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潜在能力発揮社会(2010)

潜在能力発揮社会
Seaven Satow
Sep. 23, 2010

“My Father Loved Rang Rasiya”.
Nandana Sen

 菅直人首相は、2010年9月22日、ニューヨークの国連本部で開催された途上国支援に関する「国連ミレニアム開発目標(MDGs)」首脳会合で演説している。この中で、政権の理念に掲げる「最小不幸社会」が途上国でも実現するように、保健・教育分野で2015年までに総額85億ドルを拠出することを柱とした支援策「菅コミットメント」を表明する。

 「最小不幸」は、言うまでもなく、「最大多数の最大幸福」という功利主義のテーゼに対するアイロニーである。しかし、不幸を完全に一掃することが事実上できないとしても、それを一国の首相が政権の目標として掲げるのはいただけない。しかも、それを世界に訴えるというのも考え物である。ネガティヴな響きのある概念を政治目標に入れるべきではない。

 近代は政教分離に伴い、価値観の選択が個人に委ねられている。ただ、いかなる価値観であっても、幸福を求め、不幸を避けることでは共通している。ジェレミー・ベンサムは、それを論拠に、全体として幸福を増大、不幸を減少させることが社会の目的であると説く。

 日本国憲法は個人に幸福追求権を認めている。確かに、そのための制度を用意するのは政治の役割である。ただ、何を幸福とするかは主観性に依存する。菅直人首相の幸福と沢尻エリカのそれが同じであるとは限らない。幸福や不幸を直接的に政策に取り入れることは困難である。本来、主観性に定義が依存する概念は国家の政治目標には馴染まない。

 もしどうしてもと言うのであれば、社会調査によって、人々の幸福や不幸のランキングやトレンドを調べ、それを政策に反映するという方法がまず考えられるだろう。しかし、これは、内閣支持率の調査と違い、大規模にならざるを得ず、現実的ではない。国際社会を対称にするとなればなおさらである。

 政治における幸福を検討する際に、手がかりになるのがインドの生んだ知の巨人アマルティア・センセン(Amartya Sen)博士の「潜在能力(Capability)」である。彼の『福祉の経済学』によると、潜在能力とは「人が善い生活や善い人生を生きるために、どのような状態にありたいのか、そしてどのような行動をとりたいのかを結びつけることから生じる機能の集合」である。自動車やパソコンがあっても、それを使える環境が整備されていなければ、その潜在能力を発揮できない。

 具体的には、「よい栄養状態にあること」や「健康な状態を保つこと」、「教育を受けている」、「早死しない」、「社会生活に参加できること」といった政策に採用しやすいものから、「幸せであること」や「自分を誇りに思うこと」、「人前で恥ずかしがらずに話ができること」、「愛する人のそばにいられること」という主観性が強いものまで含んでいる。

 ナンダナー・セーン(Nandana Sen)の父が最初に経済学で世界的に影響を与えたのは、1970年に発表した「パレート派リベラルの不可能性」という論文である。これ以前に、彼は、数学を駆使し、合理的な社会選択なるものは個々人の嗜好序列をもっぱら根拠にすることが可能かというアローの問題を扱っている。その上で、同論文では、パレート最適に異議を申し立てる。パレート最適とは、ある市場結果がそれからの乖離が少なくとも一人の経済状態を悪化させる場合、もしくはその場合にのみ、最適であるという概念である。センは化成は、この最適性は経済学者が信じているほど合理的ではないと指摘している。

 これはコンドルセのパラドックスの拡張である。多数決は少数意見を排除することだけが問題なのではない。争点が多くなると、その優先順位をめぐって打ち消し合い、多数決が機能しなくなる。

 A・B・Cという三人がp・q・rという三つの争点の優先順位を次のように選んだと仮定しよう。



p
q
R
A
1
2
3
B
2
3
1
C
3
1
2


 こうなると、循環に陥り、多数決が機能しない。実際の選挙ともなれば、有権者数は1万人を超え、争点も一つや二つではないだろう。争点が10以上になると、半数以上がこのパラドックスを具現化してしまうことが知られている。争点を整理しなければ、多数決は有効に働かない。しかし、整理しすぎると、少数意見が最初から排除される。

 これをアローの問題に援用して、パレート最適を考察すると、経済学者の信念は揺るがざるを得ない。そのため、経済学は主観性を軽視したり、政治的・経済的・社会的弱者を切り捨てたりすることを慎まなければならない。セン博士はそう説く。

 セン博士の「潜在能力」の理論を取り入れたのが人間開発指数や「人間の安全保障」である。とりわけ後者は、従来から日本政府も支持している。それを踏まえるならば、日本の首相が、MDGsで訴えるとしたら、「最小不幸社会」ではなく、「潜在能力発揮社会」の方がふさわしいだろう。

 菅政権は「最小不幸社会」よりも、「潜在能力発揮社会」を理念として掲げるべきである。不幸の中には、とり返しのつかないものもある。それは最小化で片づけられる問題ではない。
〈了〉
参照文献
アマルティア・セン、『福祉の経済学―財と潜在能力』、鈴村興太郎訳、岩波書店、1988年
アマルティア・セン、『合理的な愚か者-経済学=倫理学的探究』、大庭健他訳、勁草書房、1989年
アマルティア・セン、『不平等の再検討―潜在能力と自由』、池本幸生他訳、岩波書店、1999年
アマルティア・セン、『人間の安全保障』、東郷えりか訳、集英社新書、2006年

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