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自己紹介Part2 過去を振り返りながら

読者の皆様こんにちは^^
本日の投稿内容は、ひとつ前の記事にて告知しました通り過去を振り返りながらの自己紹介の続きになります。

さて、前回の投稿では私の生い立ちから17歳を迎える少し前までの経歴をお話ししました。
本記事では17歳を迎える頃から現在に至るまでの経験や過ごしてきた環境の一部をお話していきたいと思います。

※前回よりも内容が濃く、穏やかではない事柄が多くなるかと思いますので読んでいく際にご気分を害されそうになった場合には一旦読むことの中断をお勧めします。(同じような体験から辛い過去を思い出させてしまった方がいましたら申し訳ございません。)

それでは本文に入らせていただきます。

生い立ちから現在に至るまでPart2
~16歳終わりから17歳~
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・16歳終わり、遂に家出は出身地である神奈川を越え、県外へ…
・家出を続ける中、匿ってくれる人が見つからないという事態に直面し途方に暮れていた私へとある友人から2~3日なら匿える知り合い(男性A)が見つかったとの連絡をもらう。
・Aは都内で働いており、まず顔合わせがてらAのお昼休憩に会うことに。
・都内なんて滅多に行くこともなかった私は道に迷い、お昼休憩の間に会うことは出来ず相手の仕事が終わるのを待ち、合流をする。
・顔も名前も知らない、通話での声のみ確認した相手と無事合流し向かった先は相手の家。
・すぐ着くと言われ電車に乗ること約一時間、必死に話題を絶やさぬよう、悪印象を与え何の知識もない土地でその日の寝場所を失わぬよう笑顔を振りまきついた先はまさかの ”埼玉県” 。
・Aにはルームシェアをしている同居人(男性B)がいる、そして相手は年上だから失礼の無いようしっかり挨拶をする様にと言われ、男性二人が住む家に匿ってもらう事を認識する。
・Aの住む家の最寄り駅にて同居人であるB(後に現在の夫となる)と合流。
・親に警察への行方不明届や捜索願を出されぬよう、家出中も連絡はとれる状態にしてあった。
・埼玉へきて二日目、親に埼玉県にいる事、自分の身に危険はなく安全なところにいるという旨を連絡。
・どうにか帰っても暴力にあわないように謝罪と共に親を説得して実家に帰ろうと何度か通話を通して試みるが親との話し合いはうまくいかずA,Bの家にいる期間が延びていく。
・そのうちA,Bと気が合い仲良くなり始め、私も含め3人でルームシェアをして住めばいいと合意の考えになり、実家へ帰ることを諦めた。
・私には服も荷物も所持金も無かった為、A,Bにすべての面倒を見てもらっていたが、いつ追い出されるかもわからないので仕事を始めることを決心。
・身分証明書は父親の扶養で社会保険の保険証しかないが、親が常に持っていたため親に仕事をするために何とか自分の保険証を送ってはくれないかと交渉するも親は頑なに「危ないから渡せない」と言ってきかなかった。
・まともな仕事をするには面接時に身分証明書の提出が必要な為、身分証の無い私は仕事に困っていた。
・好きなこともしたい、タバコを買いたい、自分を住まわせてもらうだけのお金は家主であるAにきっちり渡したい。そんな思いで数日間ネットとにらめっこをした。
・2人に相談をすると、「今はまだ焦らなくていい、お前は未成年だし俺たちは成人で仕事もしてるから多少の金はある」と言ってくれたが私は申し訳ない気持ちでいっぱいになり、こっそり*援助交際という方法でお金を手に入れることにした。
・初めは二人に黙って援助交際で体を売ってお金を稼いでいたが、一文無しだったはずの私の急な金回りの良さに気づき危ないことをしていないかと心配され、正直にネット出会いを使い体を売って金を稼いでいることを話した。
・もちろん二人には止められたが、どんな方法であれ自分で得たお金で好きなことができ、寝る場所・食事を確保できることに初めて自由を感じ、「誰と付き合ってるわけでもあるまいし、お金を家にちゃんと入れられる唯一の方法だから」と言って押切り援助交際をやめることはなかった。
