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父さんとの、たわいない思い出

「これで足りてますよ」
一瞬理解できずフリーズしてしまってから、QUOカードの右上に「1000」と書かれていることに気づいた。

「ああ、すみません」
500円だと思ってましたと笑った、私なんて見えないみたいに、店員さんは無表情でレシートとカードを突き出した。
ニコッとくらいしてくれてもよくない?別にいいけど。

500円だと思い込んでいたQUOカードが1000円分だった。
仕事帰りは、こんなささやかなラッキーがしみる。ハッピーは頭を悩ませてくるのに対して、ラッキーは気兼ねないもの。

安いけどお祝い

今日は父さんの誕生日なのだけど、実は忘れていて、母からのLINEで思い出した。こんなこと、今年が初めてだ。
あわててコンビニで、好物だったシュークリームとプリン、ビールを買い、今に至る。

上京すれば暮らしにゆとりが生まれるかと思っていたが、そんなこともなく、相変わらず忙しない。
父さんに限らず、友人の誕生日でさえ忘れてしまうことが増えた。気づいた時には日付が変わる寸前で、急いでLINEしたことが何度あったろう。

父さんも友人も、みんな大事なことには変わりないのに、覚えておくことができない。
誕生日、遊ぶ約束、思い出…のうえから「仕事」が毎日降り注いで、「大事」がこぼれてゆく。

帰宅すると、壁に貼ってあった父さんと私の写真が剥がれ落ちていた。
「忘れてないってば、ほら」
わざとらしく袋を持ち上げる。「ありがとうがきこえないなー」と悪態をつこうとして、涙がせりあがってきた。
父さんの声を思い出せないことに気づいたのである。

死んだ人がほんとうにこの世からいなくなるのは、生きている人間がその人のことを忘れてしまったときだと、お坊さんか誰かが言っていた。真理だけど、ひどい呪いをかけるもんだ。

頭をガシガシ撫でてくれたことや、しつこくコチョコチョされたこと、いつもテレビをつけっぱなしで寝落ちしていたこと、お菓子をあげようとしたら指まで食べられてちょっと嫌だったこと。
父さんとの、たわいない思い出を脳内で再生し、安堵する。
声を忘れても、こんなにさりげないシーンが、今もたくさん私のなかにある。父さんはまだある程度鮮明だ、私はちゃんと父さんを生かせてると。

ちいさく拍手をしてシュークリームを頬張った。カスタードとホイップが両方入っている「ダブルシュー」というやつだ。
ああ、そういえば。
コンビニで嬉しそうに手に取り「咲月見て、ダブルシューだって」と、いたずらに笑った父さんの顔を思い出し、前が見えなくなった。

※父さんの誕生日は11月30日です。

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