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ホロコーストとアパルトヘイト(1)(2024)

ホロコーストとアパルトヘイト
Saven Satow
Feb. 07, 2024

「あらゆるイズム(主義)の背後には、詰まるところ全く同じ一つのイズムが、つまり二ヒイズムという主義が存在する」。
V・E・フランクル

1 ジェノサイド条約
 第13回国連総会は、1948年12月9日、「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約(Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide)」、通称ジェノサイド条約を採択する。これは、特定の国民、人種、民族、宗教集団の絶滅を目的とする集団殺害、すなわち「ジェノサイド(Genocide)」を禁止した条約である。集団殺害の行為者だけでなく、共同謀議や教唆、共犯も国内裁判所または国際司法裁判所において審理・処罰することを規定している。2019年時点で150カ国が同条約を批准しているが、日本は加わっていない。

 ジェノサイド条約は、第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人殺害、すなわち「ホロコースト(The Holocaust)」に対する批判として誕生している。ところが、そのユダヤ人が多数を占めるイスラエル国がジェノサイドを行っていると南アフリカ共和国から国際司法裁判所に訴えられる。

 『読売新聞オンライン』は、2024年1月11日22時45分配信「南アフリカ、ガザ侵攻を『ジェノサイド』と提訴…イスラエル側『テロリストと戦闘』徹底抗弁の構え」において、それを次のように伝えている。

 【ブリュッセル=酒井圭吾、エルサレム=福島利之】イスラエルのパレスチナ自治区ガザへの侵攻がジェノサイド(集団殺害)にあたるとして、南アフリカ政府がイスラエルに侵攻の即時停止を求めた裁判の公聴会が11日、国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)で始まった。イスラエルは南アがジェノサイドで訴えたことに反発しており、徹底抗弁する構えだ。
ガザ統治、米国は自治政府の関与模索…「ハマス指導者亡命」案はイスラエルが拒否姿勢
 ICJの判決には通常、数年を要するが、侵攻の即時停止を命じる暫定措置を早々に出す可能性がある。
 南アの代理人は11日の公聴会で、「イスラエルは作為的、不作為的にパレスチナ住民の命を奪い、生活を維持できる環境を破壊している」と批判した。
 イスラエルの行為は、国連総会で1948年に採択されたジェノサイド条約に違反していると訴えた。一方でイスラム主義組織ハマスによるイスラエルへの越境攻撃や、人質を取る行為も国際法違反だと批判した。
 南アは84ページの訴状で、イスラエルがガザのパレスチナ住民2万人以上を殺害しただけでなく、必要物資の輸送を阻害し住民を強制移動させているなどと主張している。
 12日にはイスラエル側代理人が出廷し意見陳述する。
 イスラエルはナチス・ドイツのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の反省に基づき制定されたジェノサイド条約違反で提訴されたことに衝撃を受けている。国際法に詳しい英国の法律家を雇ったほか、最高裁判所元長官で国際法の権威であるアハロン・バラク氏(87)をICJの判事の一人として送り込んでいる。
 ベンヤミン・ネタニヤフ首相は10日、「イスラエルは国際法に従い、パレスチナの人々でなくハマスのテロリストと戦闘を続けている」との声明を出した。
 焦点は、ICJが侵攻の即時停止を命じる暫定措置を出すかどうかだ。ICJの暫定措置に強制執行権限はないが、イスラエルへの国際的圧力を一層高める可能性がある。ICJは2022年3月、ウクライナを侵略するロシアに対し、侵略の即時停止を命じる暫定措置を出している。

 先に述べた通り、ジェノサイド条約はナチスによるユダヤ人に対する集団殺害の反省として国連総会において採択されたものである。その際のユダヤ人はジェノサイドの被害者だ。しかし、それから75年以上を経て、そうしたユダヤ人が加害者として国際司法裁判所に提訴されたというわけだ。
 
