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小説:見える人 4-2

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 駅に着いたのは十二時過ぎだった。

 僕は疲れ果てていた。二日酔い一歩手前まできていたところに強い酒を重ね、なおかつ葉巻までったものだからくらくらする。それでいて意識はくっきりしていた。脳の芯部がかくせいしてるのだ。

 マンションの手前にはワンボックスカーが停まっていた。街灯の真下にあり、車体は薄く染まってる。僕はなにげなくサイドウインドウを見た。光の加減か車内は見えず、にじんだ自分が映ってるだけだ。

 見えないし、触れられてる感覚もないけど、ここに「すごいの」がいるってわけだ。そう考えてみた。そのときなにかが弾ける音がした。顔をあげると街灯が消えている。

「マジか」

 明かりを探し求めるようにが飛んでいる。トラックが近づいてきて狭くなる手前で減速した。そこからそろそろと進み、スピードをあげた。僕はずっと首をあげていた。さぎさわもえと出会う前にも街灯は消えた。彼女がいなくなった直後にもだ。そしてまた消えたのだ。

 僕はまゆをひそめた。と同時に、無数の虫が身体中をいずりまわってるような気分になった。道はゆるやかなカーブになっていて、街灯もそれに沿って並んでる。僕はひとつの街灯を見つめた。この前消えたのはあれだ。そして、その前に消えたのはあれだった。――いや、待てよ。つまりはマンションに近づいてるってことか?

 僕は急いで電話をかけた。

「ん、どうした? こんな時間に」

「ああ、清水、遅い時間に悪いな。――いや、たいしたことじゃないんだけど、その、訊きたいことがあってさ」

「別にかまわないよ。でも、いったいどうしたんだ?」

 僕は一瞬だけ息をとめた。こんなことを訊いたらどんなうわさがたつのだろう。しかし、消えた街灯を見つめ、歯を食いしばった。

「篠崎カミラの電話番号ってわかるか?」

「あ? ――ああ、いや、わかるよ。わかるはずだ。ちょっと待ってくれ」

 電話の向こうからは赤ん坊の声が聞こえてくる。清水は去年結婚し、子供が生まれたばかりなのだ。自分は――と考え、消えた街灯を見つめた。なにやってんだ? わけのわからないことになってる。

「ああ、あった。これだ。悪いな。書いてもらってたのがあったんだけど適当なとこに挟んであった。――言うぞ、いいか?」

 僕は手帳に書いた。指先はふるえ、字はいびつになってる。

「ありがとう。助かったよ」

「いや、別にこれくらいのこと。だけど、今日はまったく驚かされたよ。あの子の変わり様ったらなかったもんな。いつもは仕事の話をしててもずっとうつむいてたのに女子どもとも楽しそうに話してた。ま、違和感はヤバいくらいあったけどな。あれはお前のお陰っていうか、影響らしいな。まさかだけど、」

「それ以上は言うな。それに、このことも忘れてくれ。電話を切った瞬間に忘れるんだ。とくに小林には言うなよ。なにがあっても絶対に言うな」

「わかったよ、忘れる」

 清水は笑いながらそう言ってくれた。僕たちは「おやすみ」を言いあって電話を切った。

 コンビニでビールを買い、僕はマンションの前に座りこんだ。とはいってもどうしよう? もう一時近くだし、突然電話するのも変だよな。

 はあ、こんなに思い悩むなんて中学んとき以来だな。いや、そうじゃない。なにも好きな子にかけるわけじゃないのだ。必要に迫られただけのことだ。

 ビールを飲みつつ僕は電話をかけた。知らない番号からじゃ出ないかな? もう寝てるかもしれないし。うん、あの女は十時には寝てる気がする。そう考えてるそばから意外に早く繋がった。

「あっ、あっ、あの、」

「遅くに悪いね。佐々木だ。わかる? 同じ会社の、営業の佐々木」

 そう言った直後に聞こえてきたのは簡単に表記できないものだった。それとは別になにかが倒れる音もした。ガシャーンという音だ。

「あっ、たっ、大変。――そっ、そっ、その、さ、佐々木さんですか? あっ、あの、さ、佐々木さんで、い、い、いいんですよね?」

「そうだ、佐々木だよ。さっきも言ったように同じ会社の佐々木だ」

「えっ、えっ、ええと、た、大変、も、も、申し訳ないのですが、そっ、そっ、その、か、か、かけ直しても、よ、よろしいでしょうか? ちょっ、ちょっと、すっ、すっ、すぐに、か、片づけなければ、な、ならないことが、お、お、起きて、し、しまいまして」

