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『サタデー内装フィーバー』 vo,3 序章

前回めでたく自称短編小説のスタートを切れたわけだが、とは言え1人の孤独なる執筆作業が長く続くわけで、数少ない世間の人間との繋がりである『評価』を気にしないと言えば嘘になる。いやむしろ気にしかならない。

そしてこの現代『評価』というモノの代名詞の1つが『いいね』であろう。

俺は今まで『いいね』というボタンの必要性に疑問を感じ、このシステムを酷評する側にあった。

と言うのも、『いいね』を押す事について、個人的な感覚ではあるが、日々沢山の人達がSNSに様々な情報や現状をアップしているが、俺はそれを常々チェックしている訳ではない。
むしろたまにしか見ないのだ。たまにの匙加減は人それぞれだろうが、俺の場合はおよそ月に1回程度だ。
月1程度の閲覧だと、それまでの記事全てに目を通すのは容易ではない。

ならばその時たまたま見た人(記事)にだけ『いいね』を押せばいいのか。いや、俺がたまにしかチェックして無い事など誰も知った事ではない。
ならばと聞かれても無いのに、こちらから『俺はたまにしかSNSをチェックしない男だ。』などと釈明などしたら、逆に怪しい事この上なしだ。

結局は不公平だと感じてしまうのだ。
いや、不公平というか『あの人には押したのに、俺には押してくれてない。』なんて思われるのが不本意なのだ。

そうなってきたら大変だ。毎日SNSチェックは欠かせない。1つだって見落としててはならない。『いいね』の押し忘れひとつで友人を失いかねないのだ。しかしこれ以上はどうにもチェックし切れない。ともすればこれ以上友達を増やす事は出来ないな。
いや、今後の事も考えたら、もうちょっと友達も厳選しなくてはなるまい。

そうして俺の中のロジックは、どちらにしても結局友人を失う方向でオチつく様に出来ているのだ。

根本的には俺の思考に問題が有るのは間違いないのだが、そう思ったらそうとしか思えないのが、俺という人間の困ったところだ。

こんな偏った思考の中で
どうにも馴染めそうもない『いいね』ボタンを忌避していたのだが、こんな自分が今、書く側になってみるとまた景色が変わるのだから不思議なものだ。
『いいね』が欲しいのだ。
なんなら『凄いね』とか『超イケてる』ボタンが無いのはどうなのか、と思っちゃってるあたり、恐怖だ。狂気じみている。
こうして歪んだままに思考に思考を重ねた結果、辿り着いた答えが

100円あげるから『いいね』押してくれ。という事になった。

何と言う素晴らしい落としどころだろうか。
これなら売り手と買い手の利害も一致するし、
売ってないから『いいね』を押していないだけなのだから、だから友情にヒビが入る事もない。
こうして歪んだ思考の末に辿り着いた先が、
ただの『サクラレビュー』ならぬ『サクラいいね』形態である事に、俺は書きながら気が付いたのだ。

ともあれ、ブログのページに載せている、ブログそのものの様な内容の文章を、『短編小説』と言い張り、その上で更に『いいね』を欲しがるなど、滑稽そのものだ。
更に言うなら、このブログページには『いいね』ボタンなんてものは無いのだ。
(※2023/12よりblogをnoteに切り替えたので、スキ❤️というボタンがついかになりました。よろしくね)

『ウチのラーメン美味しいので、是非食べに来て下さい。』と言いつつも、『まだ店無いんですけどね。』と言ってる様なものだ。
ガッテム!

そう言えば以前、500円玉貯金に全力になっていた時期があって、(今も続けてはいるが、キャッシュレス時代の流れで、ペースはグンと落ちてしまった。)その当時は500円玉を作る事に、とにかく必死というか夢中になっていて、ジュース2本買うのに千円札2枚を自販機に突っ込んだ事も有った程だ。(それ以上やると500円玉以外の小銭で財布がパンパンになってしまうので、危険だ。財布が破裂する)

そんな夢中も極まった俺はある日、8000分の500円玉なら10000円で買い取る!と唐突に言い出した事がある。
この両替取引は言うまでもなく悪手中の悪手で、むしろ自爆のようなものだ。負け確の投資に手を出すようなもので、元々500円という小銭をコツコツ、ただ貯めていくだけの行為に、自らリスクを持ち込むのは、クレイジーそのものだ。
ただ売る方からしたら垂涎もので、瞬間20%利益確定である。タイミングによっては売りが殺到し、破産は避けられない状況になりかね無かったが、残念ながらその取引は成立する事は叶わなかった。
何故なら見かねた友人達が『目を覚ませ!』とばかりにデリケートな俺のお尻に蹴りや鉛筆、釘などをぶっ刺して止めてくれたからだ。
とどめには白いパンツにオレンジジュースをぶっかけてくれたのだ。嗚呼なんて優しくて、なんて猟奇的な友人達だ。愛してる。

すんでのところで思いとどまったお陰で、俺は肛門に付き合いの長いダメージを負うに留まった。たとえ肛門完治までの費用が6000円掛かったとしても、5000円の白いパンツがオレンジジュースまみれになったとしても結果オーライ!言わば、ケツが砲雷だ! 

