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形容詞を取り戻す

関西出張の帰りに、鴻上尚史さんの「ハルシオン・デイズ」の前楽と、松尾スズキさんの「フリムン・シスターズ」の千秋楽を観てきた。

特別な体験になった。

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鴻上さんの舞台では必ず、鴻上さんの丸っこい文字で手書きのメッセージが配られるのだけれど、今回のメッセージには、「千秋楽まで走りきったら泣いてしまうかもしれません」と書かれていて、もし泣いたとしたら、それは演劇に出会ってから、はじめての経験になるでしょうと、締められていた。

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テーマは、自粛警察。今だから見るべきとの感想が多かったが、なるほど、舞台の上の狂っている感より、よっぽど現実の方が狂いやすいこの一年だったかもしれない。
フリムンシスターズと、どちらの千秋楽を選ぶか迷ったのだけれど、鴻上さんの楽日は、いかばかりだったろう。
きっと感動的なものだったのではないか。昨日、舞台前にも後にも、ホールに立って、観客からの言葉に耳を傾けていた鴻上さんの姿が思い出される。

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フリムンシスターズは、東京公演前に阿部サダヲさんのコロナ罹患が発覚、12月1日と2日の大阪公演はスタッフさんに体調不良の人が出たとのことで休演、長澤まさみさんは共演者を立て続けに失ってと、本当に、苦しい公演期間だったと思う。
実はこの舞台は、1ヶ月ほど前、東京でも観たのだけれど、今日の大阪千秋楽は、まったくの別物だった。役者さんが皆、キレッキレで、ピースがガチガチっとハマっているのが、恐ろしいほどだった。
お客さんの方もなにか、決意めいたものを持って観に来ている人が多かったかもしれない。満席の会場が、わきにわいていた。

カーテンコールでマイクを持った松尾さんは、「こんな時に、観にきてくださった、お客様に拍手を」と言ってらっしゃり、その言葉がいま、電車の中でじわじわときている。いま、泣いている。

今年シアターコクーンの芸術監督に就任したばかりの松尾スズキさんには、やりたいこと仕掛けたいことが死ぬほどあったであろう。
7月3日に出された、「コロナの荒野を前にして」という彼の声明文は、多くの創作者の胸を打った。


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https://www.bunkamura.co.jp/sp/matsuo/


人間は、なくてもいいものを作らずに、そして、作ったものを享受せずにいられない生き物だとも私は思っている。生きるに必要なものだけで生きていくには、人間の寿命は長すぎるのである。

と書かれた、この文章は


しょせん暇つぶし。しかし、人は命がけで暇をつぶしているのだ。

と、続く。



だから今日、30秒だけと約束されたカーテンコールのルールをおしてまで、松尾さんがマイクを持たれたことが、いま、本当に胸に迫ってきている。



不思議な一年だった。


みんなが発する言葉が尖り始め、チカチカと発光するようになった。
目を凝らしてその言葉を見つめるときには、痛みがともなった。
ざらざらの世界で、少しでも、丸く柔らかいものを届けたいと思いながら書いていた。


このコロナのなか、カミュの「ペスト」を読んだ。

一番くっきりと映像が立ち上がってきたのは、極限下において小説の書き出しを何度も推敲する老人の姿だった。
命の危険に晒される緊迫の毎日の中で、一見もっとも“不要不急”度が高い行為に見えるこの「言葉を選ぶ」という行為。
とくに非常時においては「生き方を選ぶ」ことと同義でもあると、私は感じた。

この時期、自分が書いたものを、何度も何度も読み直し、書き直した。
ひとつ言葉を足すことも、ひとつ言葉を引くことも、どちらも、生き方を選んでいる。そんな気がした。

「ペスト」の中で、ずっと小説を書いていた老人が、生死をさまよった末に生還し、その後、「(小説の書き出しから)形容詞はすべて削った」というシーンが刺さった。
この本を読んだ時私は、多分、これから数ヶ月の間のどこかで、私たちは、形容詞を削るような瞬間を経験することになるんだろうな、と思った。


その予感はあたっていた。
そう、私たちはこの一年弱、形容詞を削るような毎日を過ごしてきた。
主語と動詞だけで生きてきた。
そんな生活を余儀なくされて、実は自分の生活も、文体も、発する言葉も、ずいぶんとファットになっていたことに気づく。

これから選び取る生活や、文体や、言葉は、とくに形容詞は、
本当にそこに必要なものだけになるだろうなと、いま、思っている。



今日、松尾スズキさんの舞台を観て思った。
ビビッドで、手触りのある言葉のシャワーを浴びていま、どれだけこの体に刺さってくる感覚が、自分にとって必要なものだったか。
私にとっては、不要不急なんかでは、決してなかったことを、しみじみと感じている。

松尾さんの宣言文は、さらに続く。


焼け野原を前にしてシャンソンを歌おうと思っている。喉元にはもう、その歌は溢れかえっている。
(中略)
早くお会いしたい。お客様にも、仕事を失った大勢の仲間たちにも。再開の形は今まで通りとは行かないかもしれない。でも、お待ちいただきたい。




大阪まで、この作品に、会いに来て良かった。
この舞台のことを、そして、カーテンコールの松尾さんの姿を、私は、一生忘れないだろう。


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