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【エッセイ】おじさんはサウナの全てを許す


『サウナっておじさんのものじゃん。』

職場でサウナの話をした時に返ってきた第一声である。

これだけサウナブームが押し寄せているのに、まだサウナはおじさんのものだという考え方が残っているらしい。

サウナブームがくる少し前に、私はサウナの魅力にハマった。まだ、かるまるがガラガラだった頃、確かに耳の早いおじさんが多かった気がする。
アウフグースもなかったし、サウナ室内にはサウナストーブの音だけが響いていた。あの時のかるまるに行けてよかったなと、今だから思う。


しばらくして、サウナ自体が盛り上がってきた。テレビなどで特集が組まれたり、Twitterでも『サウナに行きました!』などの記事を多く目にしたり、新設サウナが増えてきている。

今のサウナはと言うと、やはり若い人たちが多くいる。特に大学生前後のグループが目につく。3人前後でサウナに入り、同じタイミングで水風呂に行きみんなで一緒に入っている。
外気浴場でも並んで座り、時に話に花を咲かす。サウナが一種のアクティビティになっているのだな。


確かにサウナは楽しい。
それでも年ごろによっては、黙って座っているのは思いの外退屈かもしれない。休憩後に牛乳飲みながら『整った〜』って言いたいし、SNSでも共有したいもんな。わかるわかる。

一方おじさん達はというと、相変わらず自分のペースを保ちながら、サウナに入っている印象がある。
内心どう思っているのかは知りようがないけれど、静かな時間を過ごし、今日も整ってしまっている。


対極的なサウナへの向き合い方だ。


私はというと、マナー違反は確かに目につくが『まぁ、いいか』に落ち着くことが多い。サウナはやっぱり楽しいし、誰かと共有したい気持ちもわかる。一人で過ごしたい気持ちもわかる。どちらの過ごし方が正しいとか、きっとないのだ。

サウナのマナーは確かにあるが、そのマナー自体が新しくサウナに来たいと思っている人たちの足枷になったら意味がない。

「この人たちは、普段あまりサウナに行かない人なんだな。初めてきたのかもしれない。これからハマって、その時にはマナーを学んできてね」

と心の中で思うことができる。


この心の余裕は、一体なんなんだろう。
20代前半の頃だったら、mixiやTwitterに

「今日サウナハット被ってた集団、本当にマナーがなってなかったんだけど!」

と投稿していたと思うし、mixiならサウナコミュニティとかに書き込んでいただろう。
『サウナについてのマナーについて』
とか、まるで世論を確かめるようにダサいスレ板も立てていたかもしれないな。


おじさんと呼ばれる年齢を近づけるたびに、いろんなものを許せるようになった。
失礼な事をされても、『何か嫌なことがあったのかもしれない』と考えるようになった。
それは普段の生活から、トラブルに直面しても一歩引いて、俯瞰的に物事を考えてみるようになった。
いろんな経験を積んだのが、要因だろうか。


もしそうなら、サウナでのおじさん達と結びつく。


サウナのマナーに対する心の余裕。
サウナの変化に対する心の余裕。


さまざまなな事を受け止め、許し、静かに身を置く。その中で、自然と身についた受容というスキルが、サウナという狭い室内で見え隠れするのかもしれない。

『サウナっておじさんのものじゃん』

違うんですよ。

『おじさんにならないと、サウナの全てを受け取れないんです。』

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