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Zへのメッセージ(5)(2022)

7 批評と物語
 近代の文学において覇権を握ったのは小説です。この散文フィクション偏重は、近年、極端に進んでいます。2022年現在、大手出版社は新人を対象にした文芸批評を公募していません。あなた方が自信作を投稿しようにも、新人文学賞は小説だけです。しかも、作品は、設定こそ多様化しているものの、構造が因習的です。

 もちろん、その理由の一つに、読者の関心が挙げられるでしょう。『日本経済新聞』に「春秋」というコラムが連載されています。その2022年12月3日5時00分配信の記事も物語流行について次のように述べています。

 日々仕事に追われ、お疲れ気味の人びとは、どんな物語を欲しているのだろう。ヒットする映画のシナリオには共通の要素があるという。ちまたには「物語の法則」とか「売れる脚本術」といった書籍があり、観客が感情移入しやすいストーリーの構造を分析している。
▼典型的なパターンは、こんな感じだ。悩みを抱えた主人公には、大きな夢がある。でも、目標に向かう途中で、危機に直面する。なんとか脱して、一息ついた。喜びはつかの間。さらなる試練が強度を増し、繰り返し襲うのだ。絶体絶命である。敗北を覚悟する。だが、窮地に一筋の光が……。そんな展開が受けるそうだ。
▼きのう列島は歓喜に沸いた。サッカーワールドカップで日本は、無敵艦隊スペインに逆転勝ち。初戦で強豪ドイツを下したものの、次戦でコスタリカに敗れた。決勝トーナメント進出に暗雲が垂れこめる。神のごとく称賛された森保一監督の采配は一転、ネット上で、批判を浴びた。「やっぱ無能だわ」。そこまで言うか。
▼スペインに先制された時点で落胆した人も多いはず。が、待っていたのは「ブラボー!」の倍返しだ。ところで日本代表の物語の粗筋は何か。「ドーハの悲劇に泣いた男が、指導者として栄光を目指す」だろうか。優れた脚本は、夢を追う主人公の人間的な成長を観客に伝え、共感の輪を広げる。そんな終章を期待したい。

 この物語による現実把握も小林秀雄が批判する「意匠」を信じる姿勢と違いはありません。理論だけが「意匠」ではないのです。しかし、この物語依存の傾向は今に始まったことではありません。

 小栗康平監督は、2005年発表の『映画を見る眼』において、現代日本社会には物語が氾濫していると次のように指摘しています。

 前の章で、「埋もれ木」は二つの物語がパラレルに進んで行くと書きましたが、映画の中で女子高生たちが作る架空の物語は、劇中劇に近いものです。映画という劇の全体を括るだけの、単純で強い物語は「埋もれ木」にはありません。あるのは映画の登場人物がつくるゲームとしての物語、これはいわば言葉遊びといってもいいものですから、人物そのものを語る物語にはなりません。過去にどんなことがあり、それが今、このことにこうつながっているという因果関係、起承転結をもたないのです。
 劇中で、「物語は乗りもの。私たちはそれに乗って、ただ生きているだけ」「でも、選べるのかなあ、その乗りものって」「だって、物語は、ことば、だから」といった会話がやりとりされます。もちろん私たちは、言葉だからといって自由に、自分の物語をじっさいの人生の中で生きられるわけではありません。女子高校生のそれはロール・プレー イング・ゲームと同じことです。
 しかしこのゲームは、ゲーム・マスターがいて、ある約束事のもとにという限定があるにしても、物語の展開はプレーヤーのそれぞれにまかされています。映画のシナリオはストーリー・テラーとダイヤローグ・ライターが別な人でも問題ないのに、小説では地の文と会話とを別な人が書くことはない、そういいましたが、このゲームは映画的な物語のつくりに似ている、そういえるかもしれません。ゲームや漫画から小説、映画が作られたりしていることを考えると、こうした手法がさまざまな物語づくりにまで持ち込まれるようになった、そうもいえるでしょうか。
 ここには二つの問題があるように思います。一つは、世の中のいたるところで物語が過剰にあふれていることと関係する事柄です。しばらく前から大ヒットしたパチンコの機種名は「海物語」です。もちろん、パチンコ屋さんでドラマを追うはずもなく、ただCGでつくられた色とりどりの魚が動いているだけのものですが、物語というネーミングになにやらロマンを感じたことも、この機種をヒットさせた原因の一つではあったように思います。
 世の中が物語を欲しがっている、ということなのでしょうか。結婚式の披露宴で流される新郎、新婦のなれそめをつづる映像。ナレーションで語られるのは赤い糸で結ぼれていた運命の山会いです。余興といえばそれまでですが、私などはとうもつき合いきれません。物語化できるほどの起伏のある毎日を生きていない、その裏返しとしての物語。使い古された陳腐な物語はテレビにもあふれ、テレビのコマーシャルの中ででも「物語」が語られています。物語は詰るというカタストロフィーを与えてくれますから、ぼんやりした人生だってそれなりの居場所を見いだすことができるということでしょうか。物語は今日、いたるところで消費されています。
 もう一つの問題として、「私」というものが不確かになり、とらえにくくなった、そういう事情もあるのかもしれません。歴史的な現実、社会的な現実といったものに対応するかたちで、私たちは自我のありよう、私のありようをつかみにくくなっています。若い人たちに対して批判的にいわれる社会性、歴史性の欠如といったことも問題でしょうが、私たち自身の中にも、なにに向かって私とはと問いかけてきたのか、その設問のあり方が揺らいでいる、そういう実感があるのではないでしょうか。こうありたい、こうあるべきだという考え方が、もしかしたら数ある問いの一つでしかなかったのではないか、そんな反省です。

