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【小説】 恩贈り #5

◆◆前回までのストーリー◆◆
父親を亡くした手島一也は、十五年ぶりに北海道の田舎への帰郷を決めた。教師であった父親の葬儀には、多くの教え子が詰めかけた。そこで、二十八年前に起こった列車脱線事故と、その被害者を救うために遅刻した8人のためだけの卒業式が開催されたことを知る。さらに東京の教え子から父宛に届いた現金書留に、一也の心は揺さぶられる……。

 
 東京に戻り、スマホの画面を眺めた。そこには、「川瀬裕美」の連絡先が撮影されている。電話を掛けるという行為はただでさえ妙な緊張感をはらむ。その上、今回は理由が理由だ。

「父の本当の姿を知ってしまうことになるかもしれない」

 そんな恐ろしさから、スマホ画面をつけては消しつけては消しを繰り返した。ふと、そんな自分の姿がひどく滑稽に見え、ガランとした一人暮らしのソファに座り直し、スマホを耳に当てた。無機質なコールを重ねたが、相手は出ない。

 バカバカしくなって、スマホをテーブルに投げ出した。
「返金するというのだから、何も言わずにもらっておけばいいんだ」
 頭の中で、そんなことを思った。

 ベッドに寝転び、見るでもなくニュースを垂れ流す。意識は明らかに遠くへと飛んでいた。
 …すると、木製のテーブルをスマホのバイブレーションが鳴らした。表示された番号は先ほど、自分自身がプッシュしたもの。躊躇しながら通話ボタンを押した。

「もしもし、お電話いただいたようなんですが」
 一言一言に気を配した丁寧な声だ。
「手島と申します。あの、父宛に現金書留を送っていただきまして……、その件でお伺いしたいことがありお電話したのですが」

 しばらく間があって、相手が息を吸う音が聞こえた。

「あ、手島先生の息子さんでいらっしゃいますか。この度は本当にご愁傷様で……。生前にお伺いして、しっかりとお礼を言ってお返しすべきお金でしたのに、私ったら送りつけてしまって。本当に申し訳ございませんでした」

 彼女は何か自分に不手際があったと思い込み、恐縮しているようだった。この誤解は早く解いてあげなければ、と少し焦って言葉を選んだ。
「いえ、違うんです。お送りいただいた三十万に母も私も心あたりがなくて。それで、間違いがあったら逆に申し訳ないと思い、ご連絡した次第なんです」

 相手の呼吸がやや穏やかになったのを感じた。
「そうなんですか。先生は何にもおっしゃっていなかったんですね。先生らしいというか」
「では、三十万円は間違いなく父がお貸ししたお金なんですね?」
「ええ、もちろんです。先生にお借りしたお金です。先生は返すのなんていつでもいいとおっしゃってくださいました。私が現役の高校生の頃です」
「そうなんですか……」
「一体何のお金なんだと思われるかもしれませんが……。当時の私には間違いなく必要なお金でした」
「…はあ」
 我ながら間抜けな受け答えだ。

「あの、もしよかったら一度お会いしませんか? 先生に直接お礼を伝えられなかったことにずっと後悔していたんです。お葬式に参列して、クラスメイトと先生のことを話せればよかったのだけれど、仕事でそれも叶わなかったので。息子さんとお話することで、心のつかえが取れるような気がするんです」

 少しだけ受話器の向こうの声のボリュームが上がった。
 彼女の勢いに押されて、いつの間にか来週末会う約束をしていた。こんなはずじゃなかったんだけれどな……と思いながらも、どこかでこの事態をおもしろがっている自分がいる。
 彼女の中の父に会えるのが楽しみだというのか、いまさら何を知っても仕方ないというのに。故郷の侘しい風景と父の後ろ姿が重なった。

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