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財政赤字とコモンズの悲劇(2013)

財政赤字とコモンズの悲劇
Saven Satow
Aug. 07, 2013

「めいめいの手のひらは自分の方を向いている」。
スペインの諺

 経済学に「コモンズの悲劇(The Tragedy of the Commons)」という思考実験がある。それは多数者に利用できる共有地・入会地の牧草や木材といった共有資源が乱獲されることで枯渇してしまうという比喩である。

 これを提示したのが生態学者ギャレット・ハーディン(Garrett Hardin)である。彼は、 1968年、『サイエンス』誌に論文「コモンズの悲劇」を発表している。しかし、この比喩はハーディンが共有地に関する知識を持っていないことを物語っている。

 入会地はクローズド・アクセスであり、誰もが自由に入れるわけではない。また、商業利用の禁止や一世帯当たりの使用量の制限など持続させるための多くのルールが決められている。さらに、利用者は人手を入れてコモンズの保守を行っているのであり、決して野放図にしてはいない。そもそもコモンズの衰退は一元的所有権という近代的私有財産制の浸透以降であり、悲劇はそれに由来するとも考えられる。発表直後から多数の批判が寄せられ、ハーディンはオープン・アクセスという条件を付ける修正を行っている。

 ただし、入会地は人口増加しないという暗黙の前提に基づいている。前近代社会は、抑制要因が近代に比べて多いため、人口増加が非常に緩やかである。それが言わずもがなの条件となっている。人口が急増すれば、コモンズの悲劇は起こり得る。コモンズの悲劇の本質は公共財や外部性ではなく、実は、人口問題である。

 このように不備の多いコモンズの悲劇であるが、経済学の一般的理解を受け入れ、思考実験として構造の同じ問題に適用するなら、示唆を与えてくれる。共有地を日本の国家予算と見立てると、まさにその悲劇が現実化している。予算は政治家や官僚、業界団体にとってのコモンズであり、赤字が膨張し続け、国債の発行済み残高が1000兆円を超えるのも時間の問題である。

 IMFは、2013年8月1日、先進国の経済政策が世界に与える影響を分析したレポートを発表する。日本について財政再建の重要性を訴えている。政府の財政への懸念が膨らみ、長期金利が2%上昇すると、世界の経済成長も2%目減りする。安倍晋三政権による金融緩和や財政出動によって世界経済は短期的には正の効果が上がるものの、一年先にはそれも弱まると予想している。

 もし財政再建に失敗すれば、10年後にはGDPが4%下落する。財政に対する不安が投資家の不安が高まり、長期金利が上昇すると、株価が下落し、世界経済にも悪影響を及ぼす。

 付け加えると、同報告書は円安の世界経済への関連位ついても分析している。実効為替レートで円が10%値下がりしれば、日本の輸出競争力は上がるものの、世界成長は0.03%下がってしまう。特に、競合する中国や韓国、ドイツなどの成長低下が著しく、0.1~0.2%に及ぶ。

 IMFからこのような懸念が示される財政赤字だが、政府は「コンサマトリー(Consummatory)」に呆けている印象さえある。財政赤字は自律的に是正されることはない。入会地が持続可能だったのは決まり事が定められ、手入れしていたからだ。サステインナブルを確保するには、再建計画が必要である。しかし、安倍政権のそれは具体性が乏しい。何しろ、来年予想される消費税の増税分がコモンズの悲劇となりかねない状況だ。

 日本の財政は一旦赤字体質に陥ると、正常化しにくい特徴がある。増分主義であるため、既成の予算が既得権益化しやすいというのもその一つである。税収は景気変動の影響を受ける。けれども、予算シェアの固定化により、既得権の多い歳出は見直されることがない。税収と乖離してアクセス権のあるプレーヤーたちによって歳出が決められてしまう。財政赤字は政治ゲームの従属変数と化している。

 財政赤字が多くの問題をもたらすことは世間でもすでに承知されている。しかし、落語の『花見酒』まがいの理屈を耳にすることがある。膨大な発行済み残高がありながらも、大部分が国内で消費されているため、国債価格は暴落していない。だから問題はないというわけだ。

 それほど財政学に通じていなくても、これには反論できる。国債発行が増えれば、金利支払いも増加し、それに伴い予算編成がさらに硬直化する。また、国債発行は資金需要を増加させ、金融市場における需給が逼迫、金利上昇で民間投資を抑制してしまう。本来それがなかったら行われていた民間投資を公共投資が抑制することはあり得る。

 日本国債の最大の購入先は国内銀行である。現行のBIS規制では、国債を自己資本比率の算定に加えなくてよいことになっている。製造業が市場から直接資金調達したり、生産拠点を海外に移転したりしたため、融資先を減らした銀行は資金を国債で運用する傾向を強めている。しかし、日本国債の発行済み残高はあまりにも膨大である。格付け会社がある一定量以上の国債保有を自己資本比率のリスク算定に含めるとの判断を示す可能性もある。

 一つのシナリオを挙げよう。現在、中国の不動産価格はバブル状態にある。土地の使用権を売って得た収入を財源にしている地方政府市も多い。不動産価格が暴落すれば、民間の活動のみならず、地方・中央政府の財政も危機に陥る。このショックは世界経済に悪影響を及ぼし、日本政府はさらなる国債発行に踏みきる。

 それを受けて、格付け会社は日本国債のランクを下げる。政府の財政状況を考慮し、格付け会社は日本の金融機関のランク付けに際し、国債の自己資本比率における算定の方針を変更する。銀行は自己資本比率を高めるために、国債を売却せざるを得ず、価格が暴落する。日銀は国債を買って政府の借金を支える財政ファイナンス行うが、多勢に無勢で、価格は下がり続ける。長期金利の上昇により景気が低迷、政府予算も逼迫、経済成長はマイナスに転落する。

 これはあくまで一つの可能性である。しかし、想定しておく必要がある。グローバル化の進展に伴い、ある地域で起きた小さいショックが全世界に伝播する時代だ。万全を期している国でも、国外の影響によって、経済停滞に見舞われる可能性がある。巨額の財政赤字を抱える国であれば、尚のこと、リカバリーが難しい。

 そもそも日本国債が国内で消費され、市場を不安定化させる外国人投資家の保有比率が低いから、価格が急落しないというのは素朴だ。現代資本主義のデリバティブを忘れてもらっては困る。現物保有が少なくても、先物市場の売りを利用すれば、国債を暴落させて、大きな利益を手にすることができる。アジア通貨危機の際、ジョージ・ソロスが先物の一種である空売り(ショート・セル)によってタイの通貨バーツを暴落させたことはよく知られている。日本国債に売りのきっかけが生まれれば、外国人投資家が一気に仕掛ける可能性がある。

 日本の財政再建は経済成長や増税などで達成できるものではない。制度設計からやり直す必要がある。多数の専門家による提言もそこは共通している。荒れ果てたコモンズを元に戻すには、多くの人が協力して、科学的根拠・論理性・多角的視点に基づいて知恵と工夫を出し合うほかない。そうやっても、長い時間がかかるものだ。日本各地で取り組まれている入会地復活プロジェクトから財政再建も学ぶものがある。
〈了〉
参照文献
佐藤主光、『財政学』、放送大学教育振興会、2010年

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