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石川啄木の『ローマ字日記』、あるいはエスの言葉(1998)

石川啄木の『ローマ字日記』、あるいはエスの言葉
Saven Satow
Dec. 10, 1998

「主人公は独り言を言っていたかと思うと、急に目に見えぬ聴衆に向かって、あるいはまるでどこかの裁判官に向かって話しかけるような口調になる。まあわれわれの現実の振舞いもいつもまさにそういったものなのだが」。
フョードル・ドストエフスキー『おとなしい女』序文

1998年12月1日
 桑原武夫は、『啄木の日記』において、石川啄木の『ローマ字日記』について次のように述べている。

「ローマ字日記』は啄木の全要素をふくむものであり、日本の日記文学中の最高峰の一つといえるが、実はそれではいい足りない。いままで不当に無視されてきたが、この作品は日本近代文学の誇りとして、最高傑作の一つに数えこまなければならない。

 『ローマ字日記』は、桑原武夫が主張する通り、個人的な記録ではなく、「日本近代文学の誇りとして、最高傑作の一つに数えこまなければならない」一個の芸術作品である。日記は、ロマン主義以降では、内面の吐露を表現している。それ以前では、日々の出来事・事件の記録や主体性に基づいた知的告白でもある。けれども、『ローマ字日記』はその枠におさまりきらない。

 啄木は小説も書いているが、まとまりが悪く、出来がよくない。主観性に基づいて気のおもむくままに書くと、中心があいまいになり、構成力に乏しい作品になってしまう。どう終わらせていいかわからなくなり、未完で放り投げてしまうこともある。日本の私小説も構成力がないのも主観性依存という同様の理由である。だから、日本の作家は先天的に構成力がないわけではない。

 日記は啄木のような主観性依存の書き手には適している。日記はその日の事件や出来事、意見、感想を記すので、まとまりがなくてもかまわない。また、読み手は、書き手との間で共通基盤があると、文章を読みやすい。主観性は書き手の内面なので、共通のものではないから、読み手が認識することができない。けれども、日記は日付の下に記される。読者は筆者と日付を共有して理解の基盤とする。

 啄木は生涯に渡って膨大な寮の日記を記しているが、『ローマ字日記』は1909年4月7日から6月16日の短期間の記録である。なお、同年4月3日から6日、1911年10月28日から31日もローマ字で別の日記を書いている。啄木は、この年の3月に東京朝日新聞に入社、6月には、本郷に家族を呼びよせている。

 『ローマ字日記』は、定職につき、多くはない収入であっても、単身生活のために、金銭的にいささか余裕ができた時期の日記である。啄木の残した日記の中でも、『ローマ字日記』の文学的価値の高さはぬきんでている。それはおそらくこの日記に見られる特異な記述方法、すなわちローマ字表記に負っているように思われる。

1998年12月2日
 ローマ字表記は啄木だけの孤立した実験ではなく、ある社会的・歴史的背景を持っている。それは言文一致運動である。

 柄谷行人は、『日本近代文学の起源』において、言文一致の本質を次のように述べている。

 「言文一致」の運動は、なによりも「文字」に関する新たな観念からはじまっている。幕府反訳方の前島密をとらえたのは、音声的文字のもつ経済性・直接性・民主性であった。彼にとって、西欧の優位はその音声的文字にあると思われたのであり、したがって音声的文字を日本語において実現することが緊急の課題だとみなされたのである。音声的文字は、音声を写すものだと考えられる。実際、ソシュールは言語について考えたとき、文字を二次的なものとして除外している。「漢字御廃止」の提言を明瞭にうかがわれるのは、文字は音声に仕えなければならないという思想である。このことは、必然的に話し言葉への注目となる。いったんそうなれば、漢字が実際に“廃止”されようといまいと、実は同じである。すでに、漢字も音声に仕えるものとみなされており、漢字を選ぶか仮名を選ぶかは選択の問題にすぎないからである。
 したがって、文字をそのようなものとみなしたとき、前島が話し言葉に注目したのは当然であり、またそこから話し言葉と書き言葉の乖離が問題として出てきたのである。それまで、それは「問題」ではなかった。重要なのは、話し言葉への意識が、音声的文字への意識から生じたということである。