この様に、俺は熱くなると極度に近視眼的になってしまい、物の価値が絶対的にも相対的にも分からなくなるのだ。まあ、元々物の絶対的な価値などはそもそも分かっているのかは微妙なところでは有るが。

ただ、人間は経験を経て学んで行く生き物なのだ。失敗の経験を積みに積み重ねて、成功に近づこうとするのだ。
失敗すると分かっている道を選ぶのは、アニメの一節であればある意味カッコいいかも知れないが、現実の世界では愚かであり、過去への冒涜だ。

そう思えばこそ『いいね』の100円セールなど冒涜で、背徳で、独特だ。
やめだやめだ。もう『いいね』の特売の時間は終わりだ。(と言っても、俺は買う方だったのだ。もうメチャクチャだ。)

そんな訳で冒頭で自分で点けた火を、此処へ来て鎮火させるに至った訳である。
まさに最速マッチポンパーだ。
何とも中2心を擽る様なネーミングだが、深掘りするとダサいだけなので、サラッと流して欲しい。

さて、ここまで読んで気がついた人もいるかも知れないが、
『サタデー内装フィーバー』なんてネーミングの割に、業界の愚痴こそすれど、ここまで内装の話しなどひとつもしていないのだ。
何と言う事だ。

これでは『内装』というワードに惹かれて、趣味のDIYの助けになればと思って見に来てくれた人にしてみたら肩透かしもいいところだろう。悲しい想いをさせてしまうかも知れない。

なので、念のため言っておこう。
今後、数年は続けるつもりのこの『サタデー内装フィーバー』だが、これを読んだ事でDIYのスキルがメキメキアップして、金運もグングン上昇して、
「まるでモテた事の無かった僕が同時に沢山の子に告白されて、その中で1番好みの子と付き合う事になって、結局結婚しちゃいました。ついでに自分の家もDIYで建てちゃいましたー」
何て事はまず無いだろう。
いや、無い事は無いだろうが、その場合、俺の影響である可能性は無いだろう。よしんばあったとて微々たるモノだろうし、俺自身がそう言った効能を謳う事はまず無いだろう。

例えるなら『偉人』の本を読んだ事で、『偉人』を作りあげれるのならば世の中『偉人』だらけになってしまう。
その場合、『普通』な方がレアだ。

この例えだと、俺が『偉人』な感じになってしまいそうだが、そもそも俺はいいとこ『異人』ではあれど『偉人』などでは到底無いどころか、
色んな意味で『地底人』の方がしっくりくる。その手の話はまたいつかする事にするが、とにかく仮にこの作品に影響を受けた人が、『偉人』になったとしても、それはその人の資質であろう。
ただ「『サタデー内装フィーバー』の、おかげで僕、偉人になれたんです。」なんと言う奇特で傲慢な思いを声高に色んなインタビューやら番組で答えてくれる『奇人』が現れようものなら、もちろん大歓迎だ。自分で自分を「偉人になれたんです。」とか言ってる時点で危険人物でもあるが。
とにかく、そう言って貰えるなら宣伝宜しくである。
願ったり叶ったりだ。
ウィンウィンだ。好きだ。

そんななまじ妄想に近い希望を持って日々文字を紡ぐ事が大切なのだ。
まあ、実際のところは、どんな形であれ、読み物としてまともに機能するところまで行ってくれれば御の字だ。
最後の最後で他力本願なのはご愛敬だ。

ともあれ、まだまだ前知識として紹介したい事柄が沢山ある以上、『前書き』の様な編は暫く続くであろう。
そうだな、『前書き』はあくまで『前書き』だ。ここは暫く『序章篇』としておこう。
ここでようやく今回、もとい暫くのタイトルも決まりだ。

そして前回の次回予告を完全無視(いや、まあ内容的には割と沿ってるか、、、)するというテンプレ破りも、なるほど俺らしいが、俺のことを知らずに読んでる人からしてみたら意味不明だろう。

と言う訳で次回予告は暫く封印だ。
パチンコでも次回予告は激アツ演出のパターンの事が多いが、そうそう出るモノでも無いのだ。
こうして、毎度の決まりっぽい流れを2回目にして辞めてしまう辺り、またその理由の例えにパチンコを使うあたり、俺が落ち着きのない『極』小市民である事が伝えられたのなら、怪我の功名と言うヤツだ。良しとしよう。

人の人生を変えてしまう程のモノを目指すつもりはまったく無いが、『暇で暇で仕方ない時、つい読んじゃうんだよね。』
位の存在になれれば幸いだ。

未だに小説らしき体を成す兆しは見えない。
だが暫く『終わらない序章』『始まらない本編』という状況を楽しんで貰いたい。

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