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「個性/無個性」に悩む人へ


 自分は「無個性だ」と悩み続けていた時期がある。まあ、今もその真っ只中なわけであるが、そんな話がしたいわけでは無い。あくまでも私は、このエッセイを読んでくれた人が、心のどこかに抱えているであろう「生き苦しさ」という悩みに、ギャップを形成することができたなら、ただそれだけで満足である。


 悩み続けるきっかけとなったのは、忘れもしない中学3年の音楽の授業である。「何校もの合唱部を全国合唱コンクール金賞に導いた実力派教師」が勤務していたため、合唱コンクールに力を入れていた我が母校は、定番曲である「YELL/いきものがかり」の練習をしていた。

 中学生にしては声がかなり低く、人前で歌うことが恥ずかしかった私は、授業中に行われる歌唱のテストに酷く緊張していた。元々内気で、人付き合いが苦手だったのも緊張の要因となっていたと思う。「きっちり歌えるだろうか…音程外したら笑われちゃうかなぁ。」「いや、しっかり練習もしたし、聴き込んだから大丈夫だ。」「ライブダムの精密採点で87点やぞ。いけるやろ。」「まあ、失敗しても笑っていよう。」

 そうこう思案している間に、とうとう私の番が回ってきた。クラスメイトの視線が自分に集まってくるのを感じる。恥ずかしいなぁ。先生のピアノの伴奏が始まった。
緊張でヤケになった私は、これでもかと言うほど絞り出した大声で歌いきった。「こっそりカラオケで練習したんやぞ!」と思いながら必死で歌った。伴奏が終わる。
「出し切った…」そう思った私に対して、その「実力派教師」はこう言ったのである。

「さつきくん。合唱の戦力外ね。」

耳を疑った。もはや何を言われたのかさえ理解できなかった。クラスメイトは私を見ている。これはテストの採点の最中だ。逃げられない。

「貴方の声には個性がない。だから口パクで参加なさい。」

 採点が終わった。引き攣った笑顔で先生に「ありがとうございました」と言う。その時、頭の中の風船が1つ、パンッと弾ける音がした。その後どうやってその場を切り抜けたかは、あまり覚えていない。

 結局私は合唱には参加せず、コンクールでは指揮者をした。大勢の他人に見られて歌うよりも、自分の失敗を知っているクラスメイトの方を見て機械的に指揮をする方が気楽に思えたからだ。 「無個性」が生きる道はこれしかないと思った。

 その後、何とか無事に中学校を卒業し、公立高校に進学することができた。大学受験では目指していた国公立大への受験が失敗し、滑り止めで受けていた中堅私大へ進学。友達も作らず、サークルにも所属しない。塾講師のアルバイトをしながら只々GPAを稼ぎ、私立大学に行かせてくれた親の負担を軽くするために、奨学金を借りやすくすることだけを考え日々生活を送ってきた。まさに「無個性」を体現したような生活だったといえる。

 高校の頃に出来た数少ない友人に「そんなに自分を縛って、生きづらくないの?」と聞かれると、決まって「自分は無個性だから、何でも愚直に頑張るしかないよ」という言葉を呪いのように吐き返し続けた。この頃から、「無個性」の自分に許されることは、「何でもそつなくこなして当たり障りのない成績を残すこと」だけだと感じるようになっていた。


 大学2年の秋に、「無個性」の呪いのツケがやってきた。通学中の電車内で突然得体の知れない不安感と切迫感に襲われたのだ。パンパンに人の詰まった電車内、吊革に両手をかけているが、隣の女性に「痴漢だ」なんて冤罪をかけられたらどうしよう。前で座っている男性の高そうな靴を踏んでしまって、弁償させられたらどうしよう。もしかしてこのまま自分はこの不安感に押しつぶされて死んでしまうのではないか。

 すぐに電車を降りて、駅員に助けを求めた。その日は3連休初日の土曜日だったので、電話をすると母親が迎えに来てくれ、無事に家まで帰ることができた。しかし、得体の知れない不安は家に着いても頭から離れず、結局病院が開く次の平日の火曜日まで、ほとんど眠ることも食べることもできなかった。元々52キロしかなかった体重が5キロ落ちた。

 心電図や血液検査などを含めた診断の結果、体のどこにも異常は見つからなかった。「精神的なものなので、精神科か心療内科を受診してください」と言われたので、市民病院で診察を受けたその足で、地域の精神科を受診した。長い問診の後に、医師から「不安障害」だと診断された。中でも顕著に症状が現れているのは、社会的な恐怖や完璧主義的な思考で自らを脅迫してしまう「強迫性障害」。病名を宣告された私は雷にでも打たれた気持ちで、自分の描いていた「普通」が音を立てて壊れていくのを感じた。私は晴れて「無個性」から「精神障がい者」へと社会の烙印をクラスチェンジしたのである。

 今までそれなりに皆の望む「普通」になりたいが故に一生懸命生きてきた自分の人生が、自分のせいで全部否定されたような気がして、本当に人生に見切りをつけようかと考えた。精神的にディスアドバンテージを抱えているなんて、今のご時世忌避されることのほうが多いし、働き口も見つからないかもしれない。ただでさえ父親が莫大な借金を抱え、今も自転車操業状態で返済を続けているというのに、私が働けなくなったら、いったい親や周囲の人が私にかけてきてくれた愛情やお金は一切合切無駄になってしまうのではないか。「無個性」の自分から生み出された「普通」になりたいという願望が、恐怖はどんどん膨らませ、ついには生きる気力すら蝕んでいった。