 言文一致は、一般には、語尾の問題だと思われているが、柄谷によれば、文字表記の改革である。文字表記の変化は日本国民の近代化への促進を目的としている。その問題意識の下、「かなのくわい」(1884年)や「羅馬字会」(1885年)が結成される。近代化は、「経済性・直接性・民主性」獲得のために、習慣化してきた思考を文字表記の点からの改革を要請する。近代国家形成の際、文字表記が問われたのは日本だけではない。トルコはアラビア文字からラテン文字へ、モンゴルはモンゴル文字からキリル文字へと表記を改めている。

 この動きは一時下火になったが、近代国家が確立した時期である日露戦争後に、再び文字表記が問題になっている。1905年に「ローマ字ひろめ会」が組織される。「羅馬字会」がフェルディナン・ド・ソシュールとすれば、この会はロマン・ヤコブソンにあたるだろう。日露戦争は明治政府の富国強兵政策の達成感を国民にもたらし、その結果、内向化=内面化が始まる。

 日本は欧米に並んだという意識に支えられた内面化である。脱亜入欧を果たしたのだから、欧米に学ぶものはないというわけだ。「ローマ字ひろめ会」の運動を受けて、北原白秋はローマ字で新体詩を書き、茅野蕭々、平野万里が続く。啄木も、その動きに呼応して、ローマ字で散文を書いている。

 ただ、啄木の場合は、ローマ字を使ったのは個人的な理由のほうが大きかい。彼は、ローマ字使用の理由について、4月7日に次のように書いている。

 Sorenara naze kono Nikki wo Roma-ji de kaku koto ni sitaka? Naze da? Yo wa Sai wo aisiteru; aisiteru kara koso kono Nikki wo yomasetaku nai noda.─Sikasi kore wa Uso da! aisiteru no mo Jijitu, yomasetaku nai no mo Jijitu da ga kono Hutatu wa kanarazu simo Kankei site nai.
 Sonnara Yo wa Jakusya ka? Ina. Tumari kore wa Huhu-kankei to yu matigatta Seido ga aru tameda. Huhu! nan to yu Baka na Seido daro! Sonnara do sureba yoi ka? Kanasi koto da!

 それなら なぜ この日記をローマ字で書くことにしたか? なぜだ? 予は妻を愛している;愛しているからこそ この日記を読ませたくないのだ.──しかし これは ウソだ! 愛しているのも事実,読ませたくないのも事実だが,この二つは必ずしも関係していない.
 そんなら 予は弱者か? いな.つまり これは夫婦関係という まちがった制度があるために起こるのだ.夫婦! なんというバカナ制度だろう! そんなら どうすればよいか?
 悲しいことだ!

 『ローマ字日記』は言文一致運動を受けているが、問題意識を共有していない。啄木のころには、「内面」はすでに発見されている。実際、彼は語りの語尾として「だ」調、あるいは「である」調を採用している。この件だけでなく、文学的運動を個人的な問題に結びつけ、別の作品世界を提示する。日記を読むと、彼の読書量に驚かされるし、美術や音楽にも親しんでいることもわかる。しかし、それらは短歌や詩に直接的に表われていない。

 それよりも、啄木が妻を意識してローマ字表記を選んだ点が重要である。自分の日記を読んでしまうかもしれない他者を意識しているからだ。啄木の他者意識からこの作品を読まなければならない。

 ワープロのローマ字変換を思い起こす『ローマ字日記』は、名詞の語頭は大文字で始まり、活用は語幹から離されて記される。けれども、そのままの表記では、率直に言って、読みにくい。主語としてYoを用いていることから、スペイン語ではないかと一瞬思ってしまうところだ。なお、啄木は4月21日付のかなりの分量を英語で書いている。

 周囲との矛盾・齟齬を感じたときに、啄木が日記に向かった部分が最もおもしろい。他者との直面の表象だからだ。なぜ啄木が日記をつけたのかという疑問の解答がここに示されている。

