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アメリカン・フットボールとアイデンティティ(2013)

アメリカン・フットボールとアイデンティティ
Saven Satow
Feb. 06, 2013

“If I gave you a dollar, you could keep most of the change. 'Cause all I really want  is a ‘quarterback’!”
Howard Deutch “The Replacements”

 2013年2月3日、第47回スーパーボウル(SB)がニューオーリンズで開催され、ボルチモア・レーベンズ(AFC)がサンフランシスコ・49ers(NFC)を下しています。得点は34対31と非常に競っています。

 今回のSBはレーベンズのジョン・ハーボ―監督と49ersのジム・ハーボ―監督が兄弟のため、史上初の指揮官兄弟対決として開幕前から話題になっています。試合は序盤からレーベンズが有利に進め、第3クオーターの途中までに22点差まで広げます。ところが、突如、停電が発生し、35分間の中断後、49ersが猛追、レーベンズがそれを何とか振り切り、注目の兄弟対決は兄に軍配が上がります。

 ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)の頂上決戦SBの視聴率は毎回40%を超えます。多くのエピソードが物語るように、SBは全米最大のスポーツ・イベントです。NFLはナショナル(NFC)とアメリカン(AFC)の二つのカンファレンスに分けられた計32チームによって構成されています。9月にシーズンが開幕し、各チームが16試合戦います。両カンファレンスの成績上位6チームがトーナメント方式のプレーオフに進出し、その勝者が一発勝負のSBで雌雄を決するのです。なお、SBの開催地は出場チームと無関係に事前に決定されます。経済効果が大きいため、誘致合戦も激しいことで知られています。

 これほどのビッグ・イベントですが、アメリカの国内外では人気に相当の差があります。日本では、SBの結果がスポーツ紙の一面を飾ることがないように、ほとんど関心がありません。そもそもアメリカン・フットボールのルールさえ知られていないのが実情でしょう。

 周囲でアメフトをする機会もほとんどありませんから、ルールを覚えるにしても机上に頼らざるを得ません。佐藤清文という文芸批評家は川崎のぼるのマンガ『フットボール鷹』を通じてアメフトに詳しくなっています。なお、この1978年度第2回講談社漫画賞少年部門受賞作は予告段階では『フットボールの鷹』だったと記憶しています。

 世界的に広まったスポーツの中に、アメリカ生まれは少なくありません。アメリカ以外でも大きな人気を獲得したスポーツもあります。野球がそうです。また、アメリカ起源でありながら、むしろ、他地域で浸透したスポーツもあります。バレーボールが好例でしょう。

 一方、アメフトはアメリカ人の、アメリカ人による、アメリカ人のためのスポーツです。NFLは全米で驚異的な成功を収めています。世論調査によると、最も好きなスポーツとしてアメフトを挙げる人は全体の3分の1に及びます。しかも、経年推移をたどると、他との差が拡大傾向にあります。けれども、米国の外では事情が異なります。他地域でも楽しまれていますが、非常にマイナーで、とてもワールド・ワイドとは言えません。もっとも、アメフトが米国の外で人気がなくても、アメリカ人は一向に気にしていません。

 もちろん、日本にもアメフト・ファンはいます。最も有名なのは黒澤明監督でしょう。監督は、氷一個だけの水割りを片手に、サンドイッチをほおばりながら、テレビでアメフトを観戦するのが何よりの楽しみです。なお、この酒の肴は『ダックウッド・カートゥーン(Duckwood Cartoon)』に出てくるサンドイッチを模倣したもので、ハムやチーズ、バターを目いっぱいはさみ、広辞苑ほどの厚さがあるアメリカン・サイズです。マンガのサンドイッチを実写化して自ら食べるとはさすがリアリズムの巨匠です。

 こうした状況を見ると、なぜアメフトはアメリカであれほど熱狂的に支持されると同時に、その外では人気がないのかという疑問が湧いてきます。この問いに対する最も素朴な姿勢は、アメフトの特徴からの答えです。「攻守交代を始め間が多く、また複雑なプレーや駆け引きなどテレビ向きだから」や「SBは開幕前からコンサートなど過剰な演出がほどこされ、いかにもアメリカ人好みだから」がこういった例です。

 ある対象がその内外で受容に差がある時、それを受け入れる主観性に着目するのが効果的です。アメフトを支持する暗黙知を明らかにする必要があります。

 前述したように、NFLの人気は年を経る毎に伸びています。それはかつてはそんなにポピュラーではなかったことを意味します。アメリカの歴史を語る際に欠かせないスポーツはアメフトではありません。野球です。それはアメリカの庶民のスポーツに位置付けられ、自由と民主主義の姿が反映します。その象徴がジャッキー・ロビンソンでしょう。映像作品等で野球が親子など世代間をつなぐ比喩として扱われるのはそのためでもあります。

 一方、アメフトは長らくアマチュアのスポーツとして発展し、定着してきた歴史を持ちます。元々は名門大学に入学するエリートの間で楽しまれています。彼らはアメリカの政治や経済を担っていく人材ですから、プロになる気などなく、アマチュアリズムの青春時代にプレーするだけです。高校を舞台にしたアメリカの映像作品では、フットボールの花形とチアリーダーが同級の中で最も注目される生徒として登場します。何しろ、『アルビン2 シマリス3兄弟 vs. 3姉妹(Alvin and the Chipmunks: The Squeakquel)』(2010)でさえ、クラスの人気者になったシマリスのアルビンがフットボールの試合に引っ張り出されているほどです。

