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子規の写生文(2019)(5)

第5章 写生文の意義
 このように子規の写生文はスケッチの発想を体現している。これにより式が美術のスケッチを理解していたことがよくわかる。ただ、それを文章の方法論に移植する際に、核心を言語化できたかとは必ずしも言えない。写生文は、その運動初期に、事実をありのままに書くこととして受けとめられ、だらだらと文章を連ねる人が少なくない。それに対し、子規は、『叙事文』において、「読者を飽きさせないように書く」ことを強調し、その目的のためには書くべき事柄を取捨選択すべきだと説いている。公的規範に対する私的嗜好の優先がありのままに書くことの目的である。だが、中心もあやふやにだらだら書くのでは、細部に拘泥せず、大づかみに把握するスケッチの思想に反する。子規がこの方法論にわざわざ「写生」を用いているのは、そこを見逃してはならないからだ。

 公に干渉されない私を強調するならば、扱う題材は日常のさもない出来事になりやすい。公私一体の従来の文学が取り扱うことがない些細なことであっても、私の内的世界においてはそれに値する者がある。それが文学として社会的に流通するのは読者も作者とお平等な近代人という前提があるからだ。

 子規が考案した写生文は虚子に賛同された後、夏目漱石や伊藤左千夫、長塚節、寺田寅彦、鈴木三重吉、野上弥生子などにも影響を及ぼしている。中でも、漱石は、先の引用の通り、写生文の限界を認知した上で、その多様な可能性を展開している。漱石が写生文の影響下で書いたとされる小説が『吾輩は猫である』(1905)だ。これは一筋縄ではいかないところがある。子規がスケッチの思想を具現化したのに対し、漱石はそれを推進するのみならず、逆手に取るなど挑戦を試みている。

 漱石は冒頭から写生文の可能性を次のように明らかにしている。

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ。その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出会わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。どうも咽せぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草というものである事はようやくこの頃知った。

 語り手は「猫」である。気まぐれな生物の「猫」の視点であるから、その好みは私的で、公的規範に従う気など毛頭ない。また、「猫」は人間の内面を理解しない。その描写は人間の外面だけで、細部に固執せず、だいたいの色や形を捉えるだけだ。これはまさにスケッチの思想である。

 「猫」を始め普通名詞を修飾ぬきで、そのまま使っている。「猫」の固有名詞を避けているように、これは抽象的・一般的概念としてそれらを利用するためだ。世間に流通しているイメージであって、具体的・個別的なものではない。この目的上、「薬缶」の隠喩も問題ない。それが笑いを喚起する。

 また、漱石は「だ」・「である」を多用している。個々は記憶をめぐる記述である。語り手の猫は記憶を確認するために断定する。それは断片的な記憶の写生だ。さらに、過去形が今も有効な情報であるとこれをより強調する。子規が見せた写生文のモデルと異なりながらも、漱石はその思想を共有している。写生文にはこういう可能性もある。

 子規が写生文のプロトタイプを示し、漱石はその可能性を展開する。しかし、写生文はこうしたラディカルな系譜だけではない。小学校の作文指導にも利用される。文化的レジェンドの文豪と10歳の子どもが同じアイデアに立脚して文章を書いている。写生文の意義は汎用性自体ではない。それは文章の理想としてさまざまな人たちの相互交流を促す共通理解である。確かに、子規の説明の曖昧さもあるが、写生文理解は多様である。しかし、その内容の是非はともかく、写生文を理想として共有し、文章を書くことが発展・普及している。理想であるから、玄人と素人の文章作成についての相互浸透を促す。玄人が素人の素朴な文章を目にして、写生文の精神が生きていると自身を見直す契機になる。また、素人が玄人の文章を見て、写生文とはこう書くのかというヒントにつながる。共通の理想である写生文をめぐるので、そうした議論は共の場をもたらす。写生文を媒介にしてトップとボトムが交流し、それによって文学の草の根が育まれる。写生文の貢献はそこにある。以後、匹敵する理想は登場していない。写生文を今考察する意義もそれである。

 為すべきと思ひしことも為し得ぬこと多く、為すべからずと信ぜしこともいつかはこれを為すに至ることしばしばなり。
(正岡子規)
〈了〉
参照文献
秋尾敏、『子規の近代―滑稽・メディア』、新曜社、1999年
江藤淳、『リアリズムの源流』、河出書房新社、1989年
柄谷行人、『新版 漱石論集成』、岩波現代文庫、2017年
工藤真由美、『正岡子規の教育人間学的研究―写生観・死生観の生成過程の分析から』、風間書房、1996年
佐藤康宏、『改訂版 日本美術史』、放送大学教育振興会、2014年
坪内稔典、『柿喰ふ子規の俳句作法』、岩波書店、2005年
夏石番矢編、『俳句百年の問い』、講談社学術文庫、1995年
夏目漱石 、『漱石全集』16、岩波書店、1995年 
『俳句』編集部編、『正岡子規の世界』、角川学芸出版、2010年
前田登正、『正岡子規』、清水書院、2017年
正岡子規、『子規全集』12、講談社、1975年
渡部直己、『リアリズムの構造―批評の風景』、論創社、1988年
青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/


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