 啄木にとって、その意味で、理想だったのはローマ字表記ではない。むしろ、点字である。啄木のローマ字表記は点字的だ。

 点字は極めて人工的であり、合理的な文字である。文字を立体として理解することは具体的であると同時に、抽象的だ。点字を書くときは、点筆、定規、点字板がからなる点字器、もしくは点字タイプライターを用いる。点字は横書きだけで、文字の大きさは一定である。点字には表と裏があり、打ちこむ側から見たものと指で触る側とが表と裏の関係にある。人間の触覚は凹よりも凸のほうに鋭敏なので、右から左に書くが、読むときは、逆に、左から右の方向になぞる。晴眼者にとって、墨字は読者に一度に多くの文字を与えることができるけれども、触読による点字は半マスずつ読みとっていくことになる。だから、意味を理解しやすくするため、啄木の『ローマ字日記』同様、分かち書きを採用している。特に、中途失明者は、どうしても触読速度の遅くなりがちであり、晴眼者が考えている以上に、「電気ノコギリ」を「デンキ ノコギリ」とするように、思いきった分かち書きが必要とされる。ただし、方言を表記する場合、話し言葉のリズムや省略形を配慮しながら、標準語の分かち書きを変形させて、その雰囲気を出すこともある。また、日本語の一般的な点字には、漢字はなく、カタカナとひらがなの区別もない。

 そのほかにも墨字と相違がある。例えば、助詞の「は」・「へ」は、発音通り、「ワ」・「エ」と表記するが、逆に、動詞の「言う」の語幹は、発音にかかわらず、「イ」とするし、行換えや行移しも点字は墨字ほど自由には行えない。だが、言葉を手で組み立て、触って理解するということはあまりに官能的だ。ただ最近はコンピュータによる普通文字から点字への変換印刷も可能になり、また点字情報を記録しておいて、必要箇所だけを呼び出し、プラスチックの点字で表示するペーパーレス・ブレールも開発されている。点字は近代の楔形文字とも言える。

 恐るべき点字の論理学に人は耳を傾けなければならない。にもかかわらず、日本の出版界は、一般社会もそうだが、点字を軽視している。日本の文学者には点字への翻訳や視覚障害者向けの朗読を認めないものが、驚くほど多い。点字を使用することによって日本の文学者が回帰してしまう日本語の伝統幻想から自由になる。点字を解するものこそ『ローマ字日記』を真に理解できるだろう。

 現在、世界的に使われている点字は、フランスのルイ・ブライユが1824年に考案したものである。盲目だったブライユの点字は縦3点横2点の6点を一つの単位として、その配列によってアルファベットを表現する。3×2の行列を1と0の配列で一つの文字を表わしていると考えればよい。行列およびベクトル、2進法という現代に欠かすことのできない思考形態が点字にはすでにとりいれられていたというわけだ。

 日本点字は、1890年に、東京盲唖学校教諭石田倉次がブライユの6点点字を用いて、五十音を表記する方式を生み出したものである。これは現在も使用されている。点字考案以前は、普通の文字、墨字の凸字を用いていたため、視覚障害者は読むことはできても書くことが困難である。点字は読むこと以上に書くことを視覚障害者にもたらしている。

 日本点字は次のような5六点を組み合わせることによって構成されている。

1● ●4
2● ●5
3● ●6

 上部の点、すなわち1、2、4点の組み合わせで母音にあてる。この母音点字を基本にして、これにそのほかの点を組み合わせて子音点字とする。濁音、半濁音、拗音、数字の場合、6点を2単位使って表わす。例えば、「ロ」を表記するとき、オ段を表わす2・4点の母音点字、それにラ行を示す5点の子音点字を加える。濁音バの場合、最初の6点に濁音を示す5点のみを点字、次の6点にア段の1点、ハ行の3・6点を点字して、表記する。現在、点字で数学、化学、楽譜などの特殊記号も表記できるようになっている。

1998年12月3日
 ローマ字表記が啄木に思いもかけない文学的効果をもたらしている。そのことは、それを使っている日記とそうでないものを比較すると、明らかになる。

 最初に『ローマ字日記』の中で最も文学的価値の高い4月10日付の記述を引用しよう。

 予はその手を 女の顔にぬったくってやった.そして,両手なり,足なりを入れて その陰部を 裂いてやりたく思った.裂いて,そうして 女の死がいの 血だらけになって やみの中に よこたわっているところを まぼろしになりと 見たいと思った!
 ああ,男には もっともっと残酷なしかたによって 女を殺す権利がある! なんという恐ろしい,いやなことだろう!

