外の世界で気づくこと

こんばんは、もなかです。

小さいころから、絵を描くのが好きでよくチラシの裏なんかに落書きをしていた。

あとは本を読むのも好きだった。

小学校に入ると、図工の時間で校舎を書いたり、版画を彫ったりした。私はいつも通り自分なりの絵を書いた。そうしたら、賞を貰った。

金賞。

初めて他人から評価されることに感激を覚えた。
もちろん、以前から親は私の絵を褒めていたし、上手だね、と言ってくれていた。

それとはまた違った感覚。
家庭という枠組みにいると、私の親はほぼ何でも褒めてくれるし、肯定してくれる。

小さい頃はよく近所の子供たちで鬼ごっこをやった。その頃から鬼に捕まることはほとんど無かった。(年上の子には負けるが)

体育の授業で100m競走をした。
学年で1位くらいに早くて、毎年リレーのアンカーをやった。
私自身、自分は足が速いとは自覚していたけれど、まさか学年で1位になるとは思わなかった。それは自分にとって誇りであったし、優越感も感じることが出来た。

あとは、よく本を読んでいたから漢字のテストが得意だったこと。ほぼ毎回10点をとっていたし、100点満点のテストも満点だったこともある。

これらの出来事は、外の世界(他人が自分を評価する世界)で起こったことで、内の世界(家庭や自分の小さな周りの世界)では体験出来なかった事であったし、自分の能力を知るきっかけとなった。

自分にこんな能力があったなんて。

自分ってスゴいのかも。

他人よりスゴいのかも。

他者と自分を比べる良い機会であると共に、自尊心が成長し、自分という人格を形成する良いタイミングだったと思う。

ただ、外の世界から得られるのはプラスのことばかりじゃない。マイナスのことだって多いのだ。
他者と比較して、自分はこんなところが出来ない、劣っている、価値がない。などと自己批判的な思考になる場合もある。

私はもっぱら自己批判的で、自責なんてしょっちゅうで自己嫌悪しまくりの劣等感の塊のような人間だ。
だから、自己批判をしない人はどういう思考をしているのか、自分が他者から攻撃された時、なぜ自分を責めずに相手の方に問題がある、と考えられるのか。ありのままの自分を受け入れて貰えなかった体験をした時、なぜ自分に自信がなくなり、自己肯定感が低くなるのか。疑問に思うことはたくさんある。人間はなぜ自分自身を批判したり嫌悪したりするのだろう。世界でたった1人の自分なのに。本当は守りたい存在のはずなのに。他者を優先してまで自分がなぜ傷つく選択をしてしまうのか。

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