佐藤翔平 / 1分間ブログ

noteでは、考えや気付きを『1分間』程度で伝えるミニマルな企画をしてます。(さいきん…

佐藤翔平 / 1分間ブログ

noteでは、考えや気付きを『1分間』程度で伝えるミニマルな企画をしてます。(さいきんは1分間じゃ全然収まってない…)2014年から『移動する生き方』を通じて、移住と旅の真ん中らへんの滞在概念を面白がってきました。令和元年より横浜のBtoB企業で、販促や広報部門を担当してます。

最近の記事

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はじめまして。

2017.12.18 noteはじめました。 『日本微住計画』というブログを運営している佐藤翔平です。 2014年4月から日本のローカルを巡る旅を始め、はや数年。こんなに長いあいだグルグルすることになるとは思ってもみなかったですが、『移動する生き方』もだいぶ板についてきました。 日本を巡る旅をするなかで、その時々で出逢った各地域の方々に多くのインスピレーションを頂き、地域との関わり方も少しずつ変化してきました。 2014~2016  メディア運営 MOVERS

    • コミュニケーションは瞬発力がすべて?

      コミュニケーションは瞬発力が求められることが多い。 一瞬の機会に、どのような返しができるか、どのように広げられるか。 ビジネスシーンでは特に、このスキルが求められる。 自分は特段苦手とは思っていないが『不完全なコミュニケーション』を自覚し、「本当はこんなことを言いたかったんだよな」と後になって思うこともしばしばある。 少し逸れるが、さいきん『時間をかけてコミュニケーションしたい事柄』が多く存在することに気付いた。 インスタに投稿する内容(ストーリーではなく)の多くは、

      • 『フィルターから逃げたい』

        「一番好きな映画は」「一番好きな曲は」 誰かが僕のことを知りたいと思って投げかけてくれるこの手の質問が来るとよく固まってしまう。 この答えによって、フィルタリング・カテゴライズをされてしまう気がして、相手に合わせて答えを変えちゃうくらいには苦手なので、3つくらい挙げて予防線を張ることもしばしば。 これは一面的に見られることへの違和感の表れで、自分自身、多面的または球体的に物事と向き合いたい人間なので、一面をみて『こういう人』と思われたくも思いたくもない。 聞く方はただ

        • 映画『PERFECT DAYS』はファンタジーなのか

          『あの映画はファンタジーなのか』 年始1発目に観た映画『PERFECT DAYS』は、僕にとって出会えてよかったと思えた作品だったが、必ずしも肯定的な感想ばかりではないようだ。 批判的な意見として見かける「見たい景色ばかりが描かれていて、臭いものに蓋をしているような印象」は、僕も分かる気がする。その一方で、生きる上で悦びを感じる瞬間なんてそんなもんだろう、と思う自分もいる。 ・・・ 話は逸れるが、僕が旅していた頃、僕の旅をファンタジーなものと捉える人が少なくなかった。

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          “FULFILLING LIFE”

          昨日、代官山蔦屋書店で開催されたArtSticker主催の展示『CULTURE ART PARK 2024』のレセプションにご招待いただき参加してきた。出展作家の一人である萩原亜美さんから作品背景などのお話を伺うなかで、色々と自分が想うこととリンクする話が多く出たため、朝コーヒーを飲みながら思いを巡らせていた。 今回出展されている作品の一つ『FULFILLING LIFE』は、続く戦争や年始の災害などを憂うなかで、改めて日常に対するありがたみを感じ、記録した作品とのこと。

          代償を受けてまで

          「気持ちの波風を立てずに淡々と自分のペースで生きたい」みたいな仏教的思考が根本にありつつ、一方で好奇心を抑え込まず日々変化を望む心を抱え続けて生きていたい。 より幸せになることを常に諦めたくないけど、大きなリスクを背負い代償を受けてまでそれを得たいのか…みたいな天秤が今後もっと増えていくんだろうな⚖️ 人生まだまだ長いから、代償を受け入れながらもう少し貪欲に生きるべきと感じつつも、欲望=生きるエネルギーがそこまで大きくならないのも自覚している。 なるべく小さな幸せと な

          2023→2024

          今年も無事に年越しを迎えられました。 ⠀ 何かしらのかたちで関わって下さった皆さま、 改めて昨年はありがとうございました。 ⠀ 本年も引き続きよろしくお願いします。 ⠀⠀ —————————————————————— 【明日死なないこと】 戦争に疫病に天変地異に、大袈裟な表現なんかではなく、この世がいつ終わってもおかしくない危うい時代に感じている。 ⠀ …それでも『明日死なないこと』を前提に、目の前のことで一喜一憂しながら今日も生きているし、明日もそうやって生きていくと思

          読解力の賞味期限

          読解力って、いつの時代も変わらないモノサシのように思われがちだけど、同じ程度の読解力を持ち合わせていても、時代世代が変わると解釈が変わるから不動のモノサシではないんだよね。 そこも含めて読解力というのは無理があるし、多様性のVUCA時代においてはどうしてもポジショントークになりがち。 「昔はこうだった」「今はこうだ」みたいな話のなかで同じ読解をするのは 難しいよね。 それぞれの立場から知り、学ぶしかない。 「今のやつは読解力がない」みたいに昔の人が言い放ったところで、