 南アフは当事国ではないが、「エルガオムネス義務」に則ってイスラエルを訴えている。ジェノサイド条約のような条約では、直接被害を受けている国だけでなく、「すべての当事者」、すなわち「エルガオムネス(erga omnes)」に対して締約国は義務を負っている。極度の人権侵害を内政不干渉を理由に見逃すことは許されない。
 
 正式に訴えはしないものの、イスラエルによるガザ攻撃をジェノサイドと非難しているのは南アフリカだけではない。トルコ大統領エジェップ・タイイップ・エルドアンもその一人である。

 トルコは北大西洋条約機構(NATO)加盟国で、イスラエルとパレスチナの「2国家共存」を支持している。イスラエルと通商関係を維持しているが、米英やEUと違い、ハマスを「テロ組織」に指定していない。ガザへの攻撃が始まると、トルコはイスラエルを「テロ国家」と非難、指導者を国際司法裁判所で裁くべきとの立場を示す。2023年10月20日、エルドアン大統領はイスラエルの武力行為を「ジェノサイドに相当する」とX(旧ツイッター)に投稿している。

 さらに、エルドアン大統領はイスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフを「ヒトラー」になぞらえる。『ロイター』は、2023年12月28日12時09分更新「ネタニヤフ首相『ヒトラーと変わらない』、トルコ大統領が非難」において、それについて次のように伝えている。

[アンカラ 27日 ロイター] - トルコのエルドアン大統領は27日、パレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルのネタニヤフ首相が行っていることは「(ナチス・ドイツの)アドルフ・ヒトラーと変わらない」と非難し、イスラエルを支持する西側諸国は戦争犯罪に加担しているとの考えを示した。
エルドアン氏は「西側諸国はヒトラーについて悪く語った。ネタニヤフ首相が行っていることは、ヒトラーが行ったことほどひどくないというのか。そうではない」とし、「ネタニヤフ氏は西側諸国から支援を受けている。あらゆる支援を米国から受けている。その支援で何をしたのか。2万人を超えるガザの人々を殺害した」と語った。
これに対し、ネタニヤフ氏は声明で「クルド人に対するジェノサイド(大量虐殺)を行い、自身の統治に反対するジャーナリストを投獄した世界記録を持つエルドアン氏は、われわれに道徳を説くことができる最後の人物だ」と述べた。

 エルドアン大統領はイスラエルの攻撃をジェノサイド総統であり、ネタニヤフ首相をヒトラーと違いのない指導者と非難する。しかし、彼はその当の相手から「クルド人に対するジェノサイド(大量虐殺)を行い、自身の統治に反対するジャーナリストを投獄した世界記録を持つエルドアン氏は、われわれに道徳を説くことができる最後の人物だ」と切り返されている。もちろん、この反論は「ホワットアバウティズム(Whataboutism)」である。批判された際に、「~はどうなのか?(What about...?)」と直接答えずに別の例を持ち出して話を逸らす論法だ。ただ、ネタニヤフ首相の指摘は事実で、自分のことは棚に置いてどの口が言うのかとエルドアン大統領が国際社会から思われることは確かである。

 しかし、イスラエルの南アフリカに対する反応は異なる。南アは、トルコと違い、こうした脛に傷をむってなどいない。ネタニヤフ首相は「イスラエルは国際法に従い、パレスチナの人々でなくハマスのテロリストと戦闘を続けている」との声明を公表する。また、イスラエルは、国際法に通じたイギリスの法律家を雇い、国際法の権威で、最高裁判所元長官アハロン・バラクをICJの判事に送りこんでいる。

 南アフリカがイスラエルをジェノサイド条約違反として訴えることができるのは、おそらくアパルトヘイトの歴史ゆえだろう。それに基づいて国家アイデンティティを形成、今回の行動はその理念に裏打ちされた国際社会へのコミットメントである。南アは明確な論拠を持っており、イスラエルにとっても先のような論法が通じる相手ではない。それどころか、アパルトヘイト体制を支持してきた過去がイスラエルにはある。南アフリカだからこそイスラエルをジェノサイド条約違反として正式に国際司法裁判所に提訴できたと言える。

