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捕物帳と政談(7)(2023)

7 懐古主義を超えて
 いかに巨大であっても、江戸の犯罪は、近代都市と異なり、攪乱要因が少ない。確かに、江戸は、地方の農村と違い、全国から人が集まってくる。しかし、移動や職業選択、婚姻の自由が制限されているため、江戸の人々は当局に管理されている。住居は長屋である。住民は大家や五人組によって監視されている。転居も自由ではなく、前の家主の保証が必要である。また、各町は、夜間、木戸が閉じられ、通行が制限される。

 吉原も、自治や利益を守るため、当局に協力している。分不相応な豪遊をしていたり、盗んだ金を使っていたりする人物を見つけたら、店は報告する。「悪銭身につかず」の通り、悪事によって大金を手に入れると、吉原で遊ぶ者が少なくない。犯罪捜査に協力することで、吉原はその見返りとして有利な営業環境を保証してもらう。当局は吉原に干渉せず、彼らの利益を損ねる無許可の風俗営業を取り締まっている。

 このような事情のため、江戸の犯罪も攪乱要素が少なく、人間関係をたどることで対処できる。近代的捜査は必要がない。目明しもホームズのような私立探偵と言うよりも、彼がしばしば利用する街の情報屋である。

 詳しく時代考証をしても、捕物帳を通じて近世の民衆の集合知識を知ることは難しい。むしろ、それは政談が今に伝えている。

 実際の刑事事件をめぐる近世の状況は、時代小説や時代劇から受ける印象とかなり違う。岡っ引きを主人公にしたり、同時代の需要を意識して派手に演出したりすることにより、実際の近世社会とは別の世界を作り上げている。それを鑑賞して前近代の知識を得ることはかなり限定的であり、歪む可能性もある。もちろん、そうは言っても、捕物帳を否定しているわけではない。捕物帳は近代人の願望を近世世界に投影したエンターテインメントである。懐古主義だからこそ、近代人が歓迎、人気を博している。近世人にしても、過去の事件や出来事を加工して同時代の需要に応えようとしている。エンターテインメントにはそうした改変はつきものである。

 ただ、ここ10年ほどの間、作品世界を近代人どころか現代人に引き寄せているものも少なくない。「ネオ時代小説」や三谷幸喜の時代劇が好例である。登場人物は一様に重みがなく、せこい小市民であることさえ珍しくない。そうした作品が人気を博したとしても、それは前近代を舞台にする必然性がない。過去の他者性を奪っているのだから、現代人の驕りである。近代と前近代の共通性を中心に歴史を語ることはいずれの時代の原理的発想を見逃し、復古主義が悪化する。

 その一方で、最近、『半七捕物帳』が映像化されることが減っている。後の捕物帳と比べて、この作品集には、推理を偶然に頼ったり、事件が誤解によるものだったりするなど本格ミステリーが少ない。また、半七は能力が高いものの、性格は温厚で、個性に乏しい。得意技や決めセリフ、シンボルもない。刑事物でおなじみのバディーもおらず、登場人物は地味で、話も派手さに欠ける。後の捕物帳の様式美を備えていない。しかし、それが江戸時代の民衆の集合知識をつたえている。

 『半七捕物帳』には政談と重なるところが少なくない。作者は近世の人々の認知行動を承知した上で、それをミステリーに取り込む困難な作業に取り組んでいる。作品はその調停の結果である。江戸を舞台にしながら、当時の人々の認知行動から離れたのでは、その時代を扱う理由を正当化できない。それを残しつつ、ミステリーとして成り立つように工夫したのが『半七捕物帳』である。

 けれども、それ以降の作家は捕物帳を自明と見なし、謎解きミステリーの完成度を追求していく。舞台を前近代にしながらも、登場人物の認知行動が近代人という作品ばかりになってしまう。しかし、そうした懐古主義は過去の他者性を奪う。現代人の嗜好によって歴史は修正されて構わないとするのは、あまりにも時代錯誤的な思考だろう。『半七捕物帳』の困難さを見直す方が新鮮である。自らの認識を相対化することが新たな文学の可能性につながる。捕物帳も同様である。
〈了〉
参照文献
今井金吾、『半七捕物帳 江戸めぐり』、ちくま文庫、1999年
同、『半七捕物帳 大江戸歳時記』、ちくま文庫、2001年
榎本滋民他、『落語ことば・事柄辞典』、角川ソフィア文庫、2017年
大越義久、『現代の犯罪と刑罰』、放送大学教育振興会、2009年
杉森哲也、『日本の近世』、放送大学教育振興会、2020年
講談社出版研究所編、『大岡政談』、講談社文庫、1976年
エドガー・アラン・ポー、『モルグ街の殺人・黄金虫』、巽孝之訳、新潮文庫、2010年
宮永孝、『万延元年の遣米使節団』、講談社学術文庫、2005年
淀川長治、『淀川長治映画塾』、講談社文庫、1995年

青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/index.html
「余録」、『毎日新聞』、2023年1月4日
https://mainichi.jp/articles/20230104/ddm/001/070/077000c

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