『ハウス・ジャック・ビルト』感想(ほんのりネタバレ)

 世の中には、「ホラーコメディ」という不思議なジャンルがある。
「ショーン・オブ・ザ・デッド」や「タッカー&テイル」などが有名。一応「ロッキーホラーショー」もそうなのかもしれない。
とにかく、人が死んでいるのに心底笑えてしまう映画ジャンルがある。そして僕はそんな映画が大好きだ。
ホラーコメディとは違うけれど、いわゆる「B級ホラー」は似たような立ち位置にある。でもあれは監督がマジなのに全然怖くなくて面白い!なので少し毛色が違うのかも。

6月27日、僕は『ハウス・ジャック・ビルト』を観に行った。R−18の映画を劇場で観るのは人生で初めてだったので、朝から心臓がバクバクして、途中退席しまいか気が気ではなかった。なので昼休みやトイレ休憩の時にいちいちスプラッタ映画の一部やグロ画像、予習としてあらゆるシリアルキラーの情報を調べ倒した。

もう待っていられなかった(おかげで仕事中気持ち悪くなって本当にトイレに何度も行った)。

そして友達と合流し、ついに劇場へ。いざという時に耳や手を覆えるようにポップコーンは買わずに入場した。
映画開始前の予告で『カニバ』(食人の佐川一政)を観てより一層恐怖心を駆り立てられた。そしてついに上映開始。

…もう全然怖くなくって、ていうかこれはただのホラー映画ではなく、スプラッタでもない、「ホラーコメディ」ではないか!!!!と心の中で叫んだ。
しかしホラーコメディなのに殺害シーンはどれもむごく、リアリティを感じる。
なのに、それなのに笑ってしまうのだ。殺人鬼ジャックのやけに人間味のある雰囲気や、おっちょこちょいな部分に。

そして、なんか酷すぎて逆に笑っちゃう、という現象。ホラー映画やスプラッタ映画の中でも禁忌に近いとされる子供まで、キッチリ残虐に殺す。
「ファニーゲーム」以来の無差別さ。いや、むしろ無差別というよりはハッキリと殺している。子供こそ、死してもなお何度も何度も引き合いに出され、ジャックの都合の良いオモチャにされる。最低だ。そしてこんなものを見て笑ってしまう自分自身こそより最低だ。

様々なレビューに目を通した中で、度々「見苦しい映画だ」「知識のひけらかしにはうんざりだ」と憤慨している方を見かけたが、全くもってその通りだ。ジャックは毎回毎回、意味もなくワインの製法や音楽家、神についてや何が正しく何が間違っているのかという能書きを垂れまくる。垂れて垂れて垂れまくる。もう無茶苦茶にダサいし、全ての物事を自分の都合の良い解釈にしてしまうほどの傲慢さだ。そりゃイライラするのもわかる。でも彼は「まとも」じゃないし「秀才」でもないし、かといって完璧な「サイコパス」というわけでない。あれはもう、「ジャック」という一つの分類だ。あらゆる部分で、実在のシリアルキラーが行なっていた手法や、性癖が登場する。彼は世界中の凶悪をサックリとまとめた雑人間なのだ。深みとかいう話はナシ。あるわけねえだろこんな映画に!と怒鳴り散らしてやりたくなる。それくらい、気楽に見られるコメディなのだ。

この映画にどうしても意味づけをしたいのなら、トリアー監督の「躁状態」を表している映画、とすればいい。本当にそれだけだから。7年前のヒトラー擁護事件のことを無茶苦茶寝に持ったトリアー監督がなにくそ根性で作り上げた手作り感満載のラブリー殺人コメディなのだから、「アンチクライスト」とか「奇跡の海」とかみたいなのを期待してんじゃねー!!!!!!!!!!

 宗教的な部分や、様々な教養には感心するし、仕掛けがたくさん仕掛けられているけど、そんなに映画は神妙な気持ちで見なきゃダメなのか?と思ってしまう。『ハウス・ジャック・ビルト』は、怒りのパワーの偉大さと、雑味の良さを教えてくれる素敵な映画でした。らぶ。

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