2 アパルトヘイト
 「アパルトヘイト(Apartheid)」は1948年から1990年代初めまで南アフリカにおいて実施された人種隔離と差別の制度である。それ以前から数々の人種差別的立法があり、48年に誕生した国民党政権が本格的に法制化し、以後強化している。94年、全人種による初の総選挙が行われ、この制度は撤廃される。

 アパルトヘイトは白人を最上位とした人種隔離と差別の制度である。黄色人種を含む有色人種は総じて差別対象であるが、日本が貿易相手国として重要な位置を占めるようになったため、南アは日本人などが白人と同等の民族と見なせるという優遇措置をとる。

 南アフリカ政府は1961年1月から日本国籍を有する者を「名誉白人」と定める。国連は、創設期からアパルトヘイトを問題視し、1962年、総会はその検討を続ける目的で「国連反アパルトヘイト特別委員会」を設置する。1966年、国連はアパルトヘイトが国連憲章および世界人権宣言と相容れない「人道に対する罪」として非難する。以後、アパルトヘイト廃止まで国連総会の議題となり続ける。1971年、総会は南アフリカとのスポーツ交流をボイコットするよう呼びかけ、85年には「スポーツにおける反アパルトヘイト国際条約 」を採択している。1973年、総会は「アパルトヘイト犯罪の抑圧及び処罰に関する国際条約」を採択する。さらに、1985年、南ア政府が非常事態を宣言して抑圧をエスカレート、国連安全保障理事会は初めて国連憲章第7章の下に、南アフリカに対する経済制裁を実施するよう加盟国政府に要請する。ところが、日本は同国との関係を維持、1987年、最大の貿易相手国となっている。

 アパルトヘイトの非人道性は聞いているものの、その具体的な内容について名誉白人は必ずしも承知していないように思われる。アパルトヘイトを扱った文学作品として最も知られているのは小説『鉄の時代(Age of Iron) 』(1990)だろう。1980年代後半にアパルトヘイト体制が崩れようとしていた時期の南アフリカを舞台としている。作者は南アフリカ出身のJ・M・クッツェー(John Maxwell Coetzee)で、1986年から89年に亘って執筆している。この白人男性作家は2003年にノーベル文学賞を受賞している。

 主人公は元ラテン語教師のカレンで、70歳の彼女は末期ガンにより余命いくばくもない。一人娘はアメリカに渡り、彼女は、10代の息子がいる家政婦フローレンスに介助されて暮らしている。その広い邸宅の庭先にファーカイルというホームレスが住み着く。当初、カレンは彼を嫌っていたが、交流を続けているうちに、信頼するようになる。彼女は人生を振り返る長大な手紙を書き、それを娘に渡すことを彼に依頼する。そこに記されているのは恥や真実を失った「鉄の時代」の姿である。この小説はその書簡という形式をとっている。

 本作は登場人物の人種に関する属性にあまり触れていないが、その世界の中での扱われ方によってそれがわかる。主人公は末期ガンによる身体の痛みに苦しむだけでなく、恥を耐え難く思っている。だが、家政婦は冷淡で、その息子も不遜な態度をとる。黒人指導者は子どもを暴動に巻きこみ、白人警官はその子たちを標的にする。家政婦の息子も警官に射殺される。主人公は暴力を止めようと病身を押して奔走するが、なすすべはない。鉄のような重苦しさをアパルトヘイトは社会に及ぼしている。主人公はいつ息絶えてもおかしくない重病のみであるが、それは南アフリカ社会自体にも言えることだ。

 近代において個人は自由で平等、自立している。個々人は主体として相互に扱わなければならない。ところが、アパルトヘイトは社会を人種で分断し、一方が他方を客体として取り扱うことを合法化する。それは相互に客体として扱う状態をもたらす。アパルトヘイトの廃絶はこうした客体化の連鎖を止めることを必要とする。主体と客体の関係を逆転することを招かないように、近代の理念を共通認識と社会的コンセンサスとして確認しなければならない。それは新生南アフリカのアイデンティティとなる。

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