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星は風にそよぐ(第9回)

6月2日

 日曜の朝で時間があるし、昨日の気持ちの高ぶりを鎮めるためにも、今朝は大岩のもとで、ゆっくりとじっくりと耳を澄ませていました。そしたら、聞こえましたよ。小川のせせらぎやミツバチの羽音、鳥たちの歌に混じって、先生の声が。何らかの弁解はあると思っていました。だけど
「私が育てるトマトもきゅうりもジャングルみたいって言うけれど、あれはソバージュ栽培という栽培方法なのよ」
って、そっちの弁解ですか。
 そして先生は言いましたね。
「あの詩がセシルをロータシアに引き寄せたのだとしても、私がセシルを受け入れたのは、あの詩のためではありませんよ。簡単なこと。レディにそう書いてあったからです。セシルがシャインウッドで精霊術を学ぶことは、私のレディに書かれていました。だって当然でしょう? すべて書かれているのだから」
 先生のレディに書かれていた。当然です。だけど私は、そのことを考えないようにしていたのかもしれません。先生のレディに書かれているということが、どういうことか。先生が私に精霊術を教えたのは、それが意味のあることだからです。先生ほどの大精霊術師の持つレディに書かれていることには、きっと大きな大きな意味があるはずです。私一人が幸せになるためであるはずがない。わかってるんです。私にはやるべきことがある。先生のレディに書かれていた、というのはそういうことなんです。
 先生がくれた詩画集の絵は、ロビンが描いたんですね。ロビンも、先生と同じメイランド地方で生まれたんですね。どの風景画からもコマドリのさえずりが聞こえてきそうな、明るい光に満ちた朗らかな絵ですよね。私は確信しましたよ。精霊術師の素質が、感性とアーティスティックな才能にあるのは、間違いありません。ミリエル先生には踊りの、ミアには歌の、先生には詩の、そしてロビンには絵の才能がある。私にはありません。先生、教えてください。私の使命って、何ですか。

 昨日の夕食のときに私が珍しく食欲がなかったことを心配して、モニカとクロード先生がマルシェへ行って、丸鶏のローストチキンを買ってきてくれました。私が目を丸くしていると
「このあいだ、マルシェへ行ったとき、ローストチキンをじっと見つめていたでしょう?」
とモニカが笑いました。そう言えば、ガラスケースの中でゆっくり回っているこんがり焼けたローストチキンに、目がくぎ付けになってしまった記憶があります。それをモニカに見られていたんですね。
 だから今日のランチは、ローストチキン、レタスたっぷりのサラダ、ブルーチーズ、そして私がじゃがいものガレットを焼きました。なんだか気持ちが沈んでいたけれど、みんなとキッチンに立ってランチの準備をしていたら、少し心が軽くなったような気がしました。
 食事中、私がちゃんと食べてるかと、みんながちらちら心配そうに見るので、私は今朝先生からメッセージが届いたことを話しました。
「先生が私を受け入れてくれたのは、先生のレディにそう書いてあったからで、それはつまり、私が何らかの使命を持っていて、それを果たさなければいけないんだということを、私は今更ながら自覚したんです」
私がそう言うと、しばらくみんな黙っていましたが、クロード先生が口を開きました。
「使命を果たすことより大事なことはないわね」
またみんな、しばらくだまっていました。そして今度はアナベルが言いました。
「でも今は、その使命を果たすための勉強期間なんでしょ」

 勉強には終わりがありません。果てしなく続くものです。だから、使命を知り、動き出す決意をしない限り、私はいつまでだって勉強を続けるでしょう。だって、心からそうしたいと思っているんですから。