 流動性が高いために、「自我のありよう、私のありようをつかみにくくなって」、物語の登場人物としての自分自身を認識することで「私」を感じられます。自意識が優位となり、多様性を拒み、「物語は詰るというカタストロフィー」を味わっているのでしょう。気恥ずかしさを覚えることはあったとしても、深く踏みこみはしません。しかし、実際には、それらは陳腐で、類型的です。自己に対する批評意識の中に「私」が生成してくるのであって、固有の物語はそこから編み出されます。メタ認知から思考することは自分の思い込みや思いつきを相対化するのに、それを知らないまま、氾濫する物語に接し、依存しているのです。「その生き方にこだわるのは、なによりつまらない。人間はいくつになっても、新しい自分を楽しむことで生きていくものだから」(森毅『老後の安定より老後の自由』)。

 この「居場所」としての物語をめぐり興味深い記事があります。あなたがたの世代にも関係するものです。さいたま総局の小林未来記者は『朝日新聞デジタル』2022年11月28日5時00分配信「(記者解説)マルチ商法トラブル 『モノなし』売買、若者の間で拡大」において、「「本当の仲間ができるので一緒に頑張ろう」と勧誘されて加わる人が少なくないと次のように述べています。

 連鎖販売取引(マルチ商法)をめぐる問題が、改めて注目されている。
 業界大手の日本アムウェイ(東京)が10月、特定商取引法違反で消費者庁から6カ月の取引の一部停止を命じられた。消費者庁によるとマッチングアプリで知り合った人を勧誘する際、目的を明示しなかったり、契約に関する書類を交付しなかったりした事例があった。断っても執拗(しつよう)に勧誘することもあったという。
 マルチ商法は買った人が購入者を誘い、次々に販売網を広げるようなシステムだ。勧誘に成功すると紹介料などの名目で報酬が得られる。後から会員になった人が払うお金が、もとの会員の収入にまわるため、「権利収入が発生する」とうたう例もめだつ。
 金銭を徴収し配当するネズミ講と異なり商材の売買があるため、マルチ商法はそれ自体は合法だ。だが、トラブルは絶えない。入会金を支払えば「誰でももうかる」などと説明されたのに、仕入れた商品が売れ残って損をすることがある。
 国民生活センターによると、マルチ商法の相談件数はここ10年ほど1万件前後で推移。近年の特徴は、投資や副業といったもうけ話に関する情報を売買する「モノなしマルチ」が若者の間で広がっていることだ。2021年度の相談者の年齢は20代が4割超で、他の年代(1割前後)に比べて突出していた。内容としてはモノなしマルチに関する相談が半数以上を占めた。

 ■会員の結束で「心からめとる」
 消費者問題に詳しい池本誠司弁護士は、トラブルになるのは夢を売るような洗脳型のことが多いと指摘する。「本当の仲間ができるので一緒に頑張ろう」などと、人とのつながりや理想的な生き方についてアピールする手法だ。いったん参加すると、先輩会員らを妄信してしまうことは少なくない。会員同士のつながりが強まり、周囲からの助言に耳を貸さないようになるケースも課題になっている。
 関東地方の50代女性は大学生の息子がマルチ商法の会員になった。「経済的にも精神面でもよりよく生きられるようになる」とうたう動画を売買するものだ。入会金は十数万円、月会費は1万~2万円。SNSを通じて勧誘され新会員を獲得すれば報酬が出るという。息子は十分に稼げないようで、消費者金融から借金をした。女性は商法の不健全さを訴えたが聞き入れてもらえず、「心がからめとられていく様子はカルト宗教と同じだと感じた」と話す。
 国民生活センターなどはマルチ商法に注意喚起をするが被害を防ぐ切り札はない。連鎖販売取引は開業時に許認可や登録などは不要だ。悪質業者も参入しやすく、トラブルが発覚しても行政の対応には時間がかかる。池本弁護士は「社会経験のない若年者への勧誘を禁止したり、借金による取引を禁止したりすることを検討するべきだ」と話す。
 まずは被害者や家族らを支援する専用の窓口が必要だ。行政には事業者の登録制度などを導入し、事業内容をチェックすることも求められる。

