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Journey to heaven(or hell)


ある末期ガン患者が「これは闘病じゃない、ガンへの旅だ」と言っていたことに対し当事者じゃない方が「なんて素晴らしい考え方!」と発言しているのを見て「は?」って思ってしまったことがある私です。

似たような言葉に「障害は個性だ」というものがありますが、当事者が自分自身のことを言い、且つ他の障害者に考えを押し付けないのならありですが、もやもやするのは私だけではないはずです。

私は何度かお話しているようにまだ死にそうにありませんがガン患者です。「ガンへの旅」っていったい何でしょうね?ガンの種類によってはゆっくりと悪化し、効くか効かないか分からない、もしくはよくなる確率の低い、肉体的にも精神的にも苦痛を伴う治療を受け、更にQOLも著しく下がるわけで(私のガンもそうです)。「ガンへの旅」だなんて当事者でもないのに「良い言葉!」と感激している方ってなんなんでしょうね。ガン患者やその他死病の患者はすべて尊い......と思っているわけではないでしょう。思われても気持ちが悪いですが。そのような言葉で救われる患者もいることは全然否定しません。先ほど言ったように、考えを押し付けたり綺麗ごとを吐いて患者の苦痛を無視するようでなければ。

安楽死制度については山ほど言いたいことがありますので、おいおい書いていくつもりではありますが、反対意見が容易に想定出来るし、実際反対派の意見もたくさん読みましたが永遠にかみ合うことはなさそうなのでどうしたものかな......と思っています。まぁ、私が生きている間はこの国で安楽死制度が合法化されることはないでしょうね。日本ではまだ早すぎるという反対派の意見が散見されますが、その中にはただ今の日本のダメ政府を批判できるなら何でもネタに利用するといった人たちが多い印象を受けます。今の政府がダメすぎるのは自明なので、そういった人たち(まともな議論が出来そうにない反対派)の意見も尤もだ......と納得してしまう人もいるのが厄介です。「デスハラの恐れがあるから安楽死制度には反対」と言っている人たちが、安楽死制度が合法化されるや否や、安楽死を希望している人に「お望みのように安楽死制度できたよ?安楽死しないの?」と言うデスハラが目に浮かびます。個人の生死の問題に介入するな、人の尊厳とは~人権とは~などと言っている自称人権派があれこれ言っているのは一体なんなんでしょうか。

ガンへの旅?そんなのしたくないわ。どんな旅か分かってるの?