6月3日

 スリーシスターズの日でした。今日は、ジェシーにくっついて、学ばせてもらいましたよ。まずは、みんなで収穫。今日のメニューは白身魚のムニエルとポテトサラダ、デザートにはメロンだったので収穫は少なめで、きゅうり、にんじん、スイートコーンでした。私はジェシーときゅうりを収穫しました。早朝の野菜たちは、朝露をまとって少しだけ重量感が増します。朝獲り野菜のみずみずしさは、朝日を受けてすべてをきらめかせるこの朝露のおかげです。
 収穫のあとは、納品されてくる食材の確認をしました。私たちが調理室に戻ると、すでにお肉屋さんからハムの納品がされていて、冷蔵庫に入れられていました。
「お肉屋のアルノーさんはいつも早いのよ」
とジェシーが言って、納品書と量を確認しました。
 調理が始まるまでの間に、ミシェルのお母さんがパンを、ジュリアの娘さんがメロンを配達してきてくれました。
 ミシェルのお母さんは、マルシェで一度会っただけでしたが、私を覚えていてくれました。
「ああ、また会えた。イシアスのセシルね! 今日はジェシーのお手伝い?」
私が
「お手伝いじゃなくて、勉強なんです」
と言うと、
「それはいいわ。私も常々、ジェシーからマネジメントを学ばなきゃいけないと思ってるのよ」
と言って、パンの数を確認しているジェシーをまぶしそうに見ました。
 ミシェルには歳の離れたお兄さんがいて、そのお兄さんがジェシーの一番下の息子さんと同級生だったんですって。だから、ミシェルのお母さんとジェシーは、ママ友だちなんです。
「ジェシーは5人も子育てしてるからね、時間管理術がすごいのよ。とにかく手際がいい。学校行事でバザーを開いたり、食事会があったりするでしょう。ジェシーと一緒なら大船に乗った気持ちでいられるのよ。次から次へとやるべきことが片付いていくんだもの」
すると、パンの数を確認していたジェシーが顔を上げて
「バザーで活躍してたのはエミリじゃないの」
と笑いました。
「エミリはね、手芸が大得意なのよ。エミリが作った小物は本当にセンスがよくて、バザーで飛ぶように売れたの。私はお裁縫が全然ダメでね。子どもたちが学校で必要になるものは、ぜーんぶお義母さんに作ってもらったわ」
 ふたりの会話を聞いていて、ああこういうのいいな、って思いました。スリーシスターズの関係もそうですが、こうやってお互いの得意を尊重し合える関係が日常にある、って素敵ですよね。
 ミシェルのお母さんが今日届けてくれたパンは「エピ」と言うそうで、麦の穂みたいな形をしたバゲットです。初めて見ました。先生が焼くのは、いつもカンパーニュかブールでしたもんね。
「今日のエピにはね、チーズが練り込んであるの。おいしいわよ~。じゃ、ジェシー、セシル、また明日ね」
そう言って、ジェシーから昨日の配達ボックスを受けとると、ミシェルのお母さんは帰っていきました。
 そして、メロンを届けてくれたジュリアの娘さんとも会ってお話できました。顔立ちはお父さん似なんだそうですが、声がジュリアにそっくりでした。メロンは重いので、ベジタブルショップを一旦閉めて、ご夫婦で運び込んでくれました。納品が終わると、ジェシーが
「またいいもの出たときはお願いね」
と声をかけていました。
 給食のデザートはあるときとないときがあって、市場にいい果物が出たとき、ジュリアの娘さんが連絡をくれて発注するそうです。ベリーヒルズの家庭では、イチゴやブルーベリーなどは普段からたくさん食べているので、給食では普段はあまり食べない果物を食べさせてあげたい、という思いからなんですって。
 ミシェルのお母さんが言っていた通り、ジェシーは細切れ時間の使い方がとても上手だと思いました。5人の子どもたちみんなをちゃんと見てあげようと思ったら、自然にそうなりますよね。ジェシーは、納品の確認の合間に、来月の献立表を少しずつ仕上げていっていました。私は邪魔にならないよう、静かにそれを見守っていましたが、15年ずっとしていることでも、何冊もの本をそばに置いて、きちんと調べたり、新しいレシピを取り入れたりしているのに驚きました。
「献立には随分時間をかけているんですね」
と私が言うと、ジェシーは
「栄養学もね、どんどん新しくなっていくでしょ。前に正しいとされていたことが、実は間違いだったりね。だから、慣れや勘、昔の知識に頼るんじゃなくて、常に勉強してなきゃいけないと思うのよ。実際に動くときは慣れや勘をフル稼働させるんだけど、この献立作りはね、勉強しながら時間をかけてやるって決めているの」
と言いました。

 ポテトサラダというのは、生野菜のサラダに比べて、手間がかかります。ジェシーのレシピでは、茹でたじゃがいもをなめらかにつぶすのではなくて、じゃがいものゴロゴロ感を残します。そうすると、調理時間を短くできて、じゃがいもらしい食感も楽しめるんです。ここに、茹でて軸からはずしたスイートコーン、きゅうり、にんじん、ハム、ミックスビーンズを加えて、塩とお酢、オリーブオイルで調味します。最後に、みんなでパンとメロンを人数分に切り分けました。

 ランチしながらの女子トーク、今日の最初の話題は、好きな香水の香りというテーマでした。仕事中は調理の邪魔になるので3人とも香水はつけていません。私も香水をつける習慣はありませんけど、好きなのは石けんの香りです。ジュリアはオレンジやグレープフルーツのような柑橘の香り、ジェシーはバニラの香りが好きなんですって。バニラの香りの香水なんてあるんですね。私、知らなかったです。
「ふたりともやっぱり食べ物系なんだ、食いしん坊だな~」
と私が笑うと、エヴァが
「私はね、オリーブオイルで炒めているときのニンニクの香りが一番好き」
と言ったので、みんなで大笑いしてしまいました。さすがに、ニンニクの香りの香水はないですよね。先生の暮らしはいつもハーブとともにあったから、家中がいい香りでいっぱいでしたね。
 不思議なことがありました。こうやってみんなで笑いながら話していたら、なぜだか急に、さみしさに襲われたんです。唐突に、さみしくてたまらなくなったんです。ロータシアに来て、初めてのことでした。「私だけだ」と思いました。「このロータシアで、私だけ道しるべがないまま、迷いながら生きてる」って。それで私は、さみしさを振り払おうとして、無理やり声を出しました。
「ねえ、もしもレディがなかったら、どんなお仕事をしたかった?」
みんなを迷わせて道連れにしようと、こんなことを訊いたわけじゃないんです。いいえ、もしかしたら、少しそんな気持ちもあったのかもしれません。でも、3人は口を揃えてこう言いました。
「そんなこと、考えたこともなかった」