・埼玉の中でも比較的都内にアクセスのいいところだったので、援助交際やお金をくれる男性からのワンナイトでのお誘い狙いのために現在でいういわゆる*トー横キッズ状態で新宿の歌舞伎町に入り浸るようになった。
・朝から晩まで体とネットを駆使し、丸二日ほど家を空け家に帰るときにはお土産と共に二人に頼らずとも自分が生活するために必要なだけのお金を手にしていた。
・とある援助交際の相手から、アンダー18のデリヘル(通称*援デリ)をやらないかと誘いを受け、雇い主がバックにつき危険から守ってくれるという誘い文句にのっかってしまい、個人間での援助交際ではなく援デリを始めることになった。(後に援デリを勧めてきた人物がやくざということを知り恐怖心から辞めようにも抜け出せなくなった。)
・援デリを始めてまもなく、毎日朝8:00~終電が終わる時間までの長い時間何人もの客を相手に体を使い続けることで私の精神と体力はすり減っていった。(雇い主であるヤクザ?チンピラ?に引かれる額がでかく、手取りは物凄く悪かった)
・毎晩、Bに愚痴を聞いてもらいながら泣く日々が始まった。
・毎日毎日涙を流しながら愚痴を吐く私を見て、Bから「そんなに傷つくくらいなんだからやめなさい」と言われ、月に一度のプリンセスデーを機に辞めることを決意。ケータイの番号も変えて飛ぼうと考えていた。
・ついにプリンセスデーが来て、体調もかなり悪かったのでその日は休みたいと伝えたところ、雇い主には了承してもらえなかった。
・どうしても仕事に出る体力はなく、それでも分かってもらえなかった為、電話を無視した。
・しばらくたっても鳴りやまない電話を放置していると、玄関のドアの外から雇い主の呼びかける声がしてきた。
・その日はAもたまたま仕事が休みで家にいたため、二人で息を殺して居留守を使った。
・ベランダの窓から怒鳴り声と窓をたたきながらの脅しが始まり怖くなった為、大事になる前にと私自ら対応しに出て謝罪をし、その日は休ませてもらえることになった。
・プリンセスデーが終わり仕事を再開する日は、A,Bと夜から出かける予定を立てていたので朝からそのことを伝え早めに上がらせてもらうようにたのんであったが、その日が終わったら逃げることを決めていたので私は体を使いたくなく、雇い主にバレないようこっそりSNSでの客とのやり取りの際に悪い態度をとり、客自らキャンセルをされるよう仕向けて上がる時間まで粘った。
・上がれる時間になり、一人も集客が取れず苛立っていた雇い主に上がらせてくれと頼むものの、中々上がらせてもらえず結局夜の11:00を回ろうとしていた。
・勝手に帰ろうとすると、私がやり取りした覚えはないのに雇い主が勝手に「最後の客がもう来るから一人くらい仕事して帰れ」と言ってきたので私は諦め、最後に一仕事する覚悟を決めた。
・待ち合わせ兼待機場所へ客が来ると、「車に乗れ」と言われた。
待ち合わせた場所は目的地であるホテルから徒歩30秒程度のところだったにもかかわらず言われたので「入り口で待っています」と伝えたが客は頑なだった。
・目線で合図ができる距離にいた雇い主に目で訴えるも、苛立っていたせいか、普段は危険だから乗るなと言っていたのに”乗ってしまえ”との返答が来た。
・渋々客の車に乗り込むと客はホテルとは全く別の方向へと車を走らせた。
・どこに向かうのかと尋ねると「この奥にもっといい行きたいホテルがある。指定のホテルなんて*美人局でもするつもりだったのか」と言われた。
・雇い主にそのことをLINEで伝えた。
・車は建物はおろか、明かりもない道を走り始めた為、後どれくらいで着くのかと尋ねると、客の態度は急変し「うるせぇ黙ってろ」と怒られた。
・拉致をされているのではと思い不安になった私はLINEの位置情報機能を使い、家にいるAと雇主それぞれに客にバレないようこっそりと位置情報を送り続けた。
・しばらくして客にバレ、殴られ、ケータイの電源を落とされ、ケータイを含めたすべての所持品を取り上げられた。
・泣き出すと、「騒いだら殺す。次泣いたら殺して捨てる。」と脅され客がかぶっていたニット帽を顎までかぶせられ「窓の外を見るな、下を向いていろ」と言いながら脚を殴られそこから体感にして約一時間半ほど車に揺られとある一軒家の中へ連れ込まれやっと目隠し代わりのニット帽を外され、刃物をちらつかせながら脅す客の言いなりとなり監禁が始まる。