 そんな自分に光をくれたのは、好きで聞いていたラジオから流れてきた、とある「個性的な」コーナーだった。

 毎週月曜から金曜までの深夜帯に放送されている「鷲崎健のヨルナイト×ヨルナイト」というラジオ番組。その火曜放送に「深夜の三角コーナー」というコーナーが設けられている。毎週出される様々なお題に対して、リスナーが思い思いの表現方法で音源を制作し、投稿するというコーナーで、パーソナリティである鷲崎健さんと、アシスタントの沢口けいこさんがその音源をバッサリ切って笑いに変えていく。昨今のラジオではあまりない、個性的なコーナーである。

 その放送に音源を投稿したリスナーのことを、「勇気あるリスナー」と称えるために「三角戦士」と呼ぶのだが、この方々たちが本当に面白いのだ。それはもう、自分の今の状態なんか忘れるくらいに笑い涙を流した。

 番組に音源を投稿するくらいなのだから、さぞ「個性的な『三角戦士』」たちが揃っているのか、と思われる方も多いと思うが、決してそんなことはなかった。バリバリに働いている人もいれば、現役の学生さんだったり、ハローワークで日雇いの仕事をこなして酒を呷るようなその日暮らしの生活をしている人もいる。その境遇・現状に「違い」という名の個性はあるが、SNSで交流させてもらっていると、彼・彼女らの多くは基本的に自らの「無個性」に悩んでいた。

 「悩むからこそ、普段はできないバカやってる音源を作って少しでも笑ってくれる人が増えたら、幸せなことだよね。」と、ある三角戦士は語っていた。私はその言葉に大きく影響を受けている。その言葉はパーソナリティだけでなくリスナー同士が、このコーナーを自分の居場所の一つにしている人を許容し、「君はここにいていいんだよ」という承認をするということに他ならないのではなかろうか。疲れたらふらふらと立ち寄る居酒屋のようにラジオを聴いて、小気味よいトークやコーナーを片手に一杯ひっかけて「楽しかったなぁ」なんてつぶやきながら夢に落ちる。幼いころに友達と作ったアジトのような、「秘密の共有」のようなワクワク感がそこにあった。

 そして何より、「無個性」を逆手にとって「みんながやりそうもないバカをして誰かに笑ってもらう。」という考え方をとても素敵なものに感じる。自分もそうやって生きてみないか?自分の個性を見つけるために、まずは模倣から始めてみるのも悪くないんじゃないか?少しずつ自分の個性への考え方が変わってきた。


 今、自分の「個性」に悩んでいる人には、そんなに急いで個性を見つけなくてもいいんだよという言葉を託したい。大学3年の今になっても自分の個性を見つけられていない奴もいるし、もっと大人になった人にもそういった人がいるかもしれない。「周りの色に染まる前に、自分だけの色を見つけろ!」なんて大人や教師に言われることがあるかもしれないけれど、そんなものは無視して構わない。パレットに多くの色を広げてしまったら、どんなにセパレートしていても少しは混ざり合ってしまうように、自分の個性も様々な人や価値観に出会って、色々な要素を混ざり合わせて構成していくものだと思う。積み上げて積み上げて、時にバランスを崩して倒れたとしても、もう一度積み上げていく。人生における個性とはそういうものなのではないか。また、大事なのは、自分が今できることに真摯に取り組む姿勢だと思うから、「個性」を探したり生み出したりすることに無理はしなくていいんじゃないか。

 そして、「無個性」に悩んでいる人には、「『無個性』だからこそなれるものがある。」ということを知っておくほうが、少し楽に考えられるよということを共有しておきたい。「無個性」とはよく言えば「プレーン」だ。白紙のキャンバスと言い換えてもいい。そこには自分だけが描くことのできる未来や世界が、無限に広がっている。自分を視野を広げるために何にでもトライしてみるもよし、もっと専門的な知識を積むために自分の興味のあることに一心不乱に取り組むもよし。自分に個性がないことは、自分を卑下する理由にはなりえない。若輩者の私が言うのは失礼に値するが、それは何歳になっても同じことだと思う。社会や周りにいる他の人に、あなたの個性をバカにするやつがいれば「人をバカにすることが自分の個性だ」と考えている人なんだと思うように善処しよう。いつだってあなたの個性は、あなただけのものだ。


 本エッセイ中において、「精神障がいが悪いものである」かのようなイメージを読者の皆様に与えかねない表現を使用していますが、筆者にそのような意図は全くございません。

 もしかしたら同じような苦しみを抱えている人たちがいるかもしれない。その人たちの一助になれたらと思い、リアルな体験をそのまま文章にすべく筆を執っている次第であります。

 自分が「強迫性障害」という障がいを抱えて、初めて周囲の人間に恵まれていたことに気づくことができ、薬を使わずに少しずつリハビリをしながら生活を送っております。


 末筆になりましたが、最後までエッセイ風の独り言を読んでいただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 ありがとうございました。



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