 次にローマ字表記を使っていない1908年6月29日付の記述である。

 目をさますと、凄まじい雨、うつらうつらと枕の上で考へて、死にたくなつた。死といふ外に安けさを求める工夫はない様に思へる。生活の苦痛! それも自分一人ならまだしも、老いたる父は野辺地の居候、老いたる母と妻と子と妹は函館で友人の厄介! ああ、自分は何とすればよいのか。今月もまた下宿料が払へぬではないか?

 前者が奔放であるのに対して、後者はとりすましている。別の人間が書いているのかと思われるほどだ。前者の語り手はドス黒い。このドス黒さは日本近代文学のほかの日記にはないものだ。『ローマ字日記』によって啄木が顕在化させたのは、精神分析流に言えば、エスである。『ローマ字日記』はフョードル・ドストエフスキーの『地下室の手記』に匹敵すると言ってよい。潜在意識は、啄木の場合、他者と直面したとき、初めて発見される。

 ジクムント・フロイトは、『続・精神分析入門』において、自我とエスの関係について次のように述べている。

 自我のエスに対する関係は、暴れ馬をコントロールする騎手のようなものだ。ただし、騎手はこれを自分の力で行うが、自我は隠れた力で行う、という違いがある。この比喩を続けて用いると、騎手が馬から落ちたくなければ、しはしば馬の行こうとする方向に進むしかないように、自我もエスの意思を、あたかもそれが自分の意思であるかのように、実行に移すことがある。

 『ローマ字日記』以外の啄木の作品は、概して、自我が強い。短歌に彼が獲得した知識や教養が表われていないのは、自我がそれらを検閲してしまうからである。「自我もエスの意思を、あたかもそれが自分の意思であるかのように、実行に移すことがある」。エスはエネルギーであるが、現実の中で生きていくためには、自我による制御を必要とする。だが、「自我とエスを対立する敵と味方と考えるのは間違いである」。自我はエスの一部だ。自我が認めたくないものを排除、エスに放りこみ続ければ、そこは肥大する。その結果、自我が不安定になる。自我とエスは微妙なバランスの上で成り立っている。

 啄木は、『ローマ字日記』の4月26日付において、自意識が深みに自らを連れていくと次のように書いている。

 自意識は 予の心を深い深いところへ つれていく.予はその恐ろしい深みへ 沈んでいきたくなかった.うちへ帰りたくない:なにか いやなことが予を待ってるようだ.そしてホンゴウがバカに遠いところのようで,帰って行くのがおっくうだ.そんなら どうする? どうしようがない.身のおきどころのないという感じは,予をして いたずらにバカなまねをせしめた.

 精神分析流の自我とエスの関係がここに見てとれる。フロイトは、『精神分析学入門』の中で、精神分析の「原動力」を「健康になろうとする患者の欲求」と「患者の知性の助力」だと言っている。啄木の日記は知性による自己分析であると同時に、健康を回復しようとする治療である。

1998年12月4日
 『ローマ字日記』の言葉は分裂・痙攣の状態にある。ローマ字によって、日本語はとぎれ、分解されて、痙攣している。フロイト=ヨゼフ・ブロイアーの『ヒステリー研究』で紹介されているアンナ・Oの場合、ドイツ語による質問に英語で返事をしている。『ローマ字日記』の発話は内的な対話である。しかし、それはあくまで他者の言葉だ。

 ある発話がなされると、次のセンテンスではすぐさま、それに対する非難が始まる。どこにいくのか想像がつかない。他者の言葉を先どりして、話す。テーゼとアンチテーゼが交錯するが、ジンテーゼを止揚することなく、両者の素早い移動・葛藤によるピンと張りつめた緊張感は、大きく振幅し、屈折が増幅されていく。声の波は干渉し、回析する。

 語り手は悪循環を形成してしまう。最終的な決定権を自分自身の手のうちに置こうとするが、失敗する。自己の自立性を確保しようとする弁証法は失敗に終わる。彼の悪意は、むしろ、涙ぐましいまでの自己決定権確保の努力であり、ある種の美学である。しかし、それもまた失敗する。結論は拡散し、彼は自分自身と和解することができない。結局、それは言い訳にすらならない。

