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金田一耕助と新島襄

名探偵金田一耕助と京都の同志社大学の創始者新島襄の関係。
 
戦後、シャーロックホームズのシリーズを個人で完訳なさった延原謙と言う翻訳家がおられるのですよ。この訳は今でも新潮文庫版で読めます。この人の父親が同志社卒で新島襄の弟子の伝道者。
 
馬場種太郎と言う方で卒業後は新島襄の推薦で札幌農学校にゆかりのある札幌独立教会に赴任しています。しかし体調を壊し、京都に移ったところで天に召されるのですね。没年31才。
 
残された母子は郷里の岡山へ。延原謙もこの時、津山の教会で洗礼を受けています。家では万朝報をとっていたと言うのは、父親の関係からだろうと述懐しています。内村鑑三との接点があったのでしょうか。
 
早稲田大時代にたまたま書いたものが森下雨村の目にとまり、その関係で雑誌「新青年」の編集長に。戦前戦後と多くのミステリー作家を輩出し、幾つもの翻訳ミステリーを紹介した伝説の雑誌。(「新青年」の前身は「冒険世界」と言いまして、押川春浪が編集長でした。押川春浪は、キリスト教の伝道者押川方義の息子)
 
「新青年」に話を戻すと、先代の編集長が金田一耕助の産みの親、横溝正史なんですよ。両者はヨコセイ、ノブケンと呼び合う仲だったらしい。
 
間接的ですが、新島襄と横溝正史が繋がります。当時の我が国のミステリー黎明期や翻訳ミステリーの紹介にキリスト教人脈が果たした役割は大きいと見ています。
 



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