6月4日

 精霊術クラスでは、もっぱらコンサートの準備をしています。ミリエル先生が美しいプログラムを印刷してくれたので、今日は、家族への招待状作りをしました。
 先生、コンサートは夜に行われることになったんですよ。それはね、ちょうど蛍の季節だからなんです。近くに小川があるので、会場の辺りでも蛍が飛ぶんですって。素敵でしょう? コンサートへは、精霊術クラスの子どもたちの家族と全校生徒、そして学校スタッフみんなが招待されます。
 先週、ビストロミュジークへ行ったとき、アンリとロランが歌う曲の発表がありましたよ。「マン・イン・ザ・ミラー」です。先生、知っていますか? 「世界を良くしたいなら、自分と向き合い、君自身が変わるんだ!」っていう曲。私の大好きな曲です。
 先生への招待状がわりに、ここにプログラムを書きますね。

~森のコンサート~
6月15日(土) 18時半開場 19時開演
クロスポンドの小さな森にて

1. 安かれわが心よ(全員)
2. きらきら星(1~3年生)
3. 野ばら(4~6年生)
4. マン・イン・ザ・ミラー(アンリとロラン)
5. 彼方の光(全員)

 明日の練習にはアンリが来て、指導してくれることになっているんですよ。

6月5日

 全校の子どもたちにプログラムが配られ、学校中がなんだかソワソワしています。子どもたちにとっては、なかなか体験できない夜のイベントですから、みんな興奮気味。私自身、ソワソワ、ソワソワしています。私は一応、先生なんですから、子どもたちのお手本になって、落ち着かなければいけませんね。率先してソワソワしていてはダメです。そんな中でも、ミリエル先生は悠然としています。なんとミアも。これも精霊術師の素質なのかもしれません。ステファニー先生も、いつだって泰然としていますもんね。

 今日の算数の授業で使われたプリントがとても美しくて、今、日記を書いている机の前の壁に飾っています。今日の算数は、定規を使って円の半径を測る授業でした。
 ミリエル先生が用意してくれたのは、大小さまざま、色とりどりの円が画面いっぱいに描かれたプリントでした。それぞれ円の中心が示してあって、そこから円周までの長さを測りました。円は水彩絵の具で丁寧に色がつけられています。クラスの全員と私の分、ミリエル先生が塗ってくれたんですよ。本当にきれいです。ミリエル先生の愛を感じました。その絵を見ていたら、イシアスで小学生のときに習った「みんなちがってみんないい」という有名な詩のフレーズが、不意に浮かんできました。額に入れて飾りたいので、今度、ジョーのうちのアンティークショップで探してみようと思います。

 そして今日は、精霊術クラスにアンリが来てくれました。ミリエル先生が
「コンサートで伴奏をしてくれるアンリです。今日は歌の指導に来てくれました。アンリはビストロミュジークのシンガーで、先生の恋人なのよ。仲良くしてね」
と紹介すると、子どもたちから「キャー」という歓声とともに拍手喝采が起こりました。うん、絶対「キャー」って言っちゃいますよね。
 アンリは、伴奏しながらみんなの歌を一通り聴いたあと、とても驚いてこう言いました。
「なんて素敵なんだ」
本当に。私も聴くたびにそう思っています。精霊術クラスにいるのは、とりわけ豊かな感性が必要とされる職業につく子どもたちです。クラス18人のうち精霊術師になる子は3人だけで、あとはクレアのような演奏家になる子、レイラのようなフローリストになる子、ジョーのようなアンティークショップのオーナーになる子、それから作家や画家や農家になる子どもたち。とにかく私は、この子たちの感性にいつも驚かされてばかりなんです。ミリエル先生が「歌は祈りだから」と、心を込めて大切に教えているせいもあるのに違いありません。それがミリエル先生の教え方。ミリエル先生は「歌のたましい」を伝えている。
 アンリはこう言いました。
「ごめん、歌の指導に来たのに、僕が教えること、ないみたいだな。だけど、このまま帰ったら、ミリエル先生にしかられちゃうから、ひとつだけ言うよ。僕がハーモニーを作るとき、何をしているか。僕はね、他の人の声を聴いてるんだ。よーく聴いているんだよ。そして、その声に自分の声を重ねることを、とことん楽しむんだ。声がきれいに重なった気持ちよさを、とことん味わうんだよ。みんな、もう知っていることだと思うけどね」
 アンリ。先生も、ミリエル先生にぴったりのお相手だと思うでしょう?
 今日のミリエル先生との振り返りにはアンリもいて「とにかく驚いた」と、何度も言いました。「これじゃあ、ロータシア中の精霊たちが集まってきちゃうよ」ですって。





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