 そのため、醜悪で侮蔑的な言葉を自分に投げつけることによって、他者がイメージする自己を破壊しようとする。それはあくまで自分自身がイメージする他者でしかない。自分自身によって自己は規定できないからだ。追いつめられていく語り手は、その度に、逃げ道を確保する。

 自己の断罪は他者の賞賛を求めているわけだが、それがロマン主義的告白のパロディでしかないことも知っている。啄木はその溝を広げていき、エスは裂け目から姿を現わす。「彼の思想は、世界の構造によって個人的に侮辱された者の思想として、世界の構造の盲目的な必然性によって虐げられた者の思想として、展開され、構成されるのである」(ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』)。

1998年12月5日
 ドナルド・キーンは、『子規と啄木』において、『ローマ字日記』の魅力が即興性にあると次のように述べている。

 作品中最も見事な散文は、問題なく日記や手紙であって、「ローマ字日記」のような傑作は、即興の天才があるものにしか書けるものではない。啄木の文章というものが即興的な性質のものなので、古い日記を出版するために手を入れた場合、いつも月並みな感想を書き足すことで原文を傷つけている。(略)啄木はその日記や手紙ではおよそ直截な表現を用いるが、もっと苦労して書いた作品では、文体というものについて持っていた既成概念のために、それが損なわれている場合が多い。

 啄木はヴァイオリンを演奏する。『ローマ字日記』の文体ではビブラートが使われず、スピード感に溢れている。ヴァイオリンは、クラシックとは違い、ポピュラー・ミュージックの世界では、中心的に使われない。と言うのも、大部分のヴァイオリニストが譜面を必要とするからである。啄木はクラシックよりもポピュラー向きのヴァイオリニストだ。ラビ・シャンカールやデューク・エリントンとも共演したユーディ・メニューインなら、啄木を絶賛することだろう。

 アドリブの天才である啄木には、譜面など邪魔である。その場の雰囲気とのコミュニケーションを望む。彼以上にメロディ・フェイクがうまい演奏家はいない。脈絡がないまでに、自由に話は飛躍し、話題は変わる。四方八方に広がったかと思えば、それらは絡みあう。高い運動能力をもって、統一体を目指さない。相対的に分離され、各部分は独立し、速度もバラバラだ。ローマ字表記によって啄木は乾いた流動的なリズムを獲得する。

 ポピュラーでは、マイクを通すので、ダイナミック・レンジが広くとれるため、クラシックとは逆に弱い音をきれいに出すことが求められる。ピチカートのハーモニックスやハーモニックスのアルベッジョ、ミュートのピチカート、弓を外向きにしてたたいて弾くような雑音混じりの音、駒の手前側を弾いたかすれた音など楽しんでいる。ポルタメントなどによる装飾音、コールレーニュなどさまざまな弓の使い方によってアクセントをつけ、啄木はエフェクターやエレクトリック・ヴァイオリンまで使いこなす。啄木のバッキングは見物だ。ファンキーにも、チョッパーもやってくれるかもしれない。

1998年12月6日
 即興の才能が最も発揮される一つがユーモアだろう。思いもかけない事態に直面した時、人はユーモアで切り抜けようとする。ままさに即興だ。

 『ローマ字日記』には、暗い中にも、ユーモアが次のようにちりばめられている。

死だ! 死だ! わたしの願いは これ
たった ひとつだ! ああ!

あっ,あっ,ほんとに 殺すのか? 待ってくれ,
ありがたい神さま,あっ,ちょっと!