・約24時間の監禁の末、何とか誘導尋問にて客に解放させるよう仕向けたのが成功し、行きと同様ニット帽での目隠しをして車で体感にして約30~40分車に揺られ見知らぬ駅で降ろされる。
・走り去る車のナンバーを記憶しつつ、終電が近かったためとりあえず乗り込んだ電車の中からすぐに家にいる男性Aへ連絡をした。
・Aは警察署にいた。捜索願を出していたのだった。
・警察の指示により指定された駅で降り警察に身柄を保護され、警察署へ事情聴取へ。
・警察によると、犯人の目星はついているから犯人逮捕のため被害届を提出してくれとのこと。
・過去に遭った性被害の経験から、実況見分の辛さや事情聴取のため何度もことを思い出さなければならない辛さ、そして雇い主として私を使っていたヤクザの存在にも恐怖を覚え、気持ち的にもまだ興奮状だった私は「自業自得なんです。生きて帰ってこられたのでそれだけで十分。被害届は出しません。」と、何度言い方を変え、方法を変え捜査協力を望まれても断った。
・未成年であること、実質家出中であることもあり、私は埼玉県内の一時保護所へ一晩泊まった後地元である神奈川の一時保護所へもう一晩泊まり親の迎えを待った。(私的にはもう、埼玉での住所も同居している男性二人のことも親に伝えていたし、帰って来いとも言われなかったし、親に埼玉の住所に荷物も送ってもらってたからとっくに許容されていると思い家出の認識はなかった。)
・親が迎えに来て保護所を後にすると、地元警察が待っていた。
・親も私もビックリしたが、どうやら児相が連絡を取っていたらしい。
・地元の警察署でも何時間にもわたり事情聴取を受け、今度は警察署の取調室で一晩泊まることになった。
・次の日朝食に何が食べたいかと聞かれ「マック」と冗談半分に言うと、警察の人は本当に「朝マック」を買ってきてくれた。
・また少し聴取を受けた後、午後になると警部補から突然サラッと「今から家庭裁判所行くから」と告げられ、私の頭は?いっぱいのまま家裁へ連れていかれた。
・気づいたら私は*鑑別所の中にいた。家裁の審判のより、収容されたのだった。
・意味が分からなかった。教官に「留置場大変だったでしょう~」と言われた私は、「留置場ってどんなところなんですか?」と聞き返すと「あ、貴方は留置から来たんじゃないのね珍しい。ごめんねつい、、、」と驚かれ初めて今の自分がとんでもないところにいるんだと実感した。
・流石に私でも留置場が罪を犯した人が一時的に収容される施設だという知識はあった。
・いよいよパニックになった私は制度を利用し不服の申し立てをした。
・もちろん、すべて棄却された。
・17歳、1月終わりのことだった。
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今回はここまでで一旦区切らせていただきます。

私自身色々思い出しながら書いているため、やはり内容が内容なので多少くるものがありました。。。(汗)
簡潔にまとめるのがなんとも難しくだいぶ長くなってしまったのもあり、丁度話のステージが変わるところまでお話を出来たので続きは次回の投稿で書こうと思います。

なかなかのハードな経験内容に加え、素人クオリティーの文章が故、読み疲れてしまうかもしれませんがそんな時は一旦読み進めるのを辞めてリラックスしてください^^
書き終えた後自分でも確認のため読み返してみて疲れます(笑)
読みにくさ等を改善しようにも今の私にはこれが精いっぱいなのです…( ノД`)

今後このノートを開設した本来の目的である発信していきたい内容を、発信の意図や発信していこうと思ったきっかけが読者様によりわかりやすく伝わるように、こんな調子ではありますが少しずつ投稿してまいりますのでどうか温かい目で見守ってくださると嬉しいです。

P,S 記事を書いている間、お腹にいる第二子がちょこちょこ大暴れしてお腹がグニョグニョと痛いほど元気に動いておりました(〃艸〃)


次回は現在に無事たどり着けるよう頑張りますので、もう少しだけ過去を振り返りながらの内容にお付き合いください。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。


2023,02,13 しちゃ。

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