「いいよ。なんか重ね重ね悪いね」

「い、い、いえ、こ、こ、これは、わ、私が、わ、わ、悪いことですので。そっ、それでは、す、す、すぐに、か、かけ直します」

 すこし考えてから僕は番号を登録しておいた。今後もこういうことが起こるかもしれないと思ったのだ。とはいえ、こういうこと●●●●●●というのがどういうこと●●●●●●なのかもわからない。ごく単純に考えられるなら街灯が消えただけのことなのだ。それを気にしすぎてるともいえる。

 電話が鳴った。

「あっ、あっ、あの、す、すみませんでした。た、た、大変、お、遅くなって、し、しまいまして」

「いや、こっちが突然かけたんだから気にしなくていい。それと、この番号は清水から聞いたんだ。急な用事ができたからね。かまわなかったか?」

「は、はい。ぜ、全然、も、問題ございません。――で、ど、ど、どういった、ご、ご、ご用件でしょう?」

「またあったんだ。街灯が突然消えた。それもマンションの前でだ。それで思い出したことがある。いや、思いついたことと言った方がいいのかもしれないけど、とにかく、それはだんだん部屋に近づいてる」

 溜息のような音が聞こえてきた。その後は無音だ。息づかいすら聞こえてこない。

「おい、どうしたんだよ。なにか言ってくれ。これはよくないことなのか?」

「す、すこし黙っていてください」

 それは鋭い声だった。僕はスマホを離した。驚いたのだ。ふたたび耳にあてるとこう聞こえてきた。

「ふむ、そうでしたか。なるほど。――ううん、ちょっと違うかな? どうだろう? ――そうね、違うかも」

 いや、ひとりで納得しないで欲しいんだけど。そうされるとかえって怖くなる。

「あの、なにが違うの?」

「あっ、い、い、いえ、すっ、すみません。ひ、ひとりで、か、考えこんで、し、しまって」

「うん、それはいいから、なにが違うの?」

「あっ、あの、ちょっ、ちょっとだけ、ま、待っていて、い、いただけますか? わ、私ひとりで、は、判断するのは、き、危険な気がするので、せ、せ、先生に、き、き、訊いてまいります」

 先生? 一時を過ぎてるというのに? そう思ってるうちにまた無音になった。完全なるせいじゃくだ。

 スマホを押しあてたまま僕は待った。もういいから部屋に戻って寝ちゃおうかな。そう考えてもみた。なんでもないことをさわぎ立ててるだけに思えたのだ。しかし、怖れはくすぶりつづけてる。

「もしもし?」

 ぶとい声が聞こえてきた。画面を見ると、《篠崎カミラ》と出てる。

「もしもし? 聞こえてるの?」

「はい、聞こえてます。――ああ、もしかして『先生』ですか?」

「先生? カミラがそう言ってたの? まあ、そうね。そういうことでもあるわ。で、また街灯が消えたんですって? それもだんだんあなたの部屋に近づいてるって聞いたんだけど。あなたは怖くなって電話をかけてきた。そういうことなんでしょ?」

「はい」

「ま、その辺のことについては、――こんな時間に電話をかけてきたってことよ、私は寝てるところを叩き起こされたんですからね。まったく、カミラにも困ったもんだわ。後先考えないんだから。まあ、それだけあなたを助けたいって気持ちが強いんでしょうけど」

 寝てた? 同じ家で? あの女はうちみたいな生活をしてるのか? そう考えてるところに声はかぶさってきた。

「なに言ってるかわからなくなっちゃったわね。ごめんなさい。ま、あなたにはいろいろ言いたいことがあるけど今はやめておきましょう。で、街灯が消えたってことよね? でも、カミラから聴いてるんでしょ。それは守護霊様のなさったことよ。警告なの。悪い働きではないわ。いえ、悪い働きが強まってるのをしらしてくださってるの。思い当たることある?」