ほんの少し,パンを 買うだけだ,ごーごー5銭でもいい!
殺すくらいの お慈悲が あるなら!
(4月14付)

 予と向いあって,ふたりのおばあさんが腰かけていた.“ぼくは トウキョウのおばあさんは きらいですね.”と予はいった.“なぜです?”“見ると感じが悪いんです.どうも気持が悪い.いなかのおばあさんのように おばあさんらしいところが ない.そのとき ひとりのおばあさんは 黒眼鏡の中から 予をにらんでいた.あたりの人たちも 予の方を注意している.予は なにとなき愉快をおぼえた.
(4月8日付)

 パロディ的文体で、啄木は自分自身に話しかけ、他者に話しかける。しかし、他者は黙ってしまう。無視されるよりも、軽蔑されるほうを選ぶ。そこでエスに代わって超自我が現われ、ユーモアを放つ。ユーモアは追いつめられた精神の起死回生の反撃だ。

1998年12月7日
 誰かが他人にたいしてユーモア的な精神態度を見せるという場合を取り上げてみると、きわめて自然に次のような解釈が出てくる。すなわち、この人はその他人にたいしてある人が子供にたいするような態度を採っているのである。そしてこの人は、子供にとっては重大なものと見える利害や苦しみも、本当はつまらないものであることを知って微笑しているのである。

 ユーモアとは、ねえ、ちょっと見てごらん、これが世の中だ、随分危なっかしく見えるだろう、ところが、これを冗談で笑い飛ばすことは朝飯前の仕事なのだ、とでもいうものなのである。
 おびえて尻込みしている自我に、ユーモアによって優しい慰めの言葉をかけるものが超自我であることは事実であるとしても、われわれとしては、超自我の本質について学ぶことがまだまだたくさんあることを忘れないでおこう。(略)超自我がユーモアによって自我を慰め、それを苦悩から守ろうとすることと、超自我は両親が子供にたいして持っている検問所としての意味を受けついでいるということとは矛盾しないのである。
(フロイト『ユーモア』)

1998年12月8日
 超自我は長居をしない。エスがまた傍若無人に振る舞い始める。啄木は雨が降ったからとか、タバコ代がないからといったたいした理由もないのに、せっかく友人が斡旋してくれた会社を休み、作品を書いたり、ときには、春本を写したりしている。借りた金も本代や遊興費に消えている。エスは浪費する。ほとんど投機を通り超して、ギャンブルである。いずれ、恐慌がやってくる。

1998年12月9日
 『ローマ字日記』に普遍性があるのは、すなわちある社会的・歴史的背景をつきぬけているのは、エスの発言だからである。このように自由自在に動きまわる啄木のエスは、逆に、その運動力の高さのために、自分自身の存在基盤までも脅かすことになってしまう。

 4月10日付の記述がそれを次のように示している。

 けさ書いておいたことは ウソだ,少なくとも 予にとっての第一義ではない.いかなることにしろ,予は,人間の事業というものは えらいものと思わぬ.ほかのことより 文学をえらい,たっといと思っていたのは まだえらいとはどんなことか 知らぬときのことであった.人間のすることでなにひとえらいことが ありうるものか.人間そのものがすでにえらくも たっとくも ないのだ.
 予は ただ安心をしたいのだ!──こう,今夜はじめて気がついた.そうだ,まったくそうだ.それに ちがいない!
 ああ! 安心──なんの不安もないという心持は,どんな味のするものだったろう!ながいこと──もの心ついて以来,予は それを忘れてきた.

 エスは、エネルギー放出のために、自壊まで求める。啄木は文学もそれほど好きではない。自分の文学さえその価値を疑っている。日本語にも、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字にも、価値を彼は見出せない。啄木がかりに日本以外で生まれたとしても、その姿勢は変わらないだろう。

1998年12月10日
 家族の上京は啄木の生活をいっそう困窮させる。浪費家のエスは発言権を失ってしまう。これ以降も啄木は日記を1912年2月20日まで書き続ける。しかし、日記のローマ字表記は金銭的なゆとりがある単身生活が可能にしている。『ローマ字日記』は終わりを告げざるを得ない。最終的に、エスは失敗だらけの『ローマ字日記』をそれにふさわしい形で完結する。つまり、貧乏による死によって……
〈了〉
参照文献
石川啄木、『啄木・ローマ字日記』、桑原武夫訳、岩波文庫、1977年
小此木啓吾、『フロイト』、講談社学術文庫、1989年
柄谷行人、『日本近代文学の起源』、講談社文芸文庫、1988年
当山啓、『点字・点訳基本入門』、産学社、2008年
ドナルド・キーン、『日本の作家』、中公文庫、1978年
ミハエル・バフチン、『ドストエフスキーの詩学』、望月哲男訳、ちくま学芸文庫、1995年

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