 他国の映像作品には、特定スポーツの中心選手がこうした設定で出てきません。日本の青春ドラマはスポーツを通じた精神的成長を描くビルドゥングスロマーンですから、チーム・リーダーも同級生のアイドルという位置づけではありません。

 加えて、落ちぶれた元花形フットボーラーもよく登場します。キアヌ・リーブスは『ハートブルー(Point Break)』(1991)と『リプレイスメント(The Replacements)』(2000)でそういう設定の役を二度も演じています。なお、『リプレイスメント』には元東関部屋のエース・ヨナミネがオフェンシブ・タックル(OT)のジャンボ・フミコ役で出演している。

 これは戦前の日本の野球事情に似ています。当時、野球はアマチュアのスポーツと位置付けられ、現在の高校野球の前身である中学野球や東京六大学野球の人気は大変なものです。終戦直後を描いた岡本喜八監督の『ダイナマイトどんどん』には落ちぶれた元花形野球選手が数多く登場します。

 アメリカの国内外でアメフトの人気に大きな差があるのは、それがアイデンティティと結びついているからです。アメリカ人としてではありません。もっと具体的なものです。出身地や出身大学など自分が何者であるかという過去です。

 国民やエスニシティがマクロのアイデンティティとすると、個人やジェンダーはミクロです。アメフトをめぐるアイデンティティは地域や大学などメゾレベルだと言えます。

 アイデンティティは他者との区別によって自己を措定する主観的操作が伴います。そこで問題になるのは違いを強調し、乗り越えられない境界があると閉じた認識に向かうことです。開かれた境界としてアイデンティティを確認するならよいのです。

 アメフトはコミュニティの中で根付いて育ってきています。アメフトほどコミュニティ意識を感じさせるスポーツはアメリカにありません。人々がつながりを確認したい欲求にかられれば、アメフト人気が高まるのです。

 こうしたアイデンティティ・スポーツが他の地域に浸透するのは困難です。近代の進展とともに、その地域にすでに別のスポーツが根付いています。また、アイデンティティ・スポーツは特定環境にあまりにも適合しているため、他では生きにくいのです。

 アメフトはアマチュアのスポーツとして発達してきましたから、その事情を尊重しなければ、NFLも成長できません。MLBがプロのスポーツとして市場原理を大胆に導入しているのとは好対照です。その象徴がSBなのです。

 アマチュアにおいて、予選はリーグ戦、決勝はトーナメントという方式が世界標準です。日本の高校野球のような全試合トーナメント制は例外です。一方、プロは決勝でも複数試合を行うのが通常です。繰り返しの中で結果を出すものだからです。ところが、SBは一試合限定です。これはアマのスタイルです。

 現在、メゾレベルのアイデンティティに訴えるスポーツの人気拡大の傾向がアメリカ以外にも見られます。日本において、近年特に盛り上がっているアマチュアのスポーツ・イベントとして箱根駅伝が挙げられます。ランナーは大学生ですから、同時期に行われる社会人の駅伝と比べて実力が見劣りします。途中で体調不良に陥る選手も少なくありません。おまけに、花形ランナーにしても後に五輪や世界陸上で活躍することは稀です。学生ランナーたちは箱根を走る夢を叶えるために全国からそれらの大学に集まっています。しかも、生活のために走る社会人ならそのまま在籍できても、大学の場合、いずれ卒業しなくてはなりません。夢からはいつか目覚めなければならないのです。

 1月2日・3日の二日間、出場大学の卒業生やその家族だけがレースを見ているだけではありません。故郷でランナーの晴れ姿を期待と心配で見守る親兄弟や恩師、後輩を想像しながら見ず知らずの人も応援するのです。その上で、朦朧とした状態でふらふらになりながら足を前に運ぶランナーに声援を送る自分自身に感動するわけです。そうやって箱根駅伝に熱中する人々も、駅伝という競技が課外に輸出されて欲しいなどと思ってもいないでしょう。

 メゾレベルのアイデンティティをよく理解して成功したのがJリーグでしょう。サッカー以上に人気があった他のアマチュア・ボール・ゲームはそれをわからないまま、企業名を前面に出し、人気を伸ばせきれずにいます。バレーボールやラグビーがそうした例です。あれだけ雇用破壊をもたらしながら、企業スポーツを支持してくれると思うのですから、実におめでたいものです。日本におけるアメフトも、残念ながら、同じ轍を踏んでいます。

 アメリカン・フットボールは米国市民にとってメゾレベルのアイデンティティと結びついたスポーツです。それゆえに、外部からはその熱狂ぶりが理解できません。でも、そういう内外で人気の温度差があるスポーツを観戦する時、自己と他者の属する文化の暗黙知を考えるきっかけになります。それは、もちろん、身体的楽しさではありません。けれども、スポーツにある知的楽しさにつながっていることは確かなのです。
〈了〉

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