見出し画像

太宰治の『斜陽』、あるいは喜劇の解読(3)(1992)

4 饒舌の文学
 三島による評価はさておき、『斜陽』は太宰の作品の中で、タイトルだけでなく内容に関しても最も有名なものの一つである。と同時に、最も優れた作品の一つと評価されている。確かに、あなどりがたい魅力はあるものの、安吾が『斜陽』を「ほぼ、M・Cだけれども、どうしてもM・Cになりきれなかったんだね」と言っているように、「誤謬の訂正的発狂状態」によって、「とるに足らない」敬語の問題以上に、決定的に、『斜陽』の出来を損ねている問題がある。

 太宰の作品を「饒舌の文学」と批判し、彼に対する今日まで最良の批判者である寺山修司は、「肉体」(『幸福論-裏町人生版-』所収)において、『走れメロス』を例にとって太宰の作品について次のように述べている。

 シラーの書いたもっとも美しい「友情論」の叙事詩「走れ、メロス」が、太宰治の手にかかって、たちまち書斎型の心情につくりかえられてしまった。死刑囚のメロスが、遠い故郷から、自分の死刑執行に間にあうように全力で野を越え、山を越えて走ってくる。それは自分の死刑のためではなく、身替りに牢に入っている石工のセリヌンティウスの信頼のためである。
 メロスは、セリヌンティウスの命をかけた友情に応えようとして、力のかぎり刑場へかけこみ、あわや身替りの断頭台にのせられようとしているセリヌンティウスの、死刑執行の前に帰ってくることができる。
 そこでシラーの叙事詩では、二人は顔を見あわせて、微笑しあって終っている。「微笑」のうちにかみしめられる、幸福といったものは、とても文字になるものではないし、言葉にしたとたんに、情念の「解説」に堕してしまうことが、シラーにはわかっていたのである。
 ところが太宰治は、それに「弁解」を書きこむ。セリヌンティウスは
 「メロス、俺を殴ってくれ。俺はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生まれてはじめて君を疑ったのだ。
 もしかして、帰ってこないつもりだったのではないか、と。
 だから、君が俺を殴ってくれなければ、俺は君を抱擁できない」
 すると、メロスもあやまる。
 「やはり、この三日の間、たった一度だけセリヌンティウスを疑ったのだ」と。
 それから二人は、お互いを殴りあってから泣いて抱擁する。--この饒舌は、幸福を情緒的に解消してしまっている。それは一個の生きた太古の生物のように存在していた二人の共有の「沈黙」をお互いが取りのぞいて、幸福の思想化をさまたげてしまっている光景である。

 言わんでもいいことをだらだらと語るメロスにしろ、セリヌンティウスにしろ、あまり友達になりたくない性格の男たちである。この程度の考えは誰でも一瞬、頭をよぎったことくらいあるだろう。彼らのくどさに辟易する。『走れメロス』はほとんど学園青春ドラマであり、気恥ずかしくて、笑いをこらえつつ、揺れる文字を追いかけてしまう。

 確かに、現代の若者は自意識過剰でもあり、行動を逡巡し、あれこれ思い悩むことも少なくない。しかし、舞台は古代である。そもそも古代は政教一致なので、公私は分離していない。当時の人々は規範に基づいた認知行動をする。葛藤は複数の徳がコンフリクトした場合である。自己都合による内面の葛藤などない。メロスとセリヌンティウスではなく、松村雄基と山下真司のキャスティングの間違いではないのかと思ってしまうほどだ。

 登場人物は独り言を長々と口にし、読者に考えすぎではないかと思わせる。内省ではなく、「弁解」を探しているだけなので、失敗の際の自己弁護を用意するためなので、果てしなく続く。この世の不幸は彼らのものであり、試練に耐えながら、目的を達成し、最後は、みんな自分が悪かったと慰め合って決着をみる。自己嫌悪と自己憐憫の物語である。

 『斜陽』においても、腰砕けになってしまうほどに素朴なお説教話となってしまった『走れメロス』と同様に、敬語の問題という無意味な「饒舌」を生んでしまうように、「弁解」の「饒舌」によって、「沈黙」をとりのぞいてしまっている次のような光景が目につく。

