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コミュニティ型の豆腐屋/パン屋にしたい


先日「風の時代を生きるために」のグループでお話させていただいた時に、僕の思い描いているものを、どう言葉にしたらいいか考えているうちに、このことに思い当たった。

「コミュニティ型の豆腐屋でありパン屋」。
それかなぁ、と。

コミュニティという言葉自体は、正直まだしっくりきていない。
他にもっと適切な言葉が見つかれば置き換えたいけれど、今のところ見つからないので、とりあえず「コミュニティ」としておこうと思う。


コミュニティとは、国とはまったく関係のない人の集まりだと思っている。
極端なことを言えば、外国に住んでいる方ともコミュニティは作れる。
ある種のざっくりとした価値観を共有できる仲間=カンパニーの集まりと言えるのかもしれない。

この中で生きていくことで、世の中の理不尽でおかしな仕組みから外れて生きていくことができるんじゃないかと思っている。


今日は保健所の検査があった。
豆腐製造業の営業許可を更新するための検査だ。
今回の更新手続きには、食品衛生法の改正によって、新たにHACCAPの考え方を取り入れた衛生管理をしているかどうか、の確認もあった。
これも、理不尽でおかしな仕組みの一つだ。
言葉は悪いが、くだらない、としか思えない。

食品の製造工程の一つ一つにおいて、衛生管理上の注意点を項目化して、製造作業のたびにチェックをつけて、書類で管理する。
大豆の加熱においては、「何℃で何分加熱を行った」とか、そんなことだ。
それを一つ一つの製造工程のすべてで行っていくらしい。

しかも、それがどんな小さな食堂でさえも、すべての食品事業者に義務付けられた。

国会議員や官僚の皆さんは、一度飲食店で働いてみたらいいと思う。
僕は大学4年間◯スバーガーでアルバイトをしていた。
お客さんが混み合うお昼ピークの時に、いちいちハンバーグパティ一つ一つの芯温と加熱時間を計ってチェック表を付けている場合だろうか。
そんなことをしてる間に、せっかくのおいしいハンバーガーも冷めてしまえば、お客さんのしびれも切れてしまう。

誰のためのシステムだろうか?と首を傾げざるを得ない。

食中毒を防ぐための衛生管理を徹底しようと思ったら、ルールで縛っても仕方がないと思う。
それよりも、本当においしくて命の糧になる食べ物を作るのがいい、と食品事業者が思える社会を作ることだと思う。

なぜなら、自分や食べてくれる人が、おいしくて健康になって、喜んでもらえる食べ物を作りたいと思っていたら、食中毒が起こるような管理はしないのが当然だからだ。
チェック表云々の問題ではない。

本当はこんな馬鹿らしいことはやめたい。
けれど、現在の仕組みの中で豆腐製造業を続けるのであれば、逃れようがない。


では、どうやったら逃れられるか。
その一つの答えがコミュニティだと思う。
当たり前だけれど、自分の家の自給のために作るのであれば、HACCAPなど関係ない。
コミュニティも同じだ。コミュニティで自給するために作る食べ物であれば、HACCAPも関係なければ、食品の表示も関係ない。

現に、僕は〈風が抜ける森〉というコミュニティメンバーに送っている豆腐や油揚げに、原材料表示もしていないし、デザインされたパッケージなどしていない。
自給ならば必要ないからだ。
かといって、手を抜いて作るわけではない。
できる限りおいしいものを作るようにベストを尽くす。


インボイスなんかも同じだと思う。
来年始まる予定のインボイス制度は、実質は、消費税の免税点をなくして、どんな零細業者にも消費税を納税させる仕組みだ。
消費税は、例え赤字でも否応なしに納めなければならない。
貧しい者ほど負担が大きくなる、理不尽極まりない税金だと思う。

こんなおかしな仕組みからも逃れようと思ったら、コミュニティ内で、法定通貨に依らない交換なり与増なりをしていけばいいと思う。
税金と関わりのないやり取りをするということだ。


国家権力の及ばない範囲を暮らしの中に作っていくことで、理不尽でおかしな仕組みから離れて生きていくことができるのではないだろうか。
自給にはそういう意味合いもあると思う。
だから、僕は人生を自給したい。

聞こえが悪いけれど、ある意味では無法者になっていくということだ。
網野善彦さんがおっしゃるところの、無縁の原理にも通ずるのかもしれない。

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