見出し画像

TPPと医薬品ビジネス(2012)

TPPと医薬品ビジネス
Saven Satow
Nov. 27, 2012

「薬人を殺さず医師人を殺す」。

 12年総選挙において野田佳彦首相はTPPを争点化しようと試みている。この課題に関しては民主党のみならず、自民党も意見が割れており、それは困難だろう。

 TPPをめぐってアメリカが主導権を握ろうとしているのは明白である。しかし、現状を見る限り、TPPは米国に必ずしも有利ではない。農業産品はオーストラリア、工業製品はアジア諸国から安い輸入品が流れこむ。日本の農業は米国と競争すればかなわないが、そのアメリカにしてもオーストラリアに太刀打ちできない。国内の関連業界からの参加反対論も強い。アメリカは戦略的であるので、TPPも将来を見越して考えていると見るべきだろう。

 アメリカが世界的に優位を保ち、今後もそれを維持できる産業の筆頭として医薬品産業が挙げられる。TPPに参加した場合、アメリカはこの分野で圧倒的に有利である。このヘゲモニーがもたらす利益を考えれば、ある程度他の産業を犠牲にしてでも、やむを得ない。

 もちろん、医薬品だけがTPPをめぐる米国の関心事ではない。あくまで主要な一つである。現段階で、医薬品の許可は国内管轄事項である。米国で許可されたから、日本でも即承認とはならない。それを考慮して、世界的な製薬企業は複数の主要国で同時に同じ製品を研究開発することもある。大手の製薬メーカーにすれば、現在の国別の許認可制は障壁である。

 知財ビジネスが最も効果的に機能している分野はバイオとITである。医薬品産業は前者に含まれる。他国の規制を緩和させ、特許権を強化するだけでも米国の製薬会社は利益を今よりも上げられる。

 医薬品ビジネスの市場は今後も拡大し続けると見込まれる。疾病は社会的動向と深く結びついている。経済が成長し、食糧事情が改善、社会保障制度が整備されれば、高齢化が進み、生活習慣病や認知症などへの医薬品の需要が増す。さらに、未開地の開拓や人の移動の活発化は進化を伴う未知の感染症の出現や流行をもたらす。HIVやSARSの記憶はまだ生々しい。新たなライフスタイルが疾病を生み出すことにつながる。加えて、今日、医薬品とまではいかなくても、サプリメントを含めて健康商品や特保を日本の成人の多くは服用しているだろう。

 2000年代以降、ハリウッドが病気や薬をとり上げることが多いのもこうした事情を踏まえている。実際、ジェネリックをめぐる国際交渉の場でもアメリカは自国の製薬会社にできる限り有利なように振る舞っている。こういった姿勢が少なからず感染症の鎮圧の妨げになっているとされる。かつて武器商人が「死の商人」と呼ばれたが、製薬企業がその座に代わろうとしている。

 アメリカでは医薬品分野においても産学協同が進んでいるのみならず、製薬メーカーの規模も非常に大きい。世界最大製薬メーカーは米国のファイザー製薬で、昨年の連結売上高は約675億ドルである。GMの売上高約1502億ドルに比べれば、小さいように思える。けれども、今後の市場規模の推移とそこでの米国企業の優越性を考えれば、過小評価すべきではない。

 ちなみに、日本最大の製薬企業は武田薬品工業で、12年3月決算の売上高は約1兆5089億円である。ファイザーの4分の1にも満たない。日本の製薬企業は規模が小さく、この武田でさえ世界ランキングのトップ10に入っていない。一方で、数は多く、2000社を超えている。コロスキンの東京甲子やビオフェルミン製薬のようにオンリーワンで勝負しているメーカーもある。医薬品の開発には、膨大な人材と資金、施設、知識が必須である。規模が小さければ、世界的に流通する新薬を研究開発するのは難しい。

 付け加えると、医薬品開発はリニア・モデルのイノベーションに属している。それは基礎研究が応用開発につながるものである。ところが、戦後日本産業は基礎を飛ばして応用に向かう非リニア・モデルで成功している。医薬品開発は戦後日本の特異なイノベーションのタイプではない。

 医薬品ビジネスは、途上国が経済成長しても、おいそれとは追いつけない。何しろ、生命にかかわるので、ほんの些細なことでも取り返しのつかない事態を招いてしまう。

 1950年代にサリドマイド薬害事件が起きている。実は、この原因は光学異性体である。サリドマイドにはR体とS体の光学異性体があり、後者は非常に高い催奇性を持っている。当時のサリドマイドは両者を分離しないまま市販されている。同じ分子構造でも、左右が異なるだけで、電子スピンの影響が変わるなどの理由から生理活性に違いが出てしまう。同じ分子構造でも、右手と左手のような違いだけで、医薬品は取り戻せない不幸をもたらしてしまう。

 アメリカは次世代の中心産業をバイオに見ているのであり、そこで主導権を確保することが将来的な国益につながるという戦略に立っている。攻めの姿勢だ。一方、TPPに関して日本の政財界は現状を前提にどうするかを議論している。将来の変化を見越した上で戦略を練って参加するか、しないかの判断が必要だ。TPP賛成論も反対論も守りの姿勢に見える。

 TPP交渉に参加するかしないかは表面的である。日本の次世代を担う産業は何かがわからないまま議論されていることが問題だ。その際、衰退した産業が復活して、国際競争力を持つこともあり得る。林業も捨てたものではない。いわゆる外材は乱伐採が続いたため、価格が高騰している。逆に、日本の木材は適齢期を迎える。世界市場をよく調べ、自分を見つめて将来のヴィジョンを戦略的に立てる。そこにインセンティブを見出すべきである。とにかく攻めの姿勢を忘れないことだ。
〈了〉
参照文献
武田薬品工業株式会社
http://www.takeda.co.jp/
ファイザー株式会社
http://www.pfizer.co.jp/pfizer/index.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?