「よせ、よせ。ああ、あ、汝らは道徳におびえて、イエスをダシ使わんとす。チェちゃん、飲もう。ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ」
 駄目です。何を書いても、ばかばかしくって、そうして、ただもう、悲しくって仕様が無いんだ。いのちの黄昏。芸術の黄昏。人類の黄昏。それも、キザだね。

 これは流行作家で飲酒に耽る上原の言葉であるが、『斜陽』の会話にはこのような体言止めが多い。体言止めは思考の飛躍を狙ったものではなく、沈黙が耐えられないので、とりあえず言葉を発してみた思考の停止程度のことだ。

 また、大袈裟な言葉が多すぎる会話は、中身がないことは次のような記述が告げている。

 生きていたい人だけは、生きるがよい。
 人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もある筈です。
 僕のこんな考え方は、少しも新しいものでも何でも無く、こんな当り前の、それこそプリミチヴな事を、ひとはへんにこわがって、あからさまに口に出して言わないだけなんです。
 生きて行きたいひとは、どんな事をしても、必ず強く生き抜くべきであり、それは見事で、人間の栄冠とでもいうものも、きっとその辺にあるのでしょうが、しかし、死ぬことだって、罪では無いと思うんです。
 思想? ウソだ。主義? ウソだ。理想? ウソだ。秩序? ウソだ。誠実? 真理?純粋? みなウソだ。
 デカダン? しかし、こうでもしなけりゃ生きておれないんだよ。そんな事を言って、僕を非難する人よりは、死ね! と言ってくれる人のほうがありがたい。さっぱりする。けれども人は、めったに、死ね! とは言わないものだ。ケチくさく、用心深い偽善者どもよ。
 結局、自殺するよりほか仕様がないのじゃないか。
 このように苦しんでも、ただ、自殺で終るだけなのだ、と思ったら、声を放って泣いてしまった。
「ママ! 僕を叱って下さい!」
「どういう工合に?」
「弱虫! って」
「そう? 弱虫。……もう、いいでしょう?」
 ママには部類のよさがある。ママを思うと、泣きたくなる。ママへおわびのためにも、死ぬんだ。

 「僕を叱って下さい」というあたりから、みのもんたの人生相談に電話で出演した主婦の一言を思い出させる。麻薬に溺れ自殺に向かうかず子の弟である直治の日記や遺書に見られるこれらの言葉の一部は、谷川俊太郎の『宙ぶらりん』や『うそだうそだうそなんだ』という詩において見られるように、自己嫌悪と自己憐憫である。「生が終って死が始まるのではなく、生が終れば、死も終るのだ。死はまさに、生の中にしか存在しないのだから」(寺山修司『幸福論』)。

 とにかく登場人物は饒舌である。話すことが手段と言うより、目的化している。その際、疲労感が漂っている。結局、何もやっておらず、発展性がない。

 イマヌエル・カントは『純粋理性批判』においてそうした堂々巡りについて次のように述べている。

 理性は与えられた条件付きのものに対して、条件の側における絶対的全体性を要求し、こうしてカテゴリーを超越論的理念に仕立て、経験的綜合を継続してついに無条件的なものに達することによって、この経験綜合に絶対完全性(全体性)を与える必要がある。理性は、条件つきのものが与えられていれば、条件の方も、従ってまた絶対に無条件的なものも与えられている。そして条件つきのものはかかる条件的なものによってのみ可能である」という原則に従って、このことを要求するのである。

 理性は、カントによれば、推論の能力であり、それは現に与えられているものの存在理由やその原因・結果の条件に関する「完全性」や「全体性」に到達するまで問い続けることをやめない。けれども、人間の発する解答は限定を含んでおり、それは理性の求める「完全性」や「全体性」に対してはつねに不十分にならざるをえない。いかなる問いも原理的には人間にとって解答不可能であるわけだが、すべてが「ウソ」であるとしても、「ウソ」と指摘することによって、一切が終わるわけではない。何が正しいか否かという問いではなく、ある思想を体験することによっていかなる生の実質がもたらされるかという問いへと移行する必要がある。