「はあ、思い当たることですか? ――いや、特にないですね」

「そう。だけど、これも言われてるでしょ。女に気をつけろって。それでもあなたは逆の方へ行こうとしてるんじゃない?」

 僕は額を覆った。そういえば合コンへ行くって言ったな。行くなと言われてたのにそう宣言した。

「思い当たることがあったようね。それにたいする警告よ。気にしなくていいわ。すぐに悪いことが起こるってわけじゃないから」

「ということは、すぐじゃないけど悪いことは起こるってことですか?」

「そうねえ。直接見てないから絶対とは言えないわ。一度お会いしたことがあったわね? ほんの一瞬だけ。そのときに見えたことからしか判断できないのよ。後はカミラからしつこく聴かされたことがあなたに関する情報なんだもの、こうやって声を聞いてるだけじゃ、きちんとしたことは言えないわ」

「はあ」

 僕はまたもやそう言った。どういう仕組みになってるかわからないのだからそうとしか言えないのだ。

「だけど、わかってることもあるの。あなたにはひどく強い霊がいてるわ。それが悪い方向へ導こうとしてるの。主に女性問題であらわれるようになってるはずよ。それだって思い当たることはあるでしょ? あなたはある女にだまされ、お金と幾つかの物をられた。そうよね? それは私に見えたことなの。カミラにはまだそこまではっきり見えないのよ。ま、あなたに関しては私以上に感じる部分があるようだけど」

 そこまで言うと『先生』はあからさまな溜息をついた。僕にはもう「はあ」と言う気力もなかった。

「切りがないわね。いい? あなたもこんな時間に電話かけてくるくらいだから気になってはいるんでしょ? だったら、私のもとに来なさい。そうした方がいいわよ。じゃ、そういうことで私は寝るわよ。あとはカミラとしゃべりなさい」

「あっ、あの、」と僕は口走っていた。あの女と同じ台詞せりふを言うことになったわけだ。

「なに?」

「い、いえ、あの、ありがとうございました」

「ま、カミラにとって大切な人なら、私にとってもそうなる可能性はあるものね。だったらこれくらいのことなんでもないわ」

 は? どういうことだ? そう考えてるとおみになった声が聞こえてきた。

「あっ、あっ、あの、」

「なんだよ」

「い、いえ、す、すこしは、お、お役に、た、たちましたか? わ、私だけでは、ちょっ、ちょっと、ふ、不安だったので、せ、先生に、お、起きてきて、も、もらったんです。で、でも、か、か、かえって、び、びっくりさせて、し、しまったのでは、な、ないでしょうか?」

 声を聴いてるうちに落ち着いてきた。この女を通すと恐怖はやはり薄まるのだ。

「ああ、いや、ありがとう。それに悪かった。いまキツい言い方をしてたよな? ちょっと混乱してて、その、なんだ、」

「い、い、いえ、そ、そんなこと、な、な、ないです。わ、わ、私は、ま、ま、まったく、そ、そんなふうに、お、お、思いませんでしたから。そ、そ、それに、こ、こ、こうやって、お、お電話、い、いただけて、う、う、嬉しかったんです。さ、さ、佐々木さんが、わ、私の、い、言ったことを、し、し、信じて、く、くださったって、こ、こ、ことですから」

 緊張のせいか、どもり具合は激しくなっていた。だけど、いらいらしなかった。できることならずっと耳許でどもりつづけて欲しいとすら思った。その方が安心できる。しかし、もう二時だ。

「ん、よくわからないけど、きっと君の言ったことを信用しはじめてるんだろう。いや、もちろん全面的に信じてるわけじゃないけど」

「は、はい。そ、そ、それでも、か、か、かまいません」

「部屋に戻るよ。それでもう寝る。そうできる気がしてきた。ほんと助かった。ありがとう」

 電話を切ると僕は深く息をを吐いた。いかなる悪意が取り囲んでいても、そんなのは気にしなくたっていい。そのように思えた。

 酔いがまわりはじめたからかもしれない。あるいは彼女の声がまだ耳の奥に残っていたからかもしれなかった。しかし、いずれにしても僕は守られてる。二重三重に守られている。そう思えた。

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