          あの頃のカセットテープのように

          自分の部屋の展示替え(模様替え)よりも、会社のデスク脇で始めたアートスペースの展示を考えている時の方が、わくわくしていることに気付く。 自分のために作品を購入させて頂き、 自分で楽しむだけで満足していたのに。⠀ 他人に見せるためのコレクションなのか? それは違う。…多分。 でも、他人の目につくところで、自己表現のように展示してる方が面白さを感じる。 自分自身を振り返ると、自分のアイデアやセンスを使って既存のものを組み合わせたり、気になるものを編集して表現したものを通じ

          あの頃のカセットテープのように

          ストーリーブランド戦略と企業のあり方

          久々にnoteを更新する。 当初、考えや気付きを『1分間』程度で伝えるミニマルな企画として、Twitter以上ブログ未満の内容を想定して始めたnoteだったが、いつの間にかエッセイのように見境なく書きたいことを綴る場所になってしまった。今回も1分間で収まるような内容ではないが、ここに書き残す。 今回は、弊社会長からお借りした本を元に「読書感想文」を勝手に書いて、勝手に社内で公開する…という一連の謎行動を受け、この場所にも同じく「読書感想文」を展開してみることにした。 謎のか

          ストーリーブランド戦略と企業のあり方

          日常が大きく変化した

          さいきん、アート熱が冷めない。 アートにハマってしまい、日常が大きく変化した。 Instagram上では、まるで美術館のようにアート作品が日々流れてくるようになり、毎週のように期間限定の展示へ足を運ぶようになった。 新たな知的好奇心をくすぐり続け、知れば知るだけ沼にハマっていくような感覚がある。一つの作品に出会うと、三人の作家の十の作品に出会う…そんな日々の連続だ。 今までと大きく違うのは、Instagramなどで簡単に、自分の興味を掻き立てるアーティストやコレクター

          日常が大きく変化した

          旅に疲れてしまわぬように

          インスタグラムの投稿を転載。 【中禅寺湖 時間をかけて】 ⠀ 旅は豊かであるべきだ。 ⠀ ここで僕が思う豊かさとは、 余裕やゆとりがある状態を指す。 ⠀ ⠀ 貴重な時間、貴重なお金を使って体験するのが旅だから、気がつくと色々と行きたい場所を詰め込んでしまい、慌ただしくなってしまう。 ⠀ 余裕がないと、味わうことが十分にできなくなったり、出会う偶然を避けてしまったり、心が落ち着かない状態が続く。 ⠀ 旅をしてドッと疲れてしまうのは、 不慣れな

          旅に疲れてしまわぬように

          妄想を片付けながら現実と対峙するのが旅の醍醐味

          インスタグラムの投稿を転載。 【中禅寺湖 秋を迎えに】 ⠀ 標高1,269m。 ⠀ 夏へのお別れと初秋を感じるため、日本一標高の高い場所にある湖、天空の湖といわれる中禅寺湖へ行ってきた。 ⠀ 最近は町のホテルに滞在し、まちなかを歩き回る旅が多かったので、久しぶりに自然を感じながら眠りにつき、目を覚ます日々を過ごしたくなった。 ⠀ ⠀ なんだかんだいって、まだ横浜は暑い日が続き、海が近いので湿気もヒドい。9月に入ったけど避暑地に行く感覚だった。

          妄想を片付けながら現実と対峙するのが旅の醍醐味

          笑顔で、またね。

          いまから3年前(2017年8月15日)に書いたFacebookの記事をみつけたので、noteに転載することにしました。 僕は様々なものごとに対して、守破離を意識することが多くて。 守破離とは 剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。 ― コト

          「いつでも自分らしく在りたいか」そんな風に思ってない自分

          「あなたらしくあれ」 「自分らしい自分とは」 選択肢が増えた多様な時代において、自分の『在りかた』を問う機会が増えた。悶々と考えては、答えを探す行動をし、行動をしてはまた悶々と考える。 僕の人生は、きっとこのような繰り返しによって、少しずつ前進し、そして、少しずつ老いていくのだと思う。 … 最近また一つ気付いたことがあった。 「いつでも自分らしく在れるべき」という美徳の存在と、「本当はそんなことを思っていない」自分の存在。 「いつでも自分らしく在りたい」を地でいっ

          「いつでも自分らしく在りたいか」そんな風に思ってない自分

          ゲームから遠ざかって…

          随分とゲームから遠ざかった生活を過ごしている。 そんな僕だけど、小中学生のころまでは、ほかの多くの子供たちと同じように、ゲームに熱中する日々を過ごしていた。 ファミコンにはじまり、スーファミやゲームボーイ、プレステやロクヨンなど色んなゲーム機を持っていて、弟や友達とともに多くの時間を費やしていた。 昭和60年代生まれの多くは、きっとみんなこんな感じで、スポーツやマンガ、TVやゲームに夢中になる世代だったと思う。 (子供の頃の娯楽ってそんなものしかないか) いまの10

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