 興味深いのは記事の後半部分です。「モノなし」も確かに現代的ですが、経済的利得以上に「本当の仲間ができるので一緒に頑張ろう」と勧誘されて加わるというのはよりそうでしょう。「居場所」としての物語をマルチ商法が利用しているというわけです。

 確かに、近代の文学者たちはしばしば支配的な価値観や常識を相対化する見方を提示します。それにより見過ごされている問題を発見できます。そうした作家たちによる小説における重要な現代的意義の一つに「権利としての物語」があるのです。それは、従来そんな機会がなかった主観による語りです。これは抑圧されてきた主観に限りません。語ることを思いつかなかった主観も含まれます。「権利としての物語」は社会の中の文学という認識から生じます。その権利の行使は社会という共の場において私的であると同時に公的なものとなるのです。

 ただ、その際、しばしば形式はレディーメードを踏襲します。語る主観に新奇ささはありますが、物語の形式は因習的です。今の「権利としての物語」もそうした異議申し立てを無視し、それは改善されなければならないでしょう。

 伝えられる日々のニュースが物語るように、パンデミックは影響の膨大さが人々を圧倒します。この経験はこれまでにありません。毒性や感染力の強い感染症を登場させる従来のパンデミックを扱った小説は核戦争のそれのバリエーションです。なぜそうするのかと言うと、描きやすいからです。けれども、実際にパンデミックを体験すると、そのあまりに単純な世界に興ざめしてしまいます。小道具として言及するのではなく、文学はそれを描く必要があるでしょう。パンデミックは風景の変化を通じて既存の諸問題を増幅してあらわにしています。大半は新しいと言うより、目立たず見過ごしてきた問題です。作家に必要なのはそうした情報に圧倒され、無知でいたことを羞恥し、社会の中の文学を念頭に執筆に取り組むことです。SNSの発信だけでなく、作品にそれが具現していなければ、作家である存在意義はありません。パンデミックを書くとはそういうことです。

 日々のニュースをチェックするとわかるように、パンデミックに限らず、現代的課題は持続するものが少なくありません。気候変動もそうでしょう。ところが、物語は始まりと終わりによって一塊の出来事として扱えるアオリストを描くことを得意としますが、継続する問題は不得意です。「今年2回コロナに感染した」と言う場合の「コロナ感染」は、塊として計算できますから、アオリストです。一方、「コロナの後遺症に苦しんでいる」の場合の「コロナの後遺症」は継続していますので、アオリストではありません。このように、現代的課題は影響の際限がなく、持続するものが少なくありませんから、文学が物語に変調すると、それらを取り扱うことができなくなってしまいます。文学は物語や小説より幅広いナラティブなのです。

 物語に文学的価値を認めてこなかった文化もあります。それは中国です。

 中国では長らくフィクションに関心がもたれていません。テキストとして思い浮かぶのは漢詩や歴史書、思想書です。散文フィクションとなると、16世紀の明の時代に大成した白話小説の『西遊記』以降の作品くらいで、漢文の授業では扱いません。実際、それ以前の散文フィクションはほとんど伝わっていないのです。六朝時代の短編小説集『幽明録』や唐代の伝奇小説『遊仙窟』などに限られています。

 しかも、『遊仙窟』は存在自体が中国において忘れられています。日本に写本が伝来したものの、大陸ではテキストのみならず、その記録さえ残っていません。それを遊学中の魯迅が発見、母国に紹介して、改めて知られるようになっています。

 『遊仙窟』の作者は唐の張鷟《ちょうさく》と伝えられています。作者と同名の「張文成」が主人公です。彼が、黄河の源流を訪れる途中、神仙の家に泊まり、寡婦の崔十娘《さいじゅうじょう》、その兄嫁の五嫂《ごそう》らとその夜に歓を尽くすもてなしを受けます。ところが、明け方に外のカラスが騒がしくなり情事が途中で終わってしまうのです。

 この内容は昔ばなしの『浦島太郎』や『うぐいす長者』などを思い起こさせます。『遊仙窟』は日本では広く読まれていたと推測できるでしょう。

 タイトルにある「遊」は「遊び」ではなく、「旅」という意味です。『西遊記』は「西方への旅の記録」、「遊学」は「故郷から旅に出て学問をすること」になります。付け加えますと、「記」は筋道を立てた記述や記録のことで、本来 フィクションには使われません。ここからも虚構の物語に価値を認めない中国文化の特徴がわかることでしょう。

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