかと思います。(だからこそ、災害の時はインフラのバックアップが急がれるわけで。)
僕はこのようなインフラは、生活に必要最低限の分は無償で供給されてもいいのではないかと思っています。



なんだか愚痴ばかりの話になってしまいました(笑)
僕が言いたいことは、誰でも猫や赤ちゃんのようにただ生きていることが受け入れられる社会にしていった方がいいなぁということです。
なぜなら、僕らはみんな、生きているだけで誰かに幸せを与えているからです。猫や赤ちゃんには敵わないかもしれないけれど。

よくベーシックインカムを導入したら、みんな働かなくなる、という主張がありますが、僕はそうは思いません。
もちろん働く時間は減るでしょう。それは社会に余裕が生まれ、皆が優しくなるのでいいことだろうと思います。
少なくとも「収入を得るために」働くということが少なくなるはずなので、もっと純粋に働くことの意義を考えられるようになると思います。

自分がただ存在として受け入れられ、自分自身でも自分を受け入れられた時、初めて人は他者に対して純粋に与えたいという気持ちを能動的に持てるのはないかと思います。
だから、みんなが働かなくなる、ということはないと思います。
 
ただこの世に生を受けたことで祝福される社会。
ただ生きていることが受け入れられる社会。
まず大前提としてそれが整った社会にしていきたいなぁと思います。
その上でこそ、僕らは本当の意味で自己実現や利他のための営みに安心して向かえるのではないか、と思うのです。
 
でも、大事なことは、そんな世界を革命的な手段で達成していくのではなくて、もっと静かに静かに、仲間と手を取り合って自分たちの周りから少しずつ平和に創っていくことだと思っています。

 

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