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太田隆文監督映画『沖縄狂想曲』(2024)

太田隆文監督映画『沖縄狂想曲』
Saven Satow
Feb. 07, 2024

「あと21年で戦後100年になります。『戦後100年になってもまだアメリカ軍によって日本は守ってもらってるのかよ』。そういう日本であっていいのかと。米軍基地のものは基本的に全部撤去されて、日本人が日本人で自立していける、そういうような国にしていく、そういう平和な拠点としての沖縄をみなさんと見つめていきたい」。
鳩山由紀夫『映画「沖縄狂想曲」公開初日舞台あいさつ』

  「青春映画の名匠」と呼ばれる太田隆文監督は、近年、ドキュメンタリー映画に取り組んでいる。物語性の強い商業映画を制作してきたが、実は、原発問題を扱った『朝日のあたる家』(2013)を発表するなど日本の映像界が二の足を踏む難しいテーマも恐れない社会派である。ドキュメンタリー映画ではそうした傾向が顕著になっている。そのテーマは「沖縄」である。

 太田監督は沖縄を取り上げたドキュメンタリーをすでに2本撮っている。1作目は『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』(2020)である。これは沖縄戦の全体像をとらえた入門的作品だ。米軍が撮影した記録や関係者・専門家の証言、現地の取材映像を組み合わせている。

 2作目は『乙女たちの沖縄戦 ~白梅学徒の記録~』(2022)である。これは従軍看護師として沖縄戦に参加した白梅学徒を取り上げた作品だ。この女学生たちの悲劇は一般的にはあまり知られていない。関係者・専門家の証言に加えて再現ドラマが挿入されている。映画は、このドラマに出演する女優が沖縄を訪れ、生存者等から話を聞き、その悲劇に関して認識を深めていく形式になっている。

 この2作はいずれも異なった方法で制作されている。3作目の『沖縄狂想曲』(2024)は戦後の沖縄の諸問題を扱ったドキュメンタリー映画である。太田監督は今回も前2作と別の方法で制作している。しかも、いささか大胆である。

 ドキュメンタリーであっても、主人公がいたり、特定の出来事を扱ったりするため、作品はしばしば物語化する。しかし、『沖縄狂想曲』は戦後の沖縄におけるさまざまな問題を取り上げる。それは物語ではなく、言わば、ジグソーパズルである。

 現在進行中の辺野古基地問題を始め、国際大学ヘリコプター墜落事故やオスプレー騒音・墜落問題、返還前のコザ蜂起や由美子ちゃん事件など沖縄で起きた数々の問題に触れていく。この数の多さが沖縄の抱える諸問題の大きさを見る者に印象付ける。一つ一つが物語になり得るものだ。それがこれだけの量に及ぶ。これは只事ではない。

 各問題をめぐって関連する映像やナレーション、関係者や専門家のインタビューがアラベスクのように構成される。証言者は多様で、その中には鳩山由紀夫元首相もいる。それは断片の寄せ集めではない。あくまでパズルのピースである。

 映画が終わりに近づくにつれ、パズルの絵が現れてくる。それはこの諸問題の原因とも言うべき政治的・経済的背景だけではない。これからの沖縄の目指すべきヴィジョンも見える。

 その最も中核的な抗争が故大田昌秀知事による「国際都市形成構想」である。沖縄はアジアの平和のハブになり得る。それは歴代日本政府の沖縄政策が将来像のない惰性でしかないことを明らかにする。すでに作品の所々で沖縄のあり得た可能性について触れている。沖縄が今こうなのは必然ではなく、別の姿もあり得たことを映画は暴露する。

 本土の人々は諸問題をに対して犠牲やむなしと他人事のように反応するが、、実際には沖縄の人々の行動は決して孤独なものではない。コザ蜂起の際、米軍の黒人兵は自分たちも本国で差別を受けているからと沖縄の人々に共感し、連帯を求めている。連帯は平和の要石だ。

 太田隆文監督の『沖縄狂想曲』は諸問題に苦しむ沖縄の歴史や現状のみならず、将来も語る。加えて、ドキュメンタリー映画の新たな可能性を示す作品でもある。今後の沖縄の可能性を伝えるには、ドキュメンタリー映画のさらなる可能性を表現する作品こそふさわしい。
〈了〉

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