 「ニヒリズムは、『徒労!』を観想しているだけのことではない、また、すべてのものは徹底的に没落するに値すると信ずるだけのことではない。それは手をくだすこと、徹底的に滅ぼすことである……このことは、たしかに、非論理的である。しかしニヒリストは、論理的であることの強要を信じてはいない……これは強い精神や意志の状態であり、かかるものには、『判断』による否定に立ちどまっていることは不可能である、──実行による否定がその本性からは生ずる。判断による無化に腕力による無化が助太刀する」(フリードリヒ・ニーチェ『権力への意志』24)。太宰の作品の登場人物は「『徒労!』を観想しているだけのこと」、あるいは「すべてのものは徹底的に没落するに値すると信ずるだけのこと」であって、「『判断』による否定に立ちどまっている」にすぎず、「実行による否定」にまで至っていない。ニヒリズムを克服するにはそれを避けるのではなく、むしろ、これを極限にまでおしすすめ、いきつくところまでいきついた地点を新たな認識の出発点とすることが求められる。つまり、太宰はあるべき世界や価値を見出すのではなく、生が能動的・肯定的なものとして承認される価値を今ある世界の中に創出する認識にまで到達していない。

 さらに、上原は「僕は貴族は、きらいなんだ。どうしても、どこかに、鼻持ちならない傲慢なところがある」と言っているけれども、中心的人物は未熟さが目立ち、斜に構え、シニカルで、今までの引用からも明らかなように、その言葉にほとんど「鼻持ちならない傲慢なところがある」。

 無内容な饒舌さは会話だけではない。登場人物の文章も同様である。『斜陽』には──特に、「最後の貴婦人」を母に持ち、「恋と革命のために」生きようとして、私生児を生んで「古い道徳」と闘おうとするかず子の言葉や手紙、日記などに──『聖書』からの引用がかなり見られる。だが、キリスト教の信仰を暗示させることなく、スノビズムを表わしているだけである。

 ドナルド・キーンは、『太宰治の文学』において、太宰の作品に表われたキリスト教や西洋を次のように評している。

 しかし私は太宰が外国をテーマを扱うことに何か妙に納得のいかないものを感じる。(略)「走れメロス」は、よく太宰の傑作の一つとして迎えられているのみならず、教科書にもひろく載せられている。しかし、ちょうど外国の作家が日本人について書いた小説が(日本の読者の目で見る限りでは)何かこう誤っているように思われるように、これらのヨーロッパ文学の翻案物は、私の心を動かさない。(略)
 太宰が諸作品の中で幾度となくキリスト教に触れていることは、欧米の読者に太宰文学を評価しにくくさせているもう一つの原因である。時折キリスト教は、太宰の生活上の精神的空白を満たしていたもののように思われるのだが、晩年に紛れもなくキリスト教信者だと思っていた、と言う人もいる。しかし、太宰がキリスト教について書いたことは、アメリカのビート族が禅について書いていることと似ているように思われる。特に「斜陽」には聖書の引用句が多すぎて、私が翻訳する際に短縮する必要を感じた個所さえあった。聖書の引用句やしばしばキリスト教について書いていることは、太宰が実際上キリスト教の信者だったことを少しも暗示しないどころか、キリスト教を信じたいと欲していたことさえ暗示しない。キリスト教は太宰の好奇心をそそった。そして太宰は聖書の中に、彼自身の意志と情調を表現するのにふさわしい章句を発見したのである。しかし、彼の私生活でどの程度までキリスト教を信仰することができたにしろ、作品の中では、キリスト教は一種の謎めいた要素であって、重要なものではない。キリスト教に触れることで、太宰は彼が望んでいたような深みを作品に加えることはできなかった。

 西洋やキリスト教が太宰の作品において触れられる必然性はない。自身の感性を示そうとするスノビズムにさえ思える。太宰の西洋文学やキリスト教に関する理解は紋切節の域を出ておらず、それらに関する言及が、ミシェル・ド・モンテスキューやヴォルテールにとっての東方とは違い、現状に対する浄化作用や相対化とはなっていない。太宰の作品の登場人物たちは物真似の仮面をつけてポーズをとり、新品と間違うほどに磨きあげたレンタルの言葉で、さしおさえられた館の中、自分たち自身についての自己満足的で聞いていると退屈なおしゃべりに没頭している。要するに、太宰の作品は、登場人物の会話から考えると、小賢しく喧嘩の弱い中途半端な「ただのグータラ亭主以下の甘ったれ」(寺山修司『愛人・山崎富栄